すでに何度か寿岳章子さんのことを書いていますが、まだまだ言いたいことはたくさんあります。きょうは寿岳さんが「ふるさと」の歌を「あれは男の歌や、大嫌いや」と言っておられたことをご紹介しながら、どうして「大嫌い」とまで言われたかを考えたいと思います。

 「兎追いしかの山」で始まる「ふるさと」の歌は、大きな災害があったとき、その地方の人々を励ましたり慰めたりするイベントには必ずと言っていいほど歌われます。大きな不運に襲われて、かけがえのない大切なものを失った失意の人々に向けて歌い、また、不幸なめに遭った人々自身が自らをふるいたたせるために歌います。災害で失われ破壊される前の町や村をおもい、涙しながら歌ったり聞いたりする人もいます。今や日本人の愛唱歌の代表ともいえる存在です。

  実を言うと、私自身も大昔ですが北京で、この歌をほろりと涙しながら歌ったことがあります。1980年代の初め、日本語教師として北京に滞在したことがありますが、何かの行事があって夜になり、宿舎に戻る教師の送迎バスの中でです。当時の北京は貧しくて夜になると町は真っ暗、バスの中も明かりを落としていました。その暗闇の中を走るバスの中で、だれともなく歌い出した歌が「ふるさと」だったのです。

 この歌は2006年に文化庁が選定した「親子で歌いつごう日本の歌百選」にも含まれていますので、同名の本、『親子で歌いつごう日本の歌百選』(文化庁編 東京書籍2006,以下『百選』)に記された情報を紹介しながら考えていきます。

 もともとは文部省唱歌として大正3(1914)年に『尋常唱歌(六)』に載せられました。もう100年以上も前になります。それ以来綿々と歌い継がれてきて、今では日本人の魂の歌のようにさえ思われています。

 さて、この歌を寿岳さんが「男の歌」「大嫌い」と言ったのはなぜでしょう。 まず冒頭の「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川=兎を追いかけたあの山、小鮒を釣ったあの川(古語が使われているので念のために、=の後に現代語訳も添えます。以下同じ)」です。兎狩りをして兎を追いかけたのは男の子でしょう。今は男の子も女の子も兎を追っかけるでしょうが、100年前は男の子のすることでした。「小鮒釣りしかの川」で小鮒を釣ったのは、やはり男の子でした。100年前の子供の教科書を見ても、女の子が走り回ったり、魚釣りをしているような絵はどこにも見当たりません。

 そして3番です。「こころざしをはたして、いつの日に帰らん=こころざしを達成して、いつかきっと帰ろう」、この句を寿岳さんは「大嫌い」と言っていました。

 偉くなろう、金持ちになろうなどと、「こころざしを立てて」故郷を後にするのは、初等教育を終えて都会に出て上級の学校に進む男子です。昔の高等学校は男子しか入れませんでした。旧制の高等学校を出て帝国大学に進めるのは原則として男子だけ――女子の入学を認めていた帝大は東北大など3大学だけ――でした。ほとんどの女子はこころざしを立てようにも立てられなかったし、大学で学ぶこともできなかったのです。

 男子は、大きな志を立てて、故郷を後にして都会に出る。生易しい努力ではないでしょうが、人一倍勉学に励んで、優秀な成績で学業を終えると、出世の道が開かれている。官吏になったり、軍人になったり、大企業の幹部になったり、自分で創業したりして成功する。そして故郷に錦を飾るのです。彼の後にした故郷には、母や恋人や姉妹が彼の成功を祈りながら待っているのです。こう見てくると、この歌の主人公はやはり男です、確かに、「男の歌」です。

 ほろりと涙しながら私も歌いましたが、こうして心にやさしく響く歌を歌ったり聞いたりしながら、いつのまにか「男の歌」であることも意識せず長年歌っているうちに、男はこころざしを立てる人、女はそれを支える人という役割分業がいつの間にか私たちの心に沁みついてしまっているのではないでしょうか。

 もうひとつ『百選』に選ばれている「赤とんぼ」を思い出してみましょう。この歌も古い歌ですが、今でもよく歌われています。「ユウーヤーケ コヤケーノ アカトンボ」と静かな低い出だしが哀愁を誘います。「負われてみたのはいつの日か」で、誰かの背におんぶしてもらって赤とんぼを見た日を回想しています。3番の「十五で、姐やは、嫁にゆき」でもう少し状況がわかってきます。おんぶしてくれた「姐や」(=子守の女中さん)は15歳で嫁に行ったのです。昔は数え年で年を言いましたから、今の13歳か14歳で嫁に行かされたのです。

 この歌は、詩人の三木露風が大正10(1921)年に児童雑誌『樫の実』に発表しました。当時の、裕福でない家の女の子は、家で弟や妹の面倒を見させられるのが常でした。10歳すぎるころになると、他人の家に奉公に出され、その家の子守りや家事の手伝いをさせられます。そして数え年の15歳でもう誰かの家に嫁に行かされるのです。嫁に行った先でどういう処遇を受けたか、これはまた女の一生のストーリーの中で容易に想像できます。

 こうして見てくると、心に優しい懐かしい歌「ふるさと」も「赤とんぼ」も、日本の男子と女子の生き方のそれぞれの典型を代表している歌と言えます。

 やはり寿岳さんは鋭い目の持ち主だったと、改めて思います。