狭山事件ーー60年の見えない鎖

戦後日本を代表する冤罪事件
本書は戦後を代表する冤罪事件「狭山事件」について聞き取りの形で書かれたものである。発案者は静岡大学の黒川みどり教授。当事者の石川一雄さんと連れ合いの早智子さんに寄り添い出来る限りの生の声を伝えたいと通い続けて出来上がった。
 狭山事件とは、1963年埼玉県の女子高校生が殺害され、犯人を取り逃がした警察が被差別部落出身の石川一雄さんを逮捕し半年で死刑判決。1974年に無期懲役。1994年に仮出獄を経て現在第3次の再審請求に入っている。
 なぜこんなに長くかかってしまっているのか。第一の要因は彼が文字を知らぬまま18歳まで奉公に出され24歳で捕らえられてしまったこと。塀の中で彼は文字を学び、なぜこんな目にあってしまったかを理解し広く世間に訴える術を得て生きる希望を得ていく。第二の要因は検察が証拠を独占して全面開示に応じないこと。第三の要因は再審法に問題があること。一日も早い再審法の改正が今求められている。
84歳の一雄さんの自分を律して闘う凄さに読む者は襟を正される。

支援者は一日にして成らず
 2022年夏から始まった再審請求署名が51万部を越え東京高裁に提出された。なぜこんなにも短期間に集まったのか。勿論多くの支援者の声がうねりとなり届いたのだがそのうねりを引き寄せた陰に早智子さんの存在が大きくあったと思う。彼女は集会の度にカメラを持ち自身のブログを作り、来てくれた方々の写った大きな写真や新聞記事などブログのコピーと共に送り続けている。雨の日も雪の日もレターパックを抱えてポストに走るのだ。
支援者は一日にして成らず。このひたむきさが実を結び「さっちゃんのために、一雄さんのために」と頑張るのだ。

「さっちゃん」
 早智子さんも徳島の被差別部落出身。勤務先の国民健康保険組合で出自を隠して働きながら、死まで考えるほどの差別による苦しみの中で生きてきた。そこで部落解放運動を知り一雄さんのメッセージに遭い、”もう隠さない”と決心、自らが大きく解放され一雄さんとの結婚に至る。    
 二人の結婚生活を本書はかなり語っている。55歳まで世間と接触がなかった人と暮らす大変さが本書で始めてわかった。ヘレンケラーは水に手を浸して「water,water!」と叫んだけれども、一雄自身は塀の中で文字を知りその意味が分かってもその物自体に触れることができなかった。早智子は一雄にとってサリバン先生の役割も負っていたと言える。一雄は冤罪は分かっても女性差別は分からない。その一つ一つを早智子は自身も苦しみながら一雄に集会の後電車の中で反省会と称して語っていく。「私と彼はよく違うんですよ。でも目指す方向は一緒。部落差別だけじゃなく女性差別,障害者差別、差別がいっぱいある。それを無くしたい。部落差別、冤罪は特に。目標は同じだから一緒に闘えるしいろんなことは我慢出来る」。そして満面の笑みで「石川一雄は会うべくして会った人」と言い切る。彼女のひまわりのような笑顔は長い苦しみの中で芽を出し今大きく花咲いている。二人に一日も早く普通の生活が訪れることを願ってやまない。そしていつか袴田事件のひで子さんを描いた「デコちゃんが行く」のように「さっちゃんが行く」という漫画がつくられて広く読まれるといいなと思う。

◆書誌データ
書名 :被差別部落に生まれて――石川一雄が語る狭山事件
著者 :黒川みどり
頁数 :290頁
出版社:岩波書店
刊行日:2023/05/17
定価 :2500円+税
ISBN 978-4-00‐024550‐0

被差別部落に生まれて: 石川一雄が語る狭山事件

著者:黒川 みどり

岩波書店( 2023/05/19 )