今月2日、歌舞伎座を訪れた。歴史的瞬間に立ち会いたいと思ったからである。
今月の歌舞伎座は「錦秋十月大歌舞伎」、その昼の部で上演されるのが『文七元結物語』。山田洋次監督の脚本・演出により、新たな構想で上演される人情喜劇であり、寺島しのぶさんが女性として初めて歌舞伎舞台で演ずるのである。「女人禁制の長い歴史を持つ歌舞伎座の舞台に、メインキャストとして大人の女性があがるのは史上初。これは歴史的快挙です」という記事もあったが、その瞬間を目に焼き付けたいと思ったのである。

ご存知の通り、歌舞伎の元祖は、出雲阿国(いずものおくに)が創始した「かぶき踊」であると言われている。「かふきをとり」という名称が初めて記録に現れるのは『慶長日件録』、慶長8年(1603年)5月6日の女院御所での芸能を記録したもの。阿国は女性の芸能者で、男装や奇抜な衣装を身に着けて演じるなど「傾(かぶ)いた」(奇抜な身なりや言動をする意)演出で一躍人気者になったことが、「歌舞伎」の語源とされている。つまり、歌舞伎はもともと「女性の役者から始まった」と言える。ところが、寛永6年(1629)、時勢によって歌舞伎は風紀を乱すといった理由で上演を禁じられ、その後、歌舞伎役者は男性のみとなり、現在までその形式が継承されている。江戸時代から現代へ、時代は移ったものの、この「伝統」だけは誰も疑うことをせず、連綿と続けられてきたのだ。
それが、今、変わろうとしている。

寺島しのぶさんが5歳、弟の五代目尾上菊之助が誕生した時には、「その日から、周りの目がひゅっと弟に向いたことが子どもながらにわかった」そうだ。今回のことに関連した特番の中で、しのぶさんの歌舞伎座出演が決まったのは、幼馴染で同い年の中村獅童からの提案だったという。その番組で獅童は「『女じゃなかったら、歌舞伎の舞台に出たかった』って、よくね(言っていた)。それを聞いてずっとおぼえていたので、いつか歌舞伎座でお芝居できたらな、という思いがあった。悔しかった、小さい時に、と」と語っている。獅童がそのしのぶさんの言葉を忘れなかったのは、男子と言えど歌舞伎の世界で苦労を重ねてきた獅童ならでは…だったからではないのか。
「歌舞伎の家に生まれ、本当は歌舞伎をやりたかったのに、女の子に生まれてしまったためにそれがかなわず、葛藤した」と彼女は語っているが、大好きな、小さなころから慣れ親しんだ歌舞伎の世界に「女性」であることでずーっと排除され続けてきた彼女の悔しさを知ってから、私は彼女を応援してきた。あるインタビューで「これまで、毎日が闘いの人生だった」という彼女の言葉を聞いた時、そのトラウマの深さを改めて思い知った。

様々なメディアでしのぶさんの歌舞伎座出演が取り上げられていたが、目にした紙上の批評にはちょっとがっかりした。歌舞伎の世界で先達からの教育訓練を受けられなかった彼女の舞台表現を、歌舞伎の世界で育てられてきた他の役者と比べても、意味があるとは思えない。
「弟が中心のうち」だから親に頼ることはせず、「あなた、女優やりたいんじゃない?」という太地喜和子の言葉に導かれて文学座の門を叩き、新劇の技法とエッセンスを学び、映画の中でも磨いてきた役者としての様々なスキル…それらを総動員し、40有余年の葛藤を乗り越えての「歌舞伎とがっぷり四つ」だったことを評価しないで、何を評価すると言うのだろう。むしろ、今のしぶさんだからこそ成し遂げられたことではなかったのか。
歌舞伎座の舞台の彼女は余りにも「自然」で、なぜこのシチュエーションが今まで無かったのか???…と、不思議に思ったほどだった。

今年、歌舞伎界には激震が走った。市川猿之助のセクシュアリティやパワハラ・セクハラ問題を週刊誌が取り上げたことに端を発する事件である。
「〇〇界」と呼ばれる組織の中でこれまで自明視されてきた様々なハラスメントが、「悪しきこと」として人々の口の端に上るように時代が変わってきた(正しくは:女性たちが変えてきた)。権力を握る数人(殆ど男性)が、自分だけに都合よく組織や人を動かして良い筈が無い。歴史や伝統を盾にするならなおさらのこと、「古い因習」を時代に則ってバージョンアップしていかなければ「伝統」はすぐにでも単なる「化石」に転じてしまうだろう。
何よりも尊重されるべきは、個人の尊厳であるはず。しのぶさんの歌舞伎座出演も、「営業」とは別の次元での時代の要請だったかも知れず、歌舞伎界が変わっていくきっかけになれば正に「歴史の転換点」となる。

女というだけで歌舞伎の世界から排除しておきながら、一旦歌舞伎に出れば「音羽屋」一門であると見なされる重圧。長いこと憧れ続けてきた、特別な場所である「歌舞伎座」で実力を試されることはとんでもない恐怖でもあったに違いないが、それでも戦闘態勢がブレることの無い彼女は、まぶしいほどに清々しい。
彼女の溢れんばかりのエネルギーは無論、これまで当事者の男たちが思いもしなかった、歌舞伎界の「女性差別」に対する怒りだと私は確信している。これまで何人の「梨園の娘」たちが、涙を呑んできたことだろう。
がんばれ、しのぶさん。私はこれからも、彼女を応援し続ける。

参考:
Wikipedia「歌舞伎」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E
「女性から男性へ、歌舞伎役者の変遷」
https://www.kokugakuin.ac.jp/article/10568
MBS毎日放送「情熱大陸」