5月3日~5月6日までゴールデンウィークのさなか、娘と中3の孫娘とともに京都から熊本へゆく。叔母の古い家を片づけに。98歳の叔母はその間、ショートステイのお世話になる。
連休中の新幹線は満席。自由席もすべて指定席で、車両間の通路には立ちっぱなしの人たちもいる。京都駅も熊本駅も外国人も交えて大勢の人で混み合っていた。
7年前に母と叔母を熊本から京都に迎え、その3年後に母は亡くなった。去年の春、母の空き家と庭の樹木の整理をお願いした不動産業者に、今度は叔母の家の片づけをお願いすることにした。
石牟礼道子さんが晩年、住んでおられた江津湖のほとりに母の家があった。その一帯は埋蔵文化財が出るとかで熊本市が庭の一部を試掘したら、なんと石器時代の土器が出てきたのだ。その手続きや樹木の伐採、それも緑地地区のため、樹木を数本残さないといけない。境界の再測量、仏壇の魂抜き、井戸終いや家屋の解体など、ややこしいことばかり。でも煩雑な書類手続きもPDFで送り、メールのやりとりを何度か繰り返して、すべて終了。半年後の11月、決済も立ち会わずに全部、ウェブ上で済んだ。ほんと便利な時代になったものだ。
台湾の半導体メーカーTSMCが熊本菊陽町に来るとかで物件の需要はあるのだけど、半導体は水を膨大に消費するとか。阿蘇の湧き水を水源とする熊本の水道水は、夏は冷たく冬は温かい。水がいいからご飯もおいしい。そんな上質な水に影響が出ないかと、ちょっと心配なんだけど。
叔母の家は熊本駅近くの古町。私たちが泊まったANAクラウンプラザホテル熊本の真向かいにある。2016年4月の熊本地震で、お隣の寺は全壊したのに、すぐ横の叔母の家はビクともせず、無事だった。
明治10年(1877年)、西南戦争で官軍の熊本鎮台司令長官・谷干城が熊本城に50日間、籠城して薩摩藩の西郷隆盛に勝利した時の戦火が、家の二階から見えたという築150年の古い家なのだ。
5月3日、熊本駅から不動産屋に直行して手続きを済ませる。叔母の家の古い登記簿謄本と平成8年(1996年)作成の叔母の遺言公正証書正本のコピーをとってもらい、叔母の代理人に私がなる。中庭を挟んだ細長い町屋づくりの家。坪単価はよくわからないけど、急がずにお任せすることにした。
家の片づけは明日に回してホテルでチェックイン後、市電に乗って「SAKURA MACHI Kumamoto」へ。2019年にできた街中のランドマークだ。ランタンが灯る前の広場は若い人たちで賑わっていた。小籠包専門店「鼎’s by JIN DIN ROU」で、おいしく夕食をいただく。
5月4日、お世話になっている従姉妹に来てもらって家の中を片づける。中庭にイタチが棲むと聞いていたが、この日は姿を見せず、ひと安心。何棹もある箪笥や長持の中の着物や羽織袴、洋服などは処分するしかないかな。台所と中二階の屋根裏に仕舞ってある漆塗りのお碗とお膳が、なぜかいっぱいある。鶴と亀の模様も傷一つなく、きれいだ。私の祖父と祖母の結婚式を三日三晩、お座敷で執り行った時に使われたものかもしれない。芸者さんを何人か呼んで賑やかに祝言を挙げたと聞いたことがある。
そして戦後すぐ伯母と叔母が洋裁店を開いた時、昭和初期にアメリカ西海岸へ渡っていた親戚からお祝いに送られてきた足踏み式シンガーミシンが3台ある。そんな品々を不動産屋の若い担当者は興味津々で写真をパチパチ撮っている。中庭の紅葉の古木は色模様が珍しいとかで、従姉妹の知り合いがもらい受けたいとか。どなたか、もらってくださる方がおられたら、うれしいのだけど。
お寺の横、家の裏にあるお墓にお参りをする。京都深草墓園に分骨しているが、母の一周忌に、この先祖代々のお墓に納骨した。従姉妹がいつもお花を供えてくれているので、ほんとにありがたい。
片づけの後、少し時間があったので従姉妹の車で母の家の跡地へゆく。広い更地になっていて、新築の家が一軒、建っていた。またもう一軒、建つらしい。
そこから近くの水前寺公園までゆく。国の名勝・史跡に指定されている回遊式庭園。肥後細川家ゆかりのお庭。阿蘇の伏流水が湧き出る池には大きな緋鯉が泳ぎ、築山や四季折々の花が咲く。肥後芍薬が、ちょうど満開だった。子どもの頃、夏休みによく遊びに行ったことを思い出す。

水前寺公園

肥後芍薬
夜は従姉妹といっしょにホテルで夕食をゆっくり楽しむ。さてお土産も買わなくちゃ。
5月5日はレンタカーで阿蘇へゆく。一番に「葉祥明阿蘇高原絵本美術館」へ向かう。阿蘇の雄大な山々を背景に手入れの行き届いた芝生の2万坪の高原は、何度訪ねても気持ちがいい。孫は、すっかり「赤毛のアン」になった気分で絵本の森の小道を駆け回っていた。
そこから南阿蘇の「のほほんcaféボワ・ジョリ」へ車を走らせるが、着いてみると、なぜかお休みだった。木陰の奥のカフェは、ちょっと気難しい女主人と可愛い猫ちゃんがいるお店だったのに、残念。仕方なくまた戻って阿蘇パノラマラインを走り、米塚を通り抜けて草千里へ向かうが、だんだんと渋滞してくる。どうやら九州近県の人たちが車で阿蘇にやってきているみたいだ。
遅めの昼食を草千里を一望するレストラン「douce Nucca(ドゥース ヌッカ)」でいただく。広々とした草千里を、どこまでも歩く。すぐそばを馬が闊歩し、爽やかな風が体を吹き抜けていった。
帰りは熊本市内まで渋滞もなくスムーズに走り、夕刻にホテルに着く。一服して叔母の家にあった小物やお土産を荷造りする。
夕食は熊本駅のショッピング街「アミュプラザくまもと」で地元野菜と天草の新鮮な魚の和食をいただく。ああ、お腹いっぱい。あとは寝るだけの時間。

ツリーハウス

草千里

岡田珈琲
5月6日、娘と孫は駅のショッピングセンターでお買い物。その間に私一人で市電に乗って通町筋へ。お目当ては上通りの岡田珈琲。ここは母の女学校の同級生が戦後すぐ開いた焙煎珈琲がおいしいお店。女主人の息子たちが代々継いでいるのかな?
その先にある上通りの長崎次郎書店が去年6月、突然、閉店したと聞く。明治7年(1874年)創業の、夏目漱石や森鴎外も通ったという、とてもいい本が並ぶ古くて大きな本屋さんだったのに。
午後の新幹線に乗る前に、駅ビルの台湾料理店「楽川」で冷麺をいただく。たまたま3月~6月の期間限定オープンの時期だったらしい。なんてラッキーなこと。台湾・花蓮県の自社農場でつくった有機米を使い、白米、玄米、蕎麦、黒玄米など好みで選んで太麵か細麵に挽いてくれる。つゆ(タレ)も爽やかな柚子の香りが広がるさっぱりとした味で、とってもおいしい。本格的台湾料理と食品雑貨を楽しめる日本初上陸のお店を目指しているという。
慣れない日本語をしゃべる店のおじさんに「1999年6月、台湾北部・北埔(ベイプー)の烏龍茶を栽培する客家(ハッカ)の集落を訪れ、竹で囲った作業所でいただいた家庭料理の味が今も忘れられません」というと「実は私も客家なんですよ」とニコニコして、デザートをおまけに添えてくれた。台湾雑貨も2割引で、水出しティーバッグなど買って帰る。ああ、また台湾へ行きたいなあ。
6日夜、京都へ戻る。さっさと片づけを済ませて、翌日、ショートステイから帰った叔母を迎える。元気に過ごせて、とても楽しかったようだ。こちらも、ホッとひと安心。
さてさて、また日常が始まる。一日一日と歳を重ねて、ぼちぼちと生きていこう。そのためにも、みんなで元気でいなくちゃね。
今回の旅はちょっとくたびれたけど、朝も昼も夜も毎回、おいしいお食事をたっぷりといただいて満腹、満腹。そして広大な阿蘇の景色をたっぷりと堪能して、とっても気持ちのいい旅になった。
ああ、やっぱり旅はいいなあ。またどこか遠くへ行きたい。遠くの知らない町を歩いてみたい。