
遺伝性乳がん患者の「生殖に関する自己決定権」とは?
女性が自分の子どもを望むとき、その願望はどんな技術でどこまで叶えられるべきなのでしょうか?
また、健康な子どもを産みたいと思うとき、その願いは、どこまでが倫理的に妥当だと判断されるのでしょうか?
そういった問いを私たちに突きつけてくるのが、今回ご紹介したい『35歳の哲学者、遺伝性がんを生きる それでも子どもを望むということ』です。
本書の著者である飯塚理恵さんは、哲学を研究する広島大学の特任助教。タイトルのとおり、「35歳の哲学者」です。飯塚さんは、不妊治療中だった32歳のとき、遺伝性乳がんが発覚します。乳がんの治療にとって、妊娠は禁忌。さらに半分の確率で子どもに病気が受け継がれる可能性がある、遺伝性です。
それをわかったうえでも、飯塚さんは子どもを作ることをあきらめきれません。でも同時に、自分の遺伝性疾患は子どもに受け継がせたくない、とも思います。そこから、受精した胚に特定の遺伝子変異がないかを調べる、着床前診断を望むに至ります。しかし、日本では遺伝性がん患者の着床前診断は、優生思想的な「命の選別」にあたるという理由で認められていません。そこで飯塚さんは、海外で着床前診断をすることを決意しました。
飯塚さんのこの決断には、多くの批判があるといいます。
たとえば、がん患者が子どもを望むことには、「子どもを産んで終わりではない」や「親のいない子をつくるつもりか」という批判が。さらに、遺伝性疾患を受け継がせたくないという思いで着床前診断を望むことには、「子どもに親の好きな特性を付与する社会につながる」というふうに。
しかし、子どもに病気を受け継がせたくないと願うことと、生まれてくる子どもの健康を願うこと、あるいは、流産を繰り返す女性への着床前診断の適用と遺伝性がん患者の不適用、その線引きはどこにあるのでしょうか?
また、かえのきかない一度きりの人生において、遺伝性がん患者の女性のリプロダクティブライツ――自己の生殖を自分で決める権利――とはなんなのでしょうか? 叶えられる技術があるとき、それはどこまで利用すべきなのでしょうか?
生殖は、自己の意思ですべてコントロールできるものではありません。「子どもは授かりもの」という言葉があるとおり、偶然の奇跡のつらなりの果てに生まれてくるものだと思います。
ただ現実の技術を見据えたとき、私たちは、生命倫理とリプロダクティブライツの拮抗についてもっと議論すべきときにきているのかもしれません。
本書は、その手掛かりを大いに与えてくれると思います。ぜひお手に取っていただけますと幸いです。批判も含め、いろんな議論が巻き起こることを願います。
◆書誌データ
書名 :35歳の哲学者、遺伝性がんを生きる それでも子どもを望むということ
著者 :飯塚理恵
頁数 :248頁
刊行日:2025/05/14
出版社:幻冬舎
定価 :2530円(税込)