WANフェミニズム入門塾の第10回目講座が11月20日(木)に開催されました。
今回のテーマは、「女性史・ジェンダー史」でした。

3名の参加者が講義や議論を通じて考えたことや感じたことをレポートにまとめました。

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① 「女性史・ジェンダー史」講座レポート ◆ 服部なな

第10回フェミニズム塾は、女性史・ジェンダー史をテーマに行われた。

『新編日本のフェミニズム』第10巻の発刊当時に行われたブックトークの動画を視聴し、まずもって驚いたのは、義務教育で学んで以来「日本の歴史」だと信じていたものの大部分が「男性」の「権力者」の歴史であったことに初めて気づかされたことだ。私は、上野さんの著書をはじめとするジェンダー関連書籍などを読み始めてそれなりの年月を経ており、内面化された「あたりまえ」を疑うことには多少の自負があった。しかし、小・中・高校の12年間に学校で教わった「日本の歴史」に対し、自分がまったく疑いの目を持てずにきたこと、記録として残され「歴史」とする意図で構成されたものをあまりに所与のものとして信じきっていたことに、ただただ驚かされた。「日本の歴史」は大部分が「男性」の「権力者」の歴史で構成されているが、女性史やその他の民衆史が公教育で扱われないのはいったいなぜなのだろうか?

冒頭の10分間レポートでは、日本の女性史研究の歴史について戦前から現代まで、その時代に即して多様な視点からなされた女性史研究とその特徴がまとめられ、発表された。女性史について今日までその膨大な蓄積があるにもかかわらず、わかりやすくまとめられた表の形で目にしたのは、少なくとも私ははじめてだった。戦前から現代に限っただけでも、実に多様な女性史が存在する。しかし、記録に残されなければ歴史は歴史として存在することができず、誰にも知られなければ、その歴史はなかったことにされてしまう。文書での記録が少なかった女性史にとって、オーラル・ヒストリーの手法とその確立、学術的地位の向上が非常に重要な意味をもたらした。1950年代には,オーラル・ヒストリーを取り込んだ歴史叙述が,山代巴らにより 農村女性の声を拾うというかたちで遺されており(「女性史研究とオーラル・ヒストリー」(倉敷伸子)より)、新たに発掘された女性史の蓄積によって、女性史研究はさらに多様で厚みのあるものになっていった。オーラル・ヒストリーは、文書に残されていない記録の補助資料の役割にとどまらず、従来の歴史学そのものを問い直した。

女性史研究において特筆すべき点は、「エイジェンシー」の視点で歴史の中の女性をとらえなおしたことだ。上野さんは『戦争と性暴力の比較史』(2018年)の序章で「フェミニズム以後の女性史は、“歴史に女性のエイジェンシーを取り戻す”ことを課題とした。というのも、それまでの女性史は女性を単に受動的な犠牲者として描くような「抑圧史観」や「解放史観」が主流だったからである。女性史にエイジェンシーを持ち込んだ結果、女性が歴史の犠牲者だっただけでなく、加害者や共犯者でもあったことを女性史は次々にあきらかにした。」(p.11)と記した。例えば、加納実紀代による「銃後史」の発見は、戦時中の「母」が戦争の被害者でありながら、いっぽうで戦争の協力者でもあるという複雑な存在であったことを指摘し、犠牲者一辺倒だった戦時下の母像を根本から覆した。

戦時中の女性の被害と加害についての対談の中で、加納は「選挙権をもたない銃後の女性は、男性がはじめた戦争のシステムに巻き込まれた被害者といえるが、いっぽうで侵略された側の国からすれば加害・戦争協力の側面がある」ことを指摘した。「「被害」と「加害」の二重性をもつほうが単なる「被害者」であるよりよほどつらい。(中略)戦争に動員されたという受け身だけでみるのか、それとも受け身でやったことではあっても結果的に侵略戦争を支えたという結果責任を引き受けるのか。」ここで指摘される「被害と加害の二重性」を認めようとせず、そのつらさに耐えられないことが、今日にいたっても戦後処理が終わらない日本が抱えるさまざまな問題群へとつながっているように思えてならない。

『戦争と性暴力の比較史へ向けて』の最終章「エイジェンシーと語りの正当性」のなかで取り上げられた「犠牲者意識ナショナリズム」という言葉がある。歴史家のイム・ジヒョンによる概念であり、第10回フェミニズム塾の直後に、ちょうど新聞記事に掲載されていた。昨今、世界を覆うナショナリズムはかつてのナショナリズムから変質しているという。

ジヒョンによると、「20世紀末から21世紀初頭、ナショナリズムの中心が「英雄」から「犠牲者」へと移り、「犠牲者の継承者として自分を歴史の物語の中に位置づける」ことによって「「自分が道徳的に正しい位置にあると主張」できる。「我々は犠牲者である」という国家の自己規定は、自分たちが受けた被害に比肩する被害などありえない」という思考にエスカレートすると、他者の痛みへの共感の縮小や無効化を招く。「犠牲者でもあり、同時に加害者でもある」という立場を受け入れられない「犠牲者意識ナショナリズム」の背景について、ジヒョンは「自分が犠牲者なのか、加害者なのか、境界線は個人の中にあり、この件では被害者だけれど、別の件では加害者であるというように個人の内部で整理されている。しかし、犠牲者意識ナショナリズムは、境界線を国家単位へと引き直す「魔法」を働かせる。被害を受けた国民・民族に属していれば、同じ個人が加害行為に関与しても「犠牲者の壁」に隠れることができ、被害者意識は消える」と指摘する。(朝日新聞2025年11月20日朝刊11ページ掲載『世界を覆う「犠牲者意識ナショナリズム」』)犠牲者意識ナショナリズムは、自国の加害者としての面を無視し、被害者としての面だけを主張する。単純に国民や大衆を団結させるための手段としては都合がよいかもしれないが、この主張をふりかざすかぎり他国との共存や友好的な関係を望めないのは明らかだ。

女性史の研究の発展によって、男性史、日本史もまたそのありようを問い直される。フェミニズムが女性史に「エイジェンシー」を持ち込んだように、男性史である日本史に同様の視点を取り入れれば、被害者でもあり同時に加害者でもある日本人の多重性がいやおうなしに浮き彫りになるはずだ。その多重性を認めて責任を引き受けるところからスタートしなければならない。その意味で、日本の戦後処理は、まだスタートにすら立てていないのが現状だ。

歴史は、その出来事を見る人の視点・語り手の視点によって、その姿を変える。語り手の視点の数だけ歴史が存在することから、歴史とは、元来多重性をもつものだ。しかし、権力者のただひとつの視点から見れば歴史は至極単純なストーリーになる。歴史は、大衆が共有できる単純でわかりやすいストーリーであるほうが権力者にとっては都合がよく、その意味でナショナリズムと親和性が高い。実際には被害者であり同時に加害者でもある複雑な存在だったとしても、それでは大衆に共有されるわかりやすい都合のよいストーリーにならない。公教育において、女性史をはじめとする多様な民衆史を扱わない理由は、ナショナリズムにとって都合が悪いからというのもあながち間違いではないだろう。

自国の歴史をさまざまな視点からとらえなおすことにより、自国の在り方の多重性、そこに住む人々の多重性、自己の多重性を理解することが可能になる。自国の歴史が、権力者の視点からしか語られないのではあまりに貧困だ。自国の歴史について一面的な見方しかできないことは、自国と関係する隣国との歴史についても浅い理解しかできないことにつながる。自国の歴史について多様な視点から重層的に学ぶことは、隣国や世界の国々と共存を図る上でも欠かせない学びだが、何より自分の国の歴史をより深くとらえなおすことが、自分の国の現在、ひいては自分の現在をよりよくすることにつながっていくのではないか。

先のイム・ジヒョンの記事は「歴史和解への第一歩として「加害と被害が重層的に存在することを引き受け、学び続ける先にしか和解への道はありません。」という言葉で結ばれている。歴史をどのように学びなおすのか。女性史研究によって発掘された知られざる歴史、語られてこなかった新たな視点からの歴史に出会うことから、まずは学びを始めていきたい。                      

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② 歴史の民主化・複線化について ◆ 明石曉子

【歴史の民主化・複線化という衝撃】
私はこの新編日本のフェミニズム第10巻女性史・ジェンダー史を読んで、それから指定の動画を見て仰天した。とりあえずフェミニズムを脇に置いて、オーラル・ヒストリーの存在とその立ち位置に驚愕した。

女性学と、その女性学が用いた手法であるオーラル・ヒストリーがもたらしたものを、
上野千鶴子さんは、「歴史の民主化・複線化」という。
加納実紀代さんは、「歴史は多面体」という。

「歴史は多面体」という表現は直観的にイメージが湧いた。ある歴史の事象を、ある人の側が見たらA、別の人の側が見たらB。見方によって、異なるように見えるということをあらわしているように思う。

 これに対して、「歴史の民主化・複線化」とは、最初何をいっているのかわからなかった。上野さんはフェミニズム入門塾の講義や『ナショナリズムとジェンダー 新版』の中で、歴史について以下のように語る。
「歴史は誰かが意思を持って掘り起こす」
「歴史は何度でも書き換えられる」
「歴史とは『現在における過去の絶えざる再構築』である」
「歴史に『事実fact』も『真実truth』もない、ただ特定の視角からの問題化による再構成された『現実reality』だけがある」
「歴史とは集合的記憶の別名であり、記憶は選択的記憶と選択的忘却の集合であり、したがって語り手によって異なるバージョンがあり、語り直しもある」
「『多元的な歴史』を認めるということは、『現実』がひとつではないこと、他者にとってはまったくべつな『現実』がありうることを、受け容れるということである」

 歴史において、邪馬台国の場所のように諸説あって、定まっていないこともあるだろうが、多くの場合、歴史の教科書に書いてあるように一定のコンセンサスがあるものと、考えていた。「歴史の民主化・複線化」をキーワードにしてよくよく考えてみると、従来の文書史料至上主義に拠った歴史;正史は、誰のために書かれたものであったのか?それは、書き残すための文字という手段を持ち(独占し)、保存すること・後世に残すことに執着した支配権力側のために書かれたものである、その通りだと思った。

 「『文書史料』とは、権威によって正当化された資料、支配権力の側の史料の別名である」と、同書の中で上野さんは言う。

私は歴史の何を見ていたのか?そして何を見ていなかったのか?ヒロイズムに安易に乗っかっていた自らの拙すぎる歴史観は、さくっと吹っ飛んだ。漫画名探偵コナンの決め台詞である「真実はいつもひとつ!」ではないことは、さすがに半世紀生きていたら気づいてきた。でも何なのだろう?真実という甘美な響き、憧れ、罠、ないものねだり感。

『ナショナリズムとジェンダー 新版』は初出が1996年、今から約30年前である。いやもっと前から、柳田國男や宮本常一らが提唱した民俗学が勃興した戦前戦中戦後から(もっともっと昔にもそんな視点で歴史を考え語った人は、私が不勉強なだけで、いたに違いない)、その後も特に地域女性史、生活史、自分史が盛んになった1970~1980年代から、Master narrativeに相対するCounter narrativeは既にあったのに、私は何を見てきたのだろうか?

【オーラル・ヒストリー】
同書によれば「女性史は、まず文書史料至上主義批判から出発した。なぜなら、『書かれた歴史』の圧倒的不在というところからしか女性史は出発しなかった・・・中略・・・女性史はオーラル・ヒストリーに向かった」とある。オーラル・ヒストリーをめぐって文書史料至上主義の既存の歴史家との壮絶な戦いが繰り広げられたことが容易に推察される。さらに同書によれば、文書史料至上主義がオーラル・ヒストリーの問題点として挙げた4点;①忘却と記憶違い②非一貫性③記憶の選択制④現在における過去の想起。これらいずれもがオーラル・ヒストリーだけが抱える問題点ではない。文書史料にも当てはまるものである。歴史は、修正不要な、一分の隙もない完璧なものではなくて、上記の問題点をひっくるめたものであり、その上に立脚して吟味してゆく必要があるのだろう。

佐藤信編[2025]『オーラル・ヒストリー入門』にも、過去の体験を聞くオーラル・ヒストリーは、「公的な記録や著作物には庶民の姿や視点がない点に違和感を持った人びとが、庶民の体験を記録に残そうとせず、時には意図的に不可視化しようとする力に抗って立ち上げた」とある。

新編日本のフェミニズム第10巻女性史・ジェンダー史が出版された2009年には、既に日本オーラル・ヒストリー学会は設立されていた(2003年)。しかしまだ文書史料至上主義との戦いの最中であるという印象を受けた。これと比して『オーラル・ヒストリー入門』を読んでみて、オーラル・ヒストリーの存在がかなり大きなもの、定着したもの、当たり前のものになっていると感じた。オーラル・ヒストリーが歴史学にとってマストな存在であることが前提で、30代40代の学者達によって執筆された、オーラル・ヒストリーを実践したい人への実用書という趣の本であった。オーラル・ヒストリーの最大公約数としての像、実際に聞き取る時の手順、必要な機材、依頼状や合意書の書式まで記載されている、実践的・具体的なガイドブックであった。ガイドブックが出版されたということは、まだオーラル・ヒストリーの実践方法が十分に広まっていないことを意味すると同時に、オーラル・ヒストリーそのものの歴史学における存在感は、疑いようのないところまで到達していることを意味するのではないだろうか?

【民主化・複線化した歴史は、SNSで無限増幅する?】
「歴史の民主化・複線化」ということは、人の数だけ歴史があるということになる。誰しもがSNSという自らを語り、広く発信するツールを手に入れた。誰しもが日々オーラル・ヒストリーを実践しているとも言える(正確には、第一にオーラル・ヒストリーが大切にする語り手と聞き手の関係性、それがないSNSでの発信は一方的なものであること、第二に保存を前提としているか?第三に語り手が歴史認識のもと語っているのか?など、佐藤信が同書で語るオーラル・ヒストリーの最大公約数に、SNSの発信というものを照らし合わせると、根底に関わる問題点がありそうだが)。

この複線化がすすんだ歴史の未来を想像してみた。人の数だけある膨大な歴史はどうなってゆくのか?

最大のメリットは、支配権力側が歴史を独占できない、言論統制、焚書坑儒したくても、簡単には消し去れない、隠滅できないメリット、これに尽きる。とは言え支配権力側がその気になれば、あの手この手でデジタルプラットフォームの抹殺に勤しむだろうが、それでも無数の個人が持つその文字、音源、映像を完全に抹殺するのは不可能だ。

複線化がすすんだ歴史のデメリットというか、問題点を考えた。第一に複線化したが故の、溺れる位膨大なデータの取扱い方である。どのデータを採用・保存し、何を却下・忘却するのか?データの交通整理、取捨選択が分析者の仕事、腕の見せ所になるのか?フェミニズム入門塾の講義の中であったように、歴史を語る視点が大事なのだから、自らの視点、問いが定まれば、たとえデータが膨大であったとしても、自ずと採用するデータの吟味は可能なのだろうか?第二に、デマ・フェイクのさらなる横行、陰謀論・歴史修正主義の台頭である。歴史の複線化の在りようは、デマ・フェイクを自分にとっての真実だ、と主張する陰謀論者・歴史修正主義者の正当化に利用される可能性がある。第三は、互いが主張する歴史の衝突、分断のさらなる可視化、激化である。ついつい分断を怖れてしまうが、その逆の統一とは、抑圧され、我慢している人がいるということ。抑圧・服従を強いるための統一を押しつけられるのは、まっぴらごめんだ。とすると分断はヨリマシの選択肢となるのか?一糸乱れぬ行進を美しい、カッコイイと感じるのではなくて、統一感こそ胡散臭いと感じ、その裏で繰り広げられる抑圧に思いをはせるという信条を大切に持っていたい。

【歴史学のボーダーレス化?】
フェミニズム入門塾の講義の中で、歴史学の対象は変容し「記憶史」「感情史」「文学史」「1人称の歴史」の存在を知った。こうなると歴史学、哲学、宗教学、文学、心理学、社会学、民俗学、文化人類学などの垣根がなくなるのか?歴史学の守備範囲が広がり、その輪郭があいまいになるのか?さらに人間学、人間総合(高校の歴史授業の歴史総合ならぬ)としておまとめすることになるのか?考えてみれば、そもそもこんな区分けも過去に人が行ったもの。歴史が現在における過去の想起、なのであれば、過去の区分に囚われず自由に歴史を考察していいじゃないか。

歴史学が時間軸において絶えず上書きされるという不安定さを持ち、他の分野との境界が不明瞭なものだったとは、今まで考えたこともなかった。現在の歴史学が持つ不安定さ、不明瞭さに、私は耐えられるだろうか?受け入れることができるだろうか?享受できるだろうか?いや、おもしろい、おもしろすぎる。「唯一の真実」を求めて安易に納得して喜ぶような姿勢を放棄し、無限に更新され続ける歴史、輪郭がぼやけている歴史学に学ぶ覚悟を持ちたい。

【私が追い求めたい歴史は何か?】
自分が、オーラル・ヒストリーを実践してみたい(みたかった)対象は何なのか?

ズバリ、母である。けれど今年他界した。遅かった。生前の母には、私の知らない前半生を尋ねることが憚られて、聞けないままになってしまった。ややこしい出自のもと生を受け、長崎で終戦を迎えた母。こうやって無数の歴史は、記録されないまま消えていくのか。とはいえ、方法はある。母の知人に聞き取りをする、故郷での母の足跡を辿る、長崎の史跡を訪ねる、さらにそれこそ「前半生を語ることなく亡くなった母の想い」や「母にその前半生を聞くことを躊躇った自分と母との関係性」を考察するなどだ。上野さんお勧めのイヴァンカ・ジャブロンカ著「私にはいなかった祖父母の歴史」が週末に届く。ヒントを求めて読んでみようと思う。

2025年は、私の歴史学元年。歴史学入門は始まったばかりだ。

<追記>
銃後史という分野を確立し、15年戦争における女性の加害性を明らかにした加納実紀代さんという大きな存在を、今回知った。広島にある「加納実紀代資料室サゴリ」に必ず行こうと思う。

【参考文献】
上野千鶴子[2012]『ナショナリズムとジェンダー 新版』岩波書店
佐藤信編[2025]『オーラル・ヒストリー入門』筑摩書房
上野千鶴子[2012]『生き延びるための思想 新版』岩波書店
宮本常一[1984]『忘れられた日本人』岩波書店
網野善彦[2005]『日本の歴史をよみなおす(全)』筑摩書房
国立歴史民俗博物館監修、「性差の日本史」展示プロジェクト編[2021]『性差の日本史』集英社
加納実紀代[2019]『女たちの<銃後>』インパクト出版社

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③ 第10回女性史・フェミニズム史 ◆ 福澤美幸

ドキュメンタリー映画「黒川の女たち」「女性の休日」を観て、皆さんどう思われたでしょうか。私は、謂れのない差別と偏見に涙し、恥だと思ってという家父長制満載の言葉を放ったおじさんに憤りを感じた一方で、勇気をもらい、前に向かうエネルギーをため込んだ作品でした。これらは、まさに、貴重な歴史の継承だと思いました。

私の中で差別・偏見・引け目を感じていることがあります。女で生まれたこととともに東北という‘みちのく‘で生きていることも一つです。今は、だいぶ薄れてきていますが、東北という周縁化された地域性からくる、辺境という感覚を昔から脈々と染み入るものがありました。中央ではなく、東北人だからという引け目が幼いころからありました。そして、女であることによって、必ずしも男が先、女は次、男はできても女だからしてはいけない、というものが生活を占めていました。それもこれも、今までの歴史があって今があり、そのような歴史は、当たり前のように知らされず、当たり前のように隠されてきて見えても見えないものになっていました。苦しみと歯がゆさが東北の人間そして女ということから私の歴史は始まりました。

学生のとき教育系の学部だったので、歴史学を学ぶ時間は少ないなかでも卒論は、日本史でした。ただ、テーマを決めるとき、通史の中から興味のある所はどこかと教授に問われました。通史を見つめたとき書物に取り上げられているのはいわゆるマルクス史観です。資本主義の経済史、とてもピカピカで中央っぽいにおいが満載で主流に見えました。周りの学生はもちろん男子学生で女子学生は私ともう一人だけでした。周りでピカピカの歴史に挑んでいる様子を見ていると、周縁化の中で育った自分もピカピカの歴史を学び、認めてもらえるのだと思って卒論にしたものでした。もう一人の女子学生とは、上野千鶴子さんの話題でよく盛り上がっていました。友人は、ピカピカの歴史より女性を焦点に合わせた歴史を研究し始めました。ピカピカでなくていいのかと問うこともありましたが、女性史に焦点を当てていました。ただ、文献資料があるものとして娼婦の歴史を紐解くことになりました。差別・偏見、周縁化にもがいていた私として、女性学そして女性史が気になる存在そして人生の課題になりました。いろいろ調べているうちに地域女性史大会が山形で行われたという文献を見つけ、そこで上野さんが講演をなさったものをバイブルのように読んだものでした。

何年か前、労働組合の女性部が様々な事情があり、発展的解消する際に、アドバイスを兼ねながら上野千鶴子さんからご講演頂きました。そのとき、上野千鶴子さんから加納実紀代さんの「銃後史ノート」をご紹介いただきました。戦争時の女性は被害者だという意識が私の中に占めていたということもあり、?マークが頭の中に浮かんでいました。しかし、加納さんの書物を少しずつ読み始めていくと、確かに、私たち女も戦争に加担していること、加害性をもつことを学びました。まだ一歩踏み出したところで、「女性の休日」から得た勇気と行動力で歴史を紡いでいきたいと思います。

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