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何度目かの「噂の二人」 荻野美穂
2009.07.13 Mon
今年、新しく移った大学では「クイア研究」の授業を担当することになり、テキストとしてVicki L. Eaklor, Queer America: A GLBT History of the 20th Century (Greenwood Press, 2008) を読んでいる。19世紀末から現在まで、アメリカでの同性愛を中心とした性的マイノリティについての概念の変遷や社会での扱われ方、当事者たちの運動について書かれた本で、この100年ほどの歴史的な変化の大きさがよくわかる良い本だ。
ただ、ものごころついてまだ20年そこそこの若い学生たちには、歴史的変化といっても実感的にはわかりにくいので、何回かに1回は同性愛者が登場する映画を観ることで、時代によって同性愛の描かれ方がどのように変わってきたかを感じとってもらえたらと考えた。この本にはビブリオグラフィとして、文献資料だけでなく映画とドキュメンタリー作品も多数リストアップされていて、その点でもよくできていると思う。
第1作として先日、1961年公開の「噂の二人」(監督ウィリアム・ワイラー、主演オードリー・ヘップバーン、シャーリー・マクレーン)を観た。原作は1934年にブロードウェイで上演されたリリアン・ヘルマン作の舞台劇「子どもの時間」で、レズビアニズムがテーマだったため、他の地域では上演禁止になったという。映画の公開当時、私は高校生だったが、当代の二大スターの競演にもかかわらず、地味で、しかもタブーとも言えるテーマを扱っていたためか、興行的に成功せず、評価も高くなかったようだ。日本ではヘップバーンは今でも人気があるが、彼女がこうした問題提起的で、ある意味でリスキーな映画に出演していたことを知っている人は少ないのではないだろうか。
私は前に少なくとも2度、この映画を観ているはずなのだが、今回改めて観て、自分の思い違いに気づいて愕然とした。マーサ(マクレーン)とカレン(ヘプバーン)が共同経営する寄宿制女子校で、生徒の1人が2人はレズビアン関係にあるという噂をふりまいたために、学校は閉鎖に追い込まれ、カレンは婚約者の男性とも別れる。結局は噂が嘘だったことが明らかになるのだが、にもかかわらず自分の心の中にカレンへの愛があったことを自覚したマーサは自殺してしまう。問題はマーサの葬儀の後の最後のシーンで、私はこれまで何となく、カレンはかげから見守っていた元婚約者の男性と一緒にその場を去っていくと記憶していた。だが実際は、彼女は毅然と頭をあげて1人で歩み去るのであり、その直前には彼女がマーサの愛をうけとめたことを示唆する場面もあった。
前に私がこの映画を観たのはかなり前なので、この思い違いは、近ごろますます進んでいる老化による記憶力の衰えのせいではない。たぶん当時の私は、カレンは一生懸命に彼女を支えようとした婚約者と別れなかった方が幸せになれるのにと思っていて、無意識のうちに2人が再び結ばれるヘテロセクシュアル・ハッピーエンドを思い描いてしまったのだろう。
映画というのは、1回目はとかく筋を追うのに忙しく、なかなか科白の微妙なニュアンスや細部のしかけに気づくところまではいきにくい。好きな映画、気になる映画はDVDで何度でもくり返し観ることで、そのたびに新しい発見があったり、以前とは違う感想や評価が生まれたりすることを、再確認した経験だった。
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