2009.07.24 Fri
96.2%。何の数字だろうか。これは、結婚するときに夫の氏を「夫婦の氏」としたカップルの数である。夫の氏、妻の氏のどちらかを夫婦の氏とする制度であるにもかかわらず、圧倒的に夫の氏である。なぜだろう。 かつては、明治時代の家制度のなごりから、妻が夫の家の「嫁」として夫の氏を名乗ったり、「男は仕事、女は家庭」という生活では、仕事をする夫の氏を改めるわけにはいかないなどの事情があったのだろう。特に考えることもなく、当然のように、あるいは喜んで結婚改姓する女性も多いだろう。
ところが1980年代後半、結婚しても自分の生来の氏を名乗る夫婦別姓カップルが社会的に注目された。1996年には、法制審議会が、結婚に際して、夫婦同氏、夫婦別氏を選択できる制度を含む民法改正案要綱を答申した。会社員、公務員として名刺を持って働く女性が増加したことも影響しているが、「人格権」という法的な考え方も支えとなった。
在日韓国人の崔昌華さん。彼の氏名をどう読めばよいのだろう。彼は、ニュース報道で「サイ・ショウカ」と読まれたため、自分は「チォエ・チャンホァ」であるとして、放送局に対し日本語読みをしないでほしいと頼んだ。しかし、受け入れられなかったため、精神的に苦痛を受けたとして損害賠償の訴えを起こした。求めた賠償額は1円である。民族としての誇りを取り戻すための異議申立てだった。
裁判では、日本語読みが違法かどうかが問題となった。最高裁は、「氏名は、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成する」と述べ、正確に呼ばれる権利があるとした(1988年2月16日判決)。この裁判を契機として、各メディアは日本語読みを改めた。
氏名には一人ひとりの思いが込められている。その思いを大切にする権利が「人格権」なのである。だから、結婚に際して、改姓したくない人にも改姓を強制する制度は、人格権の侵害として許されないのである。
世界を見渡してみると、同氏、別氏、結合氏(夫の氏と妻の氏を併記する)の中から、個人の選択に任せる国々が増加しており、同氏を法律で強制していたタイ、トルコも法改正をした。確かに夫婦や親子は同じ氏の方が一体感があると言う人もいる。ファミリーネームとして定着もしている。しかし、同氏による一体感を必要としない人にまで、同氏をおしつけるのはおかしい。
内閣府の世論調査(2006年)によると、別姓問題を身近に感じている20代~50代では、別氏が選択できる法改正に賛成42.5%、反対25.1%、通称として旧姓使用を認める29.4%であり、4分の3が、何らかの形で夫婦別姓が実践できるようにすることを望んでいる。
反対派の人たちは、個人の主観ではなく、氏名は人格権であるという法的な考え方を踏まえた議論をすべきである。自分の生来の氏を名乗り続けることに、自己のアイデンティティを見出す人たち、個人としての生き方を尊重し、対等な夫婦関係を築く思いを託す人たちの願いに応えるために、一刻も早く法改正をすべきである。
前述の民法改正案要綱を支持してきた民主党に、政権交代のチャンスが出てきた今こそ、他の政党と連携しながら、法改正の実現へ向けてリーダーシップをとってほしいと思う。少数であっても理のある主張には、耳を傾けてほしいと思う。 (立命館大学法学部教授)
カテゴリー:ちょっとしたニュース / 夫婦別姓
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