エッセイ

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二つの『ミルク』:ドキュメンタリー『ハーヴェイ・ミルク』(1984) と映画『ミルク』(2008)のあいだから見えてくるもの      岡野八代

2009.07.30 Thu

 映画『ミルク』が日本で公開され、合衆国で初めてゲイとしてサンフランシスコ市の公職に選出され、その結果、1978年に同僚に殺害されたハーヴェイ・ミルクの名は、日本社会においてもようやく多くの人に知られるようになった。しかし、同性婚やシヴィル・ユニオン法などの整備がまだまだ現実的な政治課題となりにくい日本では、同性婚の是非が大統領を選出する際の判断材料の一つとなるほどの合衆国において、70年代の同性愛者たちが置かれていた状況について想像することは難しいかもしれない。 1998年、男が銃をもってアパートで暴れているという通報を受けたテキサス州の保安官が、男性二人のセックス現場を目撃。二人はテキサス州のいわゆるソドミー法(主に同性同士の性交渉を禁止)に違反した現行犯として、その場で逮捕された。これが、その後同性愛者の権利に関する重要判例となるLawrence 事件の発端である。

 二人の男性が逮捕される際、寝室にいた男性二人以外にも、そのアパートのリビングには、もう一人彼らの友人がいた。そこで事件については、アパートに保安官が入ってきた際の騒動を聞いているはずなのに、なぜ二人は、保安官が寝室に押し入るまでセックスを止めなかったのかなど、逮捕時の手続きや検察側の証言をめぐって、いまだ解かれない疑念が残っている。だが、その後本件は、そもそものソドミー法の違憲性をめぐって連邦裁判所で争われ、2003年、連邦最高裁判所はようやく、「正しくない」性行為を聖書の戒めに基づいて犯罪化するソドミー法が違憲であると判決した。当時、テキサス州を含む13州にソドミー法は残っていた。

 合衆国だけに限らず、西欧社会ではかつてソドミー法を制定していた国は多く、隣国カナダにおいても、1960年代までは、たとえば同性愛者の移民は共産主義者同様に入国拒否できる、国家安全保障上を脅かす存在として位置づけられていたほどであり、同性愛者たちは公職からも一掃される対象であった(1969年に廃止)。

 Lawrence 事件のあらましからも分かるように、ソドミー法は行為を禁じる法である限り、現行犯逮捕、つまり警察が寝室に押し入るようなことがない限り、ほとんど適用されない法である。実際に、Lawrence 事件以前の20年以上、この地区でソドミー法違反による逮捕はなかった。

 だからこそ、というべきか、同性愛者と目される者たちは、警察からの嫌がらせや差別的取り扱いはもとより、社会的にもあからさまな侮蔑、抑圧、差別を受けざるをえず(合衆国では1969年マンハッタンでの、ストーンウォール事件が有名)、多くの者は、同性愛者であることを隠して社会生活を送ることを余儀なくされた。

 彼女たち・かれらにとって、隠さなければならないからこそ、自らの内奥に秘めざるを得ない感情(情念・愛情)は、晒されれば傷つきやすく、だからこそいっそう、重要ななにものかとして、強固に自らの内に閉じ込められることになる。

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60年代から70年代にかけて、公民権運動や女性解放運動と並んで、同性愛者たちもまた解放運動を繰り広げる。彼女たち・かれらにとっての解放とは、社会的抑圧ゆえに自ら閉じ込めていた感情を解放すること、自らを隠しているからこそ陥っていた孤独からの解放であった。そして、ミルクこそ、同性愛者であると公言することの政治的意義を自らの実践によって示し、合衆国中の同性愛者に呼びかけ、自殺に追い込まれる同性愛者たちを助け、幅広い連帯を促した人物であった。

 ミルクが公職についていた頃の活動については、1984年のドキュメンタリー映画が新版となってDVDで容易に手に入ることになった。1984年と2008年という二つの『ミルク』が作成された時代には、ある共通項がある。

 ドキュメンタリーの作成時は、ドキュメンタリーにも登場するカーター民主党政権が1981年に終わり、その後1993年まで続く共和党政権の時代、70年代を否定する反動の時代の始まりであった。例えば、ソドミー法は合憲とした1986年のBowers 連邦最高裁判決によって、同性愛者たちは、憲法上の権利としてのプライヴァシーの権利を否定された。

 また、2008年の『ミルク』は、2004年の大統領選挙時に、多くの州で婚姻は男女一人ずつのカップルに限る、と州憲法に書き加えることが住民投票によって可決されたことに象徴されたように、伝統的な家族を死守することを党是とする、ブッシュ共和党政権の時代を通じて作成されている。

 マイノリティの運動が、抑圧の歴史を振り返りつつ、現政権への批判をも伴って、このように幾度もテーマ化されるところに、合衆国の魅力の一つがあることは間違いないだろう。政権交代が現実味を帯びてきた日本社会において、ミルクからわたしたちはどのようなメッセージを受け取っているのか、いないのか。二つの『ミルク』は、わたしたちの権利意識や政治性を映す鏡ともなっている。








カテゴリー:ちょっとしたニュース

タグ:LGBT / 映画 / 岡野八代 / 同性愛 / レズビアン / ゲイ