2009.09.06 Sun
大方のメディアの予想に違わず、308議席獲得と圧倒的多数でもって、2009年総選挙は民主党が勝利した。すでにメディアは、社民党・国民新党との連立政権樹立のための政策確認をめぐる合意内容や、それに関わって、民主党の安全保障・外交政策、党内人事など、政権交代が今後、どのような形で現実の政治運営へと結実していくかを論じている。
政権交代が可能になった背景については、多くのメディアでも論じつくされた感もあるが、55年体制を振り返るという長いスパンから、今回の第45回総選挙がなぜ、歴史的大転換(となりうるかどうかは、今後の民主党政権の手腕にかかっているが、その端緒となったことは確かである)と言えるのか、簡単にだが考えてみたい。 なお、今から論じる日本政治の総括については、宮本太郎著『福祉政治――日本の生活保障とデモクラシー』を参考にさせていただいている。
今回の総選挙で民主党の圧勝を導いたのは、社会保障・雇用・景気の三大イシューだと考えられている。こうした関心と、「衆院選は「女性」が争点」と題してWANで行われたアンケートとは、どのような関係にあるのだろうか?民主党から女性議員が多く当選し、ようやく衆議院議員数が10%を超えた現在、民主党圧勝の背景にある諸問題と女性とを結び付けて考えてみることは、大切なことだと思われる。
60年代から90年代までの日本社会の特徴は、北欧並みの低い失業率(言うまでもないが、労働力人口には含まれない専業主婦は、失業者には含まれない。日本の労働力調査が男女別の二重基準になっている点については、伊田久美子さんの記事「なぜ女の労働は見えないんだろう?:ワーキング・ディペンデント?」を参照されたい)と 、社会保障支出のアメリカ並みの低さ(95年以降の伸びのほとんどは、年金と高齢者医療で、家族や若年層向けの支出は横ばい)、そして、他国と比較して突出して高い公共投資の割合である[宮本前掲書、24頁、77頁を参照のこと]。
以上の三点は、いわゆる「日本型福祉社会」と呼ばれた政策の特徴、すなわち、政府ではなく企業任せ、しかも産業別に分断された福祉政策の特徴をよく表している。70年代に確立したこの「日本型福祉社会」は、福祉政策を雇用政策で代替させることを特徴にしているが、他方で、それは、福祉国家に対する強い反発から生まれた考え方でもあった。宮本は、75年に『文藝春秋』に掲載された、福祉国家を批判するグループ1984年と名乗る匿名論文「日本の自殺」の中から、つぎの言葉を引用している。
「家族のために心をこめて食事を作り、セーターを編む喜びを忘れた主婦たちがいかに多いことか」(宮本前掲書、98頁より引用)。
雇用政策だけに重心をおく「日本型福祉社会」は、その裏で強い家族主義を必要とし、男性稼ぎ手を中心とする家族主義は、家族政策・子育て支援・育児手当に代替するものとして重視されてきた。じっさい、だからこそ日本の家族は、「福祉における含み資産」と呼ばれてきたのだった。
すなわち、公共事業や行政指導によって、企業が容易につぶれないしくみを作ること、自営業者や農家については、税法上の優遇措置を行うことで、諸個人の福祉を実現しようとしてきたのが、自民党政治であった。
そうした歴史こそ、今回の総選挙において自民党が、批判や嘲笑を買うことが容易に想像されたにも関わらず、「責任力」を掲げた理由だと私は考えている。つまり、そこには、〈わたしたちの言うとおりにしていれば、悪いようにはしない(し、これまでだってしてこなかったでしょう)〉という、自負が込められていたのである。
しかし、〈悪いようにされない〉のは、日本における企業文化と、企業人間と企業人間ではない人々(子ども・高齢者など)の福祉を無償で担わせようとする男女性別役割分業に異論を唱えないような、〈わたしたちの言うとおり〉になる人々だったのである。
フランス革命を目の当たりにしたメアリ・ウルストンクラーフトは、かつて次のように述べた。
男性は、自分の自由を求め、そしてまた自分自身の幸福に関しては自分で判断することが許されるべきだと主張しますが、その時に、女性を服従させるということは、たとえそれが女性の幸福を増すのに最も良く工夫された方法だとあなたが堅く信じていようとも、筋が通らないし、かつ不正ではないでしょうか『女性の権利の擁護』。
肝炎訴訟の団長や、地方議会で活躍してきた女性議員たちが選挙で闘った自民党派閥の領袖たちは、国民全体の幸せの前に、かれらが善いと信じる日本社会の文化に合わない人たちの声を、かき消してきた人々である。解散が決まって、麻生首相が関連企業にあいさつ回りを繰り返したことに象徴されているように、自民党政権は、生き方が多様化し、さまざまな価値観を抱き始めた市民の実態に目を向けてこなかった。かれらが市民に向かって言えたことは、〈自民党に任せてください!〉という意味での、「責任力」だったのである。
民主党が政権与党となった今、自民党に任せてきた、社会保障・雇用・景気の在り方が根底から変革されようとしている。しかしまた、60年代以降、雇用政策を中心にした企業社会日本に、わたしたち市民もまた慣れ親しんできたことを忘れてはならない。公共事業に頼ってきた地域産業、家族賃金が当たり前だった正規労働者、サラリーマンの税に対する不満を解消するために導入された配偶者特別控除を自らの労働に対する対価だと信じてきた専業主婦、自民党が守ってきたこれらの存在が、さまざまな生き方に個別に応答していく政治に対する期待の前に、これまでのような扱いを否定されようとしている。
今後4年間、わたしたちが選んだ民主党政権は、これまでの政治、日本の現状、そして変革の経緯について、事細かに市民に説明し、自らの政策を説得していかなければならない。
政治はいま、「責任」から「説明責任」へと位相を変えたのだと思う。この変化の中に、市民と議会制民主主義とのつながりが育まれることを、私は期待している。
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