エッセイ

views

1002

09年総選挙を終えて――“女性”の代表とジェンダー   辻 由希

2009.09.16 Wed

 今回の衆議院選挙で、女性の衆議院議員は54人と、過去最多を更新した。先に認めてしまうが、私は女性の当選者の数が増えたと聞くと、まず単純に「うれしい」「良かった」と思ってしまう。そのような心情を知人にもらすと、きまって「たとえ○○のような人でも当選して嬉しい?」(○○には、サッチャー元英首相や保守派、タカ派と言われる女性政治家が入る)と訊かれる。そして私は、そのような問いの立て方自体に何かもやもやとした居心地の悪さを感じつつも、それが何なのかうまく指摘することができず、「うーん」とうなってしまう(そうすると質問した人はきまって嬉しそうにするのであるが)。 第二次世界大戦直後の1946年に行われた衆議院選挙では、大選挙区制のもとで女性の当選者は39人にのぼったが、それ以降1980年代末まで、女性の衆議院議員の数はずっと低迷を続けていた。参議院の女性議員数は1980年代半ばから増加しはじめたのに対し、衆議院の女性議員は、1989年時点で7人にとどまっていた。しかしその後、12人(1990年)、14人(1993年)、23人(1996年)、35人(2000年)、34人(2003年)、43人(2005年)、そして54人(2009年)と、1990年代に入って急増している(もちろん、衆議院全議席480に占める女性の割合は、いまだに11%超と少ない)。

 前回、2005年の衆議院選挙では、小泉純一郎元首相によって擁立された女性の候補者が、郵政民営化法案に反対した自民党(元)議員の選挙区に「刺客」として送り込まれたり、比例区の名簿第1位に指名されたりした。今回の選挙では、同じ戦略が民主党の小沢一郎代表代行によって採用されたといわれる。自民党の森喜朗元総理や、公明党の太田昭宏代表の選挙区に、若手の女性が立候補し、メディアの注目を集めた。この2つの選挙に共通するのは、女性候補者が、「古い永田町政治」に対抗する「新しい政治」を体現するものとして、党側から位置づけられたということである。同様にメディアも、政治的キャリアの長い男性候補者と若手の女性候補者の対立に、古い政治と新しい政治の対立を重ね合わせる形で報道し、注目をあびた。

 では、「古い政治」と「新しい政治」のそれぞれの内実とは何なのだろうか。「女性」が「新しい政治」を代表/表象するものとして提示されるのは、現在の日本が直面している政治的・社会的課題と密接に関係している。

 1990年代以降、高度成長およびオイルショック後の日本の順調な経済成長を支えてきた、「男性稼ぎ主型」の社会経済システムが、機能不全に陥っていることが明らかとなった。1980年代までの日本の社会経済システムは、男性のサラリーマンと女性の専業(あるいはパート兼業)主婦からなる世帯をモデルとし、大企業正社員には終身雇用と年功賃金、家族手当を保障し、社会保障システムは企業福祉と家族福祉という私的な福祉供給に依存するという構造となっていた。そして、このような社会経済システムをうまく機能させるため、またそこからもれ落ちた人々をケアするため、「護送船団方式」や「地方への公共事業ばらまき」に依拠した政治が成立していた。

 小泉純一郎元首相への市民からの高い支持や、2005年郵政選挙での自民党の大勝利には、機能不全に陥った旧来型の政治、経済、社会システムを変える必要があるとの有権者の現状認識が確かに働いていたと、私は考える。しかし、2005年選挙の際に擁立された女性候補者たちの多くは、主に新自由主義的な政策を主張し、「男性稼ぎ主型」の社会保障システムを変えるといったジェンダーという観点に注目した議論は、あまり見られなかった(ただし不安定な雇用・労働市場への男女の参加を促すという意味で、新自由主義的な政策は、実質的に「男性稼ぎ主型」世帯の減少をもたらし、あるいはそもそも人々が結婚や出産に踏み出すのを困難にするという効果をもたらした)。

 今回の総選挙は、小泉改革の負の側面をどのように評価するか、また改革の結果、人々が引き受けてきた(そしてこれからも引き受けるであろう)「痛み」をどのように社会的に再配分し、また個人が受ける「痛み」をそのままにせずに、社会的にケアしていけるような制度をどのように構築していくか、ということが争点であったのではないだろうか。これから民主党政権がめざすのは、80年代までの旧来のシステムに戻るわけでもなく、また行き過ぎた新自由主義一辺倒にも別れを告げるという意味での、「新しい政治」でなくてはならない。そしてそこでは、ジェンダー平等の視点が重要であることは言うまでもないが、新自由主義型のジェンダー平等とは異なる何か、が模索されなければならないだろう。賛否両論はあろうが、こども手当の増額、配偶者控除の廃止、そして生活保護世帯の母子加算の復活(および父子世帯への拡充)といった諸政策の実現は、そのような模索のあらわれであろう。

 「女性」議員が増えること、「女性」のための政策が実施されること、そして「ジェンダー平等」が政策立案の際に常に考慮されること(「ジェンダー平等」の内実を精査することが重要であるという点を再度念押しするが)、この3つの間に関連がないとは私は思わない。この3つをつなぐための言葉と理論、戦略、そして実践が、議会政治の内と外で求められている。

カテゴリー:ちょっとしたニュース

タグ:女性政策 / ジェンダー / 辻由希

ミニコミ図書館
寄付をする
女性ジャーナル
博士論文データベース
> WANサイトについて
WANについて
会員募集中
> 会員限定プレゼント
WAN基金
当サイトの対応ブラウザについて
年会費を払う
女性のアクションを動画にして配信しよう

アフェリエイトの窓

  • 離婚事件における 家庭裁判所の判断基準と弁護士の留意点 / 著者:武藤 裕一(名...

  • 放送レポート no.308(2024/5) / 著者:メディア総合研究所 / 2024/05/01

  • ルイーザ・メイ・オールコットの日記: もうひとつの若草物語 / 著者:ルイーザ メ...

amazon
楽天