エッセイ

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姓について思うこと   桂 容子

2009.10.14 Wed

 「選択的夫婦別姓」の制度化が、いよいよ実現する日が近いのだろうか。ずいぶん、この問題は長かった。民法改正案が登場するはるか以前から、私の同年齢の知人は、30年以上も前に、妻も夫も姓を変えたくないからと、事実婚を選んでいた。以後ずっと、事実婚のままだ。この人たちに限らず、私の回りには、生まれ育ってなじんだ自分の姓を変える事への抵抗感を表明する人が多かった。

 が、実は、私はこれに共感できないでいたのだった。理屈はもちろんわかる。しかし、実感として、共有できない感覚だった。姓を変えたくない人というのは、よほど、生まれ育った姓に愛着があるのだろうか。愛着というのは、どういうように形成されるのだろう、と、寂しい感慨をもって、このことには黙っていることしかできなかった。 私は、結婚して改姓するまで、親の監視の強い家庭で育った。きょうだいがいないせいか、両親は私の一挙手一投足にも干渉した。何一つ、自分で決められず、すべて親の承認の下に行動しなければならなかった。だから、結婚したとき、私は、自分から改姓を望んだ。もう、あの自由のない、囚われ人のような暮らしはまっぴらだ。姓を変えて、自分をがんじがらめにしていた家から飛び立とう、と思った。そして、姓を変えたとき、私は心の底から、えもいわれぬ自由の喜びを味わった。私の目論見通り、昔風の父は、夫の姓になった私を、「よそへ嫁に出した娘」として、支配してくるのをやめた。「よその人」になった私には、一定の距離を置くようになった。私は、夫側の姓である新しい姓を、自分が親の掌から飛び出した証として享受した。(もちろん、今度は、夫に掌握されるという事態が始まるはずなのだが、幸い、同世代の結婚相手からは、大正生まれの父と同じような束縛も干渉も来なかった。)
  
 後年、もっと深刻な事情で、自分が生まれ育てられた時代の名残のものは、すべて断ち切りたいと思っている人がたくさんいることを知った。子ども時代の性的虐待の悪夢から抜け出したい人は、姓も名も捨てて、新たな名を獲得しなければ自分は生き直せないと、とりあえず、自分のつけた名で通していた。

 また、「自分の子どもをかわいいと思わない親はいない」という、時折耳にする根拠のない信念は、親から虐待を受けた人には、最も心添えない言葉だ。私は、親からの酷い仕打ちに苦しんできた女性たちにもたくさん会ってきたが、一旦、親とすべて切り離されて新しい人生を獲得しないと、彼女たちの傷は癒えないように思う。当然、親と同じ姓は、忌まわしい記憶と共に、かなぐり捨てたいものの一つだ。結婚によって救われたという人は、結構いる。結婚には、とりあえず「離婚」という制度があるが、親と縁を切るのは困難だろうし。
 
 かつて、フェミニズムの文脈で出会ってきた、既成の秩序への問い直しや新たな生き方の挑戦が私を救ってきたのは確かなのだが、一方で、与することのできない主張もあった。まさにこの夫婦別姓を選択したいという主張には、共感できなかった。(もちろん、民法改正案は、選択肢が増える、というところに力点が置かれているのであって、夫婦別姓が強制されるわけではない。)フェミニストは、親に脅かされたりせず、自分を鼓舞してくれた良き親の思い出を持つ人ばかりなのかと、遠いものを感じた。そういう良き幼少時代を持つ人だけが、自分の考えを主張する強さを自分の内に育んで来れたのかと、フェミニズムの主流につけない私自身を悲しく感じた。

 また、夫婦別姓を望む人たちの中に、「一人娘だから、うちの姓を継いでもらわないと、家が途絶える。だから、結婚しても別姓がよい」という主張の人もいることを知った。つまり、個人のアイデンティティとは関係なく、「イエ」を背負うゆえの別姓だ。結婚改姓で自分を取り戻したと思う私のような者もいれば、夫婦別姓になれば、結婚した娘にも、「家」を継がせることができて安泰だと考える人もいる。「姓」の問題とは、なかなか一筋縄ではいかないものだと思った。

 夫婦別姓に反対する主張には、「別姓にすると家族の絆が弱まる」などという懸念もあるそうだが、男性側の結婚改姓が増えても、主張は変わらないのだろうか。夫婦同姓制度の中で、離婚が増加してきたことはどう説明されるのだろうか。姓が絆を強めるのに寄与したとはとても思えない。家族の「絆」とは、家族の「縛り」というものだと思うが、むしろ、姓を同じくすることで、「縛り」の強化が目論まれるような家族観があるからこそ、その窒息しそうな事態のために離婚に至るケースもあるのだろうと思う。同姓派の人たちは、いつまでそのことに気づかないでいるのだろう。
 
 夫婦同姓か別姓か、選択肢が増えることは、生きがたさの解消の一つにはなるだろうと思う。しかしほんとうは、もし姓が要るとしたら、大人になった証として、一定の年齢で自分の姓をつくるような区切りであったりすればよいのにと思う。「作姓」というような、成人式よりもはるかに意味のある人生のイベントになるだろうに。

カテゴリー:ちょっとしたニュース / 夫婦別姓

タグ:桂容子