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平成の「長男」  極楽 蝶花

2009.11.29 Sun

 私には、40歳に近い年の息子がいる。いつも、頗る機嫌の良い息子だ。彼が幼い頃から、私はたぶんただの一度も、「男だから」「男のくせに」というようなことは言ったことがない。もちろん、長男だから、なんていうようなせりふもない。だから、彼にはそうした規範は全く入っていない。 背広を着てネクタイを締めないといけないような仕事はしたくない、組織に縛られるのはいや、仕事で私生活を侵食されるのなんて真っ平、という彼は、現在、どこにも所属せず、ガテンな仕事を請負でやっている。日のあるうちに仕事が終わると、カメラ片手に遠出をしたり、通りすがりのマクドナルドで読書に耽る。平日でも仕事のない日がちょくちょくある。そういう日は、祖母つまり私の母を車に乗せて、買い物に行ったり、ランチをつきあったり。母も、この息子が大のお気に入りだ。

 彼は、世間で言うところの、いわゆる長男だ。父親も祖父も長男だから、○○家の跡継ぎ息子という立場だ。父親の叔母あたりからは、昔から、それなりの期待の眼差しを注がれている。しかも、父親が早世したので、祭祀継承の役割がまわってきている。仕事に忙殺されるというような「愚かな?」ライフスタイルを選択していないので、私から見るといかにも面倒くさそうなそういう役割も、ほいほいと引き受けている。引き受けてはいるが、何をする気もないのは、わかる。亡父に線香一つあげたことがないけれども、「名前くらい、いいよ」と、実にお気軽だ。思えば、この息子、義母の病気のときも父親の病気のときも私の病気のときも、いつもただ一人、「暇がある」ということで、よく役に立ってくれた。病院に詰めるのなんて、なんの苦もない。ひょうひょうと泊まり込んでくれた。但し、病人よりもよく眠る付き添いではあったが。

 が、もう若くない、という年頃になってきた。第一、彼の母親、つまり私がもう若くはない。夫に先立たれ、自らも病気をし、仕事もやめ、なかなか過酷な暮らしの状況にある。先日、つい、弱音を吐いてしまった。親戚の法事など何やかやと出費がかさんだときのことだ。「お金は出ていくばかり。収入もほとんどないのに、困るわ、先行き不安だわ」と。そうすると、息子はこう言った。「あんたも、もうちょっと働いて稼いだ方がいいよ」と。一瞬、我が耳を疑った。

 法事などでは、未だに彼は私の「子ども」のままだ。出費には関与しない。祖母とランチに行けば、祖母が支払う。私と外食をすれば私が支払う。もちろん、アッシーくんをしてくれるのだから、こちらも支払う気ではいるが、時折、その、払ってもらうのが当たり前、という様子が気になる。が、本人は、全く違和感はないらしく、ご機嫌で「ごちそうさま。いつもありがとうね」と言う。実に屈託のない笑顔だ。

 彼は、疲れ果てている私に、「仕事よりも健康の方が大事だから」と、よく励ましてくれる。彼の妹が、仕事に追われていたときも、「仕事などで、暮らしを犠牲にするな」と説教していた。妹は、ずっと、この兄のことを「寅さんみたい」と言っていたが、確かにうまく言い当てている。ふらりと旅に出ては、思いついたように帰って来るというライフスタイルを、長年続けていた。最近は、旅にも堪能したとかで、結構地元にいる。

 亡夫は長男だったので、何やかやと親戚づきあいがある。長男でなかったとしても、親や親戚と良い関係を築いていた人なので、なんとかそれは引き継いであげたいと、私なりに尽力をしている。息子もその姿勢には、快く賛成している。娘は、時々不本意に駆り出されて、台所の手伝いを余儀なくされ、自分の中で葛藤するようだ。私もきりきり舞するほど忙しくて、疲れ果ててテンションがやたら下がっていることがある。結局、徹頭徹尾、機嫌良く、情緒の安定しているのは特に何をするでもない息子だ。出費もせず、こまごまと気働きをするでもなく、男達がみな早世して見るからに女系家族のなかにあって、鷹揚に親戚の年寄り連中の話し相手になったり、いとこの幼い子どもたちの遊び相手になって、人気抜群だ。

 「男はそこにいるだけでよい」というような、良いとこ取りをしているのなら、あまり、歓迎できない。が、彼は威張らず、腰も軽く、気むずかしいところも一切なく、おばなどに頼まれると、実に快く動いている。男の責任とか大黒柱とか、そのようなことは一切感じていないさわやかさがある。彼は私が望んだように成長してくれたのだ、きっと。そして、今こうして鷹揚に、軽やかに、いやなことを無理してやる必要はない、という揺るぎない人生観で生きている。

 それでいいはずなのだけど、何か割り切れないのは、なぜなのだろう。昔の「長男」なら、父親が亡くなり、母親が病気で仕事もやめてしまったような状況にあれば(それも高齢期に突入する年齢なのだから)、たぶん、自分がいよいよ、父親の代わりに一家の大黒柱にならねば、という規範に縛られたのだろう。また、壮年期になれば老境にさしかかった母親に対してそれなりの「親孝行」をせねば、というようなプレッシャーがかかったかもしれない。が、平成の「長男」にはそうした規範は入っていないし、プレッシャーもない。「老齢年金が出るのは65歳なんだから、政府だってそれまでは働くべきだ、という考え方だよ」と、教えてくれた。
 アラカンの病後の女に、何か仕事はあるでしょうか?

 今日も屈強のアラフォー男は、たぶん、早い目に仕事が終わり、どこかのマクドナルドで趣味の読書に耽っていることだろう。いや、何も文句があるわけがない。彼は正しい。いやなことはしないに越したことはない。最低限の仕事をして、後は人生を楽しめばよいのだ。その通りだ。彼は、たぶん何も間違っていない。

タグ:くらし・生活