エッセイ

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<女たちの韓流・1> 「母さんに角が生えた」―主婦業のストライキ 山下英愛

2010.02.05 Fri

 2008年に韓国で最も話題になったドラマは、何といっても「母さんに角が生えた」(全66回、週末連続ドラマ、KBS)であろう。脚本を書いたのがベテラン作家の金秀賢(キム・スヒョン・1943~)だったことや、主人公が60代の主婦という異色の設定であったこと、さらに、この主人公ハンジャを演じたのが、これまたベテランの演技者で、‘国民の母’として親しまれてきた金恵子(キム・ヘジャ・1941~)だということで、放映前から期待を集めた。

 ハンジャには舅と夫、そして三人の子どもがいる。また同じ敷地内に住む夫の双子の妹と姪っ子も家族同様にして暮らしている。ハンジャは平凡な夫と結婚して、決して裕福ではないこの家の嫁となって以来40年間、一日も休まず家事・育児をこなし、嫁、妻、母親としての生活を送ってきた。子どもたちはいずれも大人で社会人だが、結婚のことで次から次へとハンジャの心を苦しめる。しかし、家族はみなハンジャを、家で家族の世話をするものとして扱い、彼女にも一人の人間としての欲求や希望があるなどとは想像しようともしない。そんなある日、家族が全員集まった席で、ハンジャは舅に向かっておもむろに「家を出たいです。一年間、休暇を下さい」と申し出る。みんなは仰天し、猛反対するが、舅だけは「世話になった恩返しに」と、彼女の願いを許す。

 こうしてハンジャは、家から適当に離れた所にワンルームマンションを借り、晴れて一人暮らしを始めた。家族のための三度の食事の支度からも解放されて、自分のためだけの時間と空間を手にしたハンジャ。それがたとえ1年という期限つきではあっても、嬉しくてたまらない。だが、ハンジャの代わりに家族の世話を一手に任された息子の嫁が切迫流産のおそれがあって安静を命じられるや、ハンジャはたちまち家に呼び戻され、半分以上残った休暇も返上させられる。家族と暮らす日常の中で小さな幸せを感じないこともないが、心の中では「今度生まれ変わったら、キム・ハンジャとして暮らしたい」とつぶやいて、何とかハッピーエンドとなる。

 韓国では毎度のことだが、このドラマが放映された約7ヵ月間、インターネットのブログや新聞などではこのドラマの話題でもちきりだった。特に、ハンジャが家を出たいと言い出した後、本当に家を出るのかどうかをめぐって議論が沸騰した。私はハンジャの休暇が、わずか二、三カ月で終ってしまったことや、結局、家事労働一切を再びハンジャが引き受け、旧態依然とした性別役割分業から一歩も踏み出さないという結末が不満だった。けれども、‘主婦にも休暇を’という設定には意外性があり、日々の家事労働や家族の世話を担う女性の大変さを、多くの人々に‘気付かせる’役割はしっかり果たしたのかもしれない。ハンジャを演じた金恵子は、その抜群の演技力を評価されて、年末の<KBS演技大賞>で大賞に輝いた。

 このハンジャを通して、私が悟らされたこともある。それは、弁護士をしている自慢の娘が、バツイチで9歳の娘がいる男と結婚したいと言いだした時にハンジャが見せた態度を通してである。ハンジャは最初そのことを聞いてショックのあまり叫び声をあげる。だが、気を取り直して相手の男に会いに行く。「私の人生なんだから私が決める」と主張する娘を完全に無視して、ハンジャは断固とした態度で男に言う。「別れなさい」。母親の私は娘との縁が切れないから、あなたが縁を切るしかない、と。
 
 この場面を見て、私は自分の経験を思い出した。今のパートナーと一緒に暮らすと言い出した時、私の母も、ハンジャと同じように傍らの娘を無視して相手の男に向かって「別れなさい」と断言していたっけ。私にはそんな母の行動がまったく理解できず、そのことがきっかけで母とは疎遠になり、ついに死に目にも会えなかった。
 しかし、ハンジャを見ていると、それが彼女の思いこみで、時代錯誤的な主張ではあるけれども、娘の幸せを強く願う精一杯の行動であることが伝わってくる。事実、ドラマでは結局その結婚を受け入れる。そして、連れ子との関係に悩む娘を見ながら、「それ見たことか」と嘆きつつも、気難しい‘孫娘’の心を開き、新しい家族関係に馴染ませようと努力するのもハンジャなのだ。いまさら悔やんでも仕方がないが、私も母親が娘を思う気持ちだけは受け入れてあげるべきだった。

 ところで、このドラマはKBS演技大賞に先だって、女性省が主催する第10回<男女平等放送賞>の最優秀賞を受賞した。選ばれた理由は「女性・母親・主婦としてのアイデンティティの前に、一人の人間としてのアイデンティティを、親しみのあるドラマとして扱い、この議論を社会的に広めた」ことだった。
 この<男女平等放送賞>は、「両性平等の実践と認識の向上に寄与した優秀な放送番組を発掘し、授賞と広報を通して両性平等意識を広めるため」に、金大中政権下の1999年につくられた。選考方法は公募制だが、出品はKBSやMBCなどすべての地上波放送局と地方の放送局各社、ケーブル放送会社など多くの機関に開かれている。分野もドキュメンタリー、ドラマ、子ども番組からバラエティー、クイズ番組まで幅広い。賞には大賞(大統領賞)、最優秀賞、優秀賞(ともに女性省長官賞)があり、毎年複数の作品が選ばれて表彰されている。

 これまでの受賞作の中には、「黄色いハンカチ」(2003年・大賞)、「大長今」(宮廷女官チャングムの誓い、2004年・大賞)、「頑張れクムスン」(2005年・大賞)など、日本でおなじみのドラマもある。「黄色いハンカチ」は、‘未婚の母’が子どもの養育権をめぐって男と争うのだが、それが「戸主制の問題点をリアルに描き、社会に大きな反響を呼び起こした」と評価された。「大長今」は、チャングムの一代記を通して「女性の社会参加と能力開発の必要性、そのためのメンターの重要性などを示唆した」と評された。また、民法改正で戸主制廃止が決定された直後に放映された「頑張れクムスン」は、逆境の中をくじけず生きるクムスンを通して、結婚と離婚、育児や再婚の際の問題を描き、家族について考えさせる役割を果たしたと絶賛された。
 ちなみに昨年は、KBSのドキュメンタリー「家事をする夫たち」が大賞を受賞した。「母さんに角が生えた」では描かれなかった家事・育児を立派にこなす夫たちの姿が描かれていて、性別役割分業を変えていこうとする意気込みが感じられる選考だ。

 先日、大学の授業で「母さんに角が生えた」を少し見せて感想を書かせたところ、多くの学生たちが、「自分の母親も家事をすべて担っていて、ハンジャのように家を出ると言い出したらどうしよう」と、心配げに書いていた。日本にもきっと多くのハンジャがいるに違いない。

カテゴリー:女たちの韓流

タグ:ドラマ / 韓流 / 山下英愛

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