2010.04.06 Tue
((1)からつづく)
ところで、このドラマにはいくつもの山場がある。その中でもっとも見応えがあるのは、やはり終盤だろう。結婚を約束したクムスンとジェヒは、クムスンの子、フィソンを当然自分たちが育てるものと思うのだが、クムスンの舅姑は、「再婚するならフィソンを置いていけ」と主張する。そんなことは絶対できないと思うクムスンと、亡き息子の唯一の形見であり、盧(ノ)家の血筋をひく孫を具(ク)家に渡すことはできないとする舅姑は、歩み寄る余地がないほど鋭く対立してしまう。その氷山のように冷たく立ちはだかる厚い壁を次第に溶かし、和解していくプロセスが丁寧に描かれている。それはまるで、戸主制を廃止しようと苦心してきた韓国社会が直面している現実の葛藤と、それを乗り越えるプロセスを象徴するかのようだ。 ジェヒはクムスンの舅姑を安心させるために、「フィソンを実子として大事に育てるつもりだ」という。戸主制が廃止され新たな登録制度が始まるので、フィソンに自分の姓をつけることができ、父親と姓が違うことからアイデンティティの混乱を起こすようなこともないと、切々と語る。ところが、それを聞いた舅はかえって怒りを爆発させる。「誰がフィソンの実父になってくれと言ったか!」、「ノ・フィソンをク・フィソンに変えるなどもってのほかだ!」と。
韓国の戸主制には‘姓不変の原則’がある。父親から受け継いだ姓は一生変わらないというものだ。日本の姓(氏)のように地名をオリジンにするのとは違って、韓国の姓は特定の血統集団を表す。女性が結婚しても姓が変わらないのはそのためで、日本でいう夫婦別姓とは意味が違う。韓国で「お前の姓を変えてやる!」という言葉がきつい罵言となりえたのは、それが祖先を侮辱することにつながるからだ。だから、「フィソンの姓を変える」というジェヒの言葉が、旧世代の舅には自分の家門への侮辱に聞こえ、激しく怒ったのである。
舅にとって家族とは、血のつながりを中心に形成されるものだが、クムスンやジェヒにとっては、血のつながりよりも愛が優先される。そして、頑なな舅の心を徐々に変えてゆくのも、クムスンとジェヒの、舅姑に対する思いやりであり、愛である。自分たちのことを慮って二人が別れたことを知った姑は心を改める。亡き息子の墓所を訪れ、息子にクムスンの再婚の許しを乞う。そして舅に、「ノ・フィソンでもク・フィソンでもいいじゃない。フィソンが幸せにさえなってくれれば」と語りかける。
1990年代の戸主制反対運動が女性運動の域を超えて市民運動になった背景の一つに、再婚家庭の子どもの姓を新しい父親の姓に変えられるようにしたいという多くの人々の要求があったと聞く。これでは父姓を継承するという従来の家父長制と同じではないか、と批判されるかもしれない。確かに限界はあろう。だが、そのことを通じて‘姓不変の原則’を崩すことになるのは間違いない。しかも新しい制度の下では、子どもに母親の姓をつけることも一応可能になった。それに、いまや姓など何の価値もないかのように、ニックネームで自分を表現する人たちも増えている。
翻って日本ではどうだろう? 選択的夫婦別姓(氏)や婚外子差別の撤廃などを含む民法改正がなかなか実現しない。日本の場合、1947年の憲法制定と同時に戸主制が廃止されたはずだったが、実際には家父長制が戦後民法の中に巧みに残存し、人々の意識や慣習にもしみついている。それが‘戦後民主主義’の中で温存されたために一層やっかいだ。いっそのこと韓国に習って‘姓不変の原則’を適用してみてはどうか? ただし、‘母親の姓を引き継ぐ’という条件で。(了)
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