2010.07.02 Fri
<日本学術会議社会学委員会ジェンダー研究分科会シンポジウム報告>
2010年6月13日(日)、「ジェンダーから展望する新しい社会のしくみ:女性の貧困・雇用・年金」というタイトルのもとに東京大学文学部の大教室で開催されたこのシンポジウム。チラシには、「『失われた20年』に終止符を打ち、日本を再生させるためには、ジェンダー役割を組み替える新たな社会の枠組み作りが不可欠だということを、学術的な根拠をもって主張する」と書かれている。当日のラインナップは、この宣言文に込めた意気込みが十分伝わってくるものだった。 まずビデオ「女性の貧困」の上映に続いて、このビデオの制作者の1人でもある落合恵美子さんより企画の趣旨説明があった。「派遣村」報道などを通じて関心を集めた非正規雇用者の処遇の問題は、若年男性にスポットが当たったからこそ問題視されたわけで、その背後にずっと以前から女性の非正規雇用や貧困の問題は進行していたこと、その状態を可視化するためにビデオを制作したこと、そして1980年代に設定された家族主義モデルが通用しない現状を鑑みて、今こそ政策転換が必要であるという認識から今回のシンポが企画されたことが説明された。
次に大沢真知子さん、大沢真理さんの「W大沢」から、それぞれ雇用・政策への展望という形で基調報告があった。まず大沢真知子さんは、日本の社会システムの特徴として企業福祉の比重の高さと強固な性別役割分業意識を挙げた上で、その後の雇用、家族形態の実態が変化し、家計の維持に夫婦共稼ぎを必要とする状況が生まれたにもかかわらず、それに見合う政策が実施されていない点が問題であるとした。
続く大沢真理さんからは、日本の相対的貧困率がOECDの主要国ではアメリカに次いで高く、相対的貧困層では働いていても、共稼ぎであっても貧困状態にあるばかりでなく、再分配が貧困を削減するよりむしろ深める結果になっている事実を踏まえ、最低賃金の引き上げ、労働年齢人口への現金給付、医療以外の多様な社会サービス、最低保障年金の導入などの改革を行う必要があるといった提言が行われた。
これらの報告に対し橘木俊詔さんと阿部彩さんのコメントがあり、一旦壇上での議論が行われた後、休憩をはさんでラウンドテーブルとなった。
こちらには前半に登壇した4人のほか、連合副事務局長の山口洋子さん、ライフコーポレーションというスーパーマーケット・チェーンの人事部長林正樹さん、フリーターズフリー組合員の栗田隆子さんが加わった。パネリスト相互のコメント・応答に続いて、フロアからは、「同じ派遣先で10年働いているが、自分には派遣という選択しかなかった、今も今後についてもどうにもならない不安を抱えているが、研究でその状態をどう変えていってもらえるだろうか」、「地方議会の現場で女性のために出来ることはなんだろうか」、「次のキャリアにつながらないような職で貧困状態が続く、女性が職につきやすくなるような社会を創るにはどうしたらいいか」といった意見が相次いだ。
それに対する応答の中では、男性が一家の稼ぎ手であるという前提の下にあらゆるしくみが作られていることが問題の元凶であり、これが機能不全をおこしているというより逆機能している(大沢)、学者の役割は限られているが、格差があるということそれ自体の認知を広めることができた、次には政治家を動かさなくてはならない(橘木)、これまでは貧困の存在が全く認められてこなかった、政治家を選ぶのは一般市民であるし、この場にいない人にどう伝えていくかが大事(阿部)、一人の人の中にさまざまな働き方が混在しているのが女性の働き方といえる、キャリアを積むことは女にとって何を意味するのか、学者は言葉で闘うのなら、言葉の定義をもっとちゃんとやってほしい(栗田)といったコメントが出された。
あまりに豊富で密度の濃い内容に対し、乱暴なまとめしかできていないが、とりあえずここまでが全体の流れの紹介である。以下に個人的感想を記させていただく。
第一人者の集まりだけあって、報告やコメントはいずれも十分に「学術的な根拠」を持つ、説得力の高い内容であり、たくさんのことを学ばせていただいた。が、日本学術会議の社会学委員会が主催したシンポジウムとしては至極まっとうで質の高いこれらのプレゼンテーションが、なぜか少し空回りしていたような印象を持ったのは、この日満席の大教室を満たしていたある種独特の空気のせいだろうか。
その空気はプログラムの最初に上映されたビデオ制作への協力者であり、パネリストの一人だった栗田隆子さんの仲間でもある「女性と貧困ネットワーク」の方たち(だと思うんですけど、間違っていたらごめんなさい)と一緒に参加した人形たちのユーモラスな動きと休憩時間中のパフォーマンスによって効果的に作り出されたものだとも思うが、それ以上に、実にさまざまな思いを持って集まってきた人たちがこの空間を満たしていたことによるところが大きいのかもしれない。
そしてそういう「場」に向けて語るには、パネリストの大半の言葉は直球すぎたというか、あまりにも統計の数字が幅を利かせすぎていたのでは、というのが私の率直な感想である。振り返ってみると、インタビューが挿入されている冒頭のビデオさえ矢継ぎ早のグラフ説明が大半を占めていたし、報告者はいずれも多種多様の表やグラフを駆使して現状分析を行っていた。統計資料があくまでも説明ツールとして示されたものだということはよくわかるし、研究者のはしくれである私自身も授業などでやっていることなのだが、それらの数字を駆使した分析と主張を超えて、最終的に私の中に鮮明に残ったのは、「統計的にはどうかわからないんですけど」と繰り返しつつ栗田隆子さんが放った言葉だった――「ミクロな暴力が女性の貧困を生んでいる」。セクハラやDVの被害に遭った女性は、勇気を持って訴えることが職場や家庭を失うことにつながり、結果として生活手段そのものを奪われ、貧困に陥る。もちろんそのことだけが女性の貧困状態をもたらす要因ではないことは、栗田さん自身も承知しているだろう。だが、胸を衝かれたのは、女性に対する暴力と女性が陥る貧困の因果関係がまぎれもなくリアリティの一端であり、そのリアリティは必ずしも統計的に把握できるものではないということに対してだった。
言うまでもなく、統計資料の上でこそ把握できるリアリティもある。そして実行可能な政策提言を行う上では、数字による把握のほうが力を持つ場面が多いだろう。だが、そういう形の現状把握に加えて、たとえばパネリストの林さんからご自分の会社のパート労働者からどんな不満やあるいは満足感を聞き取っておられるのかを聞くことができたら。つまり会場の構成以上に、壇上の言葉の「絡まりあい」がもっと進んでいたら、さらに興味深いシンポジウムになったのかもしれない。
とはいえ、最後に締めくくった落合さんの言葉にあったように、こういう場(アリーナ)が設定されたことそれ自体が一つの始まりなのだと思う。
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