エッセイ

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<女たちの韓流・7> 「ずっと会いたい」  山下英愛

2010.08.05 Thu

① “キョプサドン”(重査頓)
1998年3月から翌年4月にかけて放映された「ずっと会いたい」(脚本:イム・ソンハン[1960~]、MBC、全273話)は、私の知る限り、90年代以降の最長ドラマである。元々は半年間の放送予定だったのが、延長を重ねて倍になった。その長引き方がよほど気にくわなかったのか、放送担当記者たちが‘98年度の最悪ドラマ’に選んだりした。しかし、このドラマは、平均視聴率44.6%を誇り、後半には最高視聴率57.3%(歴代12位)を記録するなど、超人気作品だったと言ってよい。

主人公は、看護師でしっかり者のチョン・ウンジュ(俳優:キム・ジス1973~)だ。彼女の家は、赤字経営の出版社を営む父と、夫の稼ぎが少ないため仕方なく友人と小さな不動産屋を営む母(キム・チャンスク1949~)、そして、大学院生で小説家志望の姉クムジュ(ユン・ヘヨン1972~)と、小学校教諭で優しい弟ミョンウォン(パク・ヨンハ1977~2010)の5人家族である。 この姉妹の名前を漢字にすれば、金珠(クムジュ)・銀珠(ウンジュ)とも書ける。この名が暗示するように、長女のクムジュは母親の愛情をたっぷり受けて育った。母親は、美貌と才能を兼ね備えた長女を溺愛し、娘の願いを叶えるために、家計に余裕がないにも関わらず高い授業料を払って大学院に通わせている。性格的には甘えん坊で依存的な面がある。一方のウンジュは、姉が病弱だったのと貧しさのため、生後間もなく田舎の祖母に預けられ、そこで幼少期を送らざるをえなかった。後に父母の元に戻るが、この経験が元で、母親に甘えることができなくなり、母親もまたそんなウンジュとどことなく距離がある。

そのためウンジュは、自分が‘醜いアヒルの子’だと感じ、いつしか姉に対してコンプレックスを抱くようになる。だが苦労してきただけあって自立心があり、がんばり屋に育った。人の気持ちを察し、他者を思いやることもできる。本当は美大に進学して絵を描きたかったが、就職の確かな看護大学を自ら選んだ孝行娘でもある。スト―リーは、そんなウンジュが、ある日偶然、実直な検事のパク・キジョン(チョン・ボソク1962~)と出会って愛を育くみ結婚、その後、姑との葛藤を乗り越え、幸せな家庭を築いてゆく過程を描く。

この長いドラマは、ウンジュとクムジュが結婚に至る過程を描いた前半と、結婚後の嫁姑の葛藤を描いた後半とに分けられる。前半の第一ラウンドは、キジョンとウンジュが家族を説得して結婚の許しを得るまでのストーリーである。

キジョンは、祖父の代まで漢方医を営んだ由緒ある家の出身で、小学校の校長をしている厳格な父と専業主婦の母との間に生まれた長男である。こちらも‘基正’(キジョン)という名前の示す通り、真面目で賢く、親の期待に応えて難関の司法試験をパスして検事になった。彼にはキプン‘基風’(ホ・ジュノ1964~)という風来坊的な弟と優しい祖母、そして近所に住む姉のような叔母(父の妹)の家族がいる。キジョンはウンジュと出会った頃、この叔母のすすめで、裕福な家の医者の卵であるスンミとお見合いをした。だが、スンミとキジョンの結婚に寄せる両家の期待をよそに、心はすっかりウンジュに傾いてしまう。そして、ついに結婚だけは自分が好きな人としたいと、初めて母親や叔母の意に逆らう。ここでは、何かと気が利き、お年寄りを大事にするウンジュが祖母に気に入られ、何とか乗り越える。だが、結婚を目前にして、意外な事実が明らかになり第二ラウンドがはじまる。

その意外な事実とは、キジョンの弟キプンが、ウンジュの姉クムジュと結婚を前提に交際していたことだ。そのことが、四人で初めて会った席で明らかになる。両方のカップルが結婚することは、両家が互いに同じ家から嫁 / 婿を迎えることを意味する。このようなケースを韓国では“キョプサドン”という。子どもの婚家の親を互いに“査頓”(サドン)と呼び、それが「重なる」という意味の“キョプ”と合わさってできた言葉である。このドラマのようなケースは、昔の村落でならまだしも、現在では極めて稀なことである。

ところが問題はそれが決して喜ばれることではなく、むしろ忌避されることにある。法的には何の問題もないが、家族の秩序や道徳に反し、よって一家の体面が汚されるという理由からだ。そのため、まずは当人たち同士で解決策を模索するが、名案が浮かばない。そのうちに他の家族にも知れて、大騒ぎになる。中でも、兄弟の家族の長老である祖母が「キョプサドンは絶対許さない」と強硬に反対し、どちらか一方が結婚を放棄するしかない事態に追い込まれる。死ぬの生きるのとすったもんだした挙句、ついに祖母が折れて、二組とも結婚にゴールインする。おそらく当初はここでドラマが終わる予定だったのだろう。だが、これでハッピーエンドになるのではなく、これからが本番だ。後半は嫁としてのウンジュの苦節の生活が描かれる。

ちなみに、ドラマの原題<보고 또 보고>は、「嫁や婿を迎えて、また(同じ家から)嫁や婿を迎える」という意味に解釈できる。“キョプサドン”を暗示した題名だ。だが、韓国人でも、ドラマを見なければこの題名の意味は一見わかりにくい。普通なら、「보고 」を一般的に解釈して、「見て、また見て」と思いがちだ。日本では「ずっと会いたい」、「もう一度会いたい」などと訳されているが、たぶん、訳者もドラマを見ずに題名をつけたのだろう。

② 家族の秩序
後半は、二組のカップルが一緒に同居する婚家を舞台に展開される。元々ウンジュを快く思っていなかったキジョンの母親は、自分が別居を命じたにも関わらず、同居を望む祖母の意見を尊重したウンジュが一層気にくわない。ウンジュは看護師の仕事を続けるが、婚家の家族に認めてもらいたい一心で、家でも一生懸命働く。しかし姑は、ウンジュのそんな姿に同情するどころか、その要領の良さを上辺だけの“ずる賢さ”と受け止める。片やクムジュは朝寝坊でろくに家事もせず、夫に甘えてばかりだが、姑の目にはウンジュよりも純粋で、かわいくさえ見えるらしい。

ウンジュは長男の嫁として、早く子どもを産んで、夫や婚家の家族を喜ばせたいと思うのだが、仕事と家事による過重労働に加えて、姑との葛藤がストレスになり、なかなか子どもを授からない。そのうち、クムジュが先に妊娠して家族の祝福を受ける。また、同じ頃、クムジュが作家の登竜門である大きな文芸賞を受賞して慶事が重なる。実家のみならず婚家でもクムジュが周囲の愛情と祝福を独占する姿に、ウンジュの心はひどく傷つく。ウンジュは辛い思いを紛らわそうと、部屋で酒を一人で飲み、様子を見に来た姑に、酔った勢いで胸の内を洗いざらいぶちまけてしまう。

だが、この事件をきっかけにして姑が変わる。ウンジュの心の内を知って、これまでウンジュの真意を誤解していたことを悟るのだ。この時から、ウンジュとクムジュに対する姑の態度はそれまでと正反対になる。これでウンジュの苦労が報われたかと思いきや、がんばり屋のウンジュにはまだ残された課題がある。それは家の跡継ぎである子どもを産むこと、それも男児を産むことだ。キジョンと婚家の家族は誰もウンジュに子どもを産めと圧力をかけたりはしない。むしろ、ウンジュが勝手に課題として背負い込んでいる感すらある。不妊だと思い悩んだウンジュは、思いつめた挙句、キジョンに離婚を申し出る。そんなウンジュを周囲がなだめて、ようやく養子をとることにするのだが、その矢先に妊娠が判明する。そして、クムジュは二人目も女の子を産むが、ウンジュは男の子を産んで祖母を喜ばせ、ハッピーエンドとなる。

確かに、放送担当記者だけでなく、今どきの韓国の女性たちからも「何だ、これは!」と抗議されそうな内容だ。でも、韓国の家族主義の特徴や性別役割、嫁姑の葛藤などを知るには絶好のテキストである。例えば、家族の呼称もその一つ。結婚後、クムジュが呼称の問題で義父や祖母にたびたび叱られる場面がある。それまでは姉のクムジュが妹のウンジュを呼び捨てにできたが、結婚後はそうはいかない。婚家の秩序に従えば、ウンジュが兄嫁でクムジュが弟の嫁であるから、クムジュはウンジュを「ヒョンニム」(兄の敬称)と呼び、言葉づかいも丁寧にしなければならない。呼称や言葉づかいが家族の序列によって決められ、それを守ることが家族の秩序を守ることになるというわけだ。

日本語の字幕では、こうした韓国の呼称は日本式に、つまり名前に置き換えられるのが一般的だ。そのため、実際のニュアンスは伝わらないのだが、これが案外、韓国文化を理解するには重要である。例えば、家族間では互いに名前を呼んだりせず、家族内の位置によって決まった呼び方をする。妻は夫の兄を“アジュボニム”、兄の妻を“ヒョンニム”、夫の弟を“トリョンニム”(未婚の場合)か“ソバンニム”(既婚の場合)、弟の妻を“トンソ”、夫の姉を“アガシ”(未婚の場合)か“ヒョンニム”(既婚の場合)、姉の夫を“ソバンニム”と呼ぶ。また、同様に妻の呼ばれ方も、それぞれ呼ぶ側によって異なる。このような家族構成員内での呼称の厳格さが、韓国の家父長制を支えているといってもよさそうだ。女性は一度結婚すると、その呼称からも嫁であることを自覚させられ、その立場から逃れにくくなる。

その上、家族内の女性の呼称は往々にして女性卑下的な言葉に由来するといわれる。例えば、嫁を意味する“ミョヌリ”という言葉は“寄生する”という意味の“ミョヌル”を語源とし、「自分の息子にくっついて寄生する存在」というような、男尊女卑思想を伴う言葉といえる。韓国の女性たちが、よくこんな呼称文化に耐えているなと思ったが、案の定、2007年に韓国女性民友会がこの呼称問題を提起した。その名も「ホラク、ホラク(呼楽呼楽)キャンペーン」で、女性に対する呼称に込められた女性卑下的な意味を意識化して、女性が女性に使う呼称を変えようと提唱している。この運動に賛同する意味で、日本語字幕の呼称をむしろ逆輸入することを提案してもよさそうだ。

その他、登場人物の性格描写が巧みで、俳優たちの演技にそれぞれ見応えがあるのもこのドラマの見どころの一つだ。例えば、チョンジャ(ウンジュの母親)とソンジャ(スンミの母親)は友人同士だが、娘たちのことで、髪をつかみ合うほど激しく言い争う。そのセリフも圧巻だし、演技も迫真に満ちている。「二度とお前の顔なんか見るもんか!」と怒鳴って別れても、しばらくするとまたケロッとして二人で仲良くお茶を飲んでいるあたり、日本とは違った人間関係も面白い。

ところで、このドラマには、去る6月末日にこの世を去ったパク・ヨンハ(朴容夏)が、姉妹の弟(ミョンウォン)役で登場している。ミョンウォンを演じた頃の20代初めのパク・ヨンハは、面長でめがねをかけた実に優しげな青年だ。このミョンウォンがスンミと恋をし、辛い別れを経験する。スンミはキジョンと別れた後、暴力的な父親から精神的に自立しようと、親の決めた医者の道を捨て、専攻を幼児教育に変えて一からやり直すことにする。そして受験勉強をするために通い始めた図書館でミョンウォンと出会い、親交を深める。ミョンウォンにとってスンミはウンジュ姉さんの友人であり、年長者である。また、スンミからすれば、友人の弟であり、自分がお見合いした男性の妻の弟でもある。さらに、親同士は友人だが、互いに微妙なライバル意識もあって、単なる仲良しとも言い難い。

そんな人間関係の下では恋愛に発展しづらいものだが、二人は急速に近づいて結婚を約束するほどの仲になる。そこまでは、両家のしがらみや貧富の格差などをものともしない、何やら新しい若者たちの生き方を見せてくれるのかと期待したのだが、両家の親に反対されて、あっけなく別れさせられる。しかも、スンミはその後、親が望む金持ちの歯科医師と結婚することを決心するのだが、ここのところがどうしても腑に落ちない。それとも、こちらの方が韓国の現実的な姿なのだろうか。いずれにしても、パク・ヨンハの切ない別れの演技がとても印象的で、ヨンハファンにはぜひ見てもらいたいドラマでもある。スンミと一緒に楽しそうに笑うミョンウォンを思い出しながら、パク・ヨンハの冥福を祈りたい。

写真出典:http://cue.imbc.com
http://www.ohmynews.com
http://www.newsen.com

カテゴリー:女たちの韓流

タグ:ドラマ / 韓流 / 山下英愛

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