2010.09.15 Wed
語学学校でジェンダーを考える
2月末から1年間の韓国滞在、せっかくなら語学もしっかり身につけようということで、受け入れ先大学に併設されている語学学校(韓国語文化教育センターという名称)の正規課程に入学しました。ハングル自体は、留学生の友人に教えて貰うなどして5年以上前から個人的に学習していましたが、語学学校に通うのは(他の言語も含めて)初めての経験です。
正規課程は、季節に合わせて1年間に4学期が設定されており、1学期は10週で、平日5日間、9~13時の4コマ(計200コマ)、原則として1学期ごとに1級ずつ進級します(飛び級制度もあり。一方で、成績や出席率が規定に満たない場合は進級不可)。初級から高級まで1~6級があるので、ハングルの仕組みすら分からない状態で入学しても、6学期、つまり1年半で高級まで進級し卒業できるという仕組みになっています。もちろん、入学の際にはクラス分けのための試験があるので、途中の級から入学することも可能で、事実私も途中の級から入学しました。
1クラス10人前後の小集団クラスで授業を受けるのですが、8割近くが中国出身者であることには驚きました。少し前までは、日本語を第一言語とする人が多数を占めていたそうですが、このような出身地域の比率は、各語学学校の特色や授業料だけでなく、大学・大学院合格率などによって、学校ごとに異なるようです。また、私の見た限りですが、女性の比率が8割ほどを占めているようです。正規課程だけでなく様々なコースがありますし、これも学校によって異なるかと思いますが、それぞれの出身地域とジェンダーに関わって、進路選択における「外国語」が占める位置の一例を示しているとも言えるでしょう。
語学学校とは言え、そして毎日4時間の授業とは言え、「担任の先生」の指導のもとで、新しく出会う「チング」(友達)達と毎日机を並べ、親しくつきあえるよう試行錯誤しつつ、「ウリ ハッキョ、ウリ バン」(うちの学校、うちのクラス)意識をささやかながら日々強めていくという学校文化に身をさらすのは高校以来のことであり(大学では好き勝手にやっていたため)、新鮮に思うことも多々ありました。
そんな語学学校で、日々考えさせられることの一つは、ジェンダーをめぐる諸問題です。言語とジェンダーという主題については、すでに多くの問題点が指摘されていることと思いますが、現在においても家父長制の影響を色濃く受けている韓国社会において人々が用いる韓国語にも、意識しやすいレベルからしにくいレベルまでジェンダー・バイアスが内包されていることは、想像に難くないでしょう。ただ、今の私が語学教育とジェンダーについて語るのは手に余るので、あくまで身近なところから少しだけ考えてみたいと思います。
学校に通うようになって、まず驚き、違和感があったことは、毎日のように授業の会話に「彼氏/彼女がいるか」という質問が差し挟まれることでした。自己紹介はもちろん、習ったばかりの文法を使った会話練習の際にも、先生がとりあえず「彼氏/彼女がいるか」を学生に尋ね、それを手がかりに即席の例文を作ったりするのですが、「いる」なら、どんな彼氏/彼女か、いつから付き合っているか云々、「いない」なら、いつ頃、なぜ別れたのか、どんな彼氏/彼女が良いか、どう出会いたいか・・・云々と。
そして、女性には「ナムジャ チング」(彼氏。直訳は男友達)、男性には「ヨジャ チング」(彼女。直訳は女友達)ということが前提であり、それは語学教室だからなおさらなのか、単語上から明確にされています。というのも、日本語の「恋人」をそのまま韓国語にすると、恐らく「ヨニン」や「エイン」になると思いますが、それはどちらかと言うと、「(結婚を意識した)恋人」や「愛人」というニュアンスが強いようです。ですので、普通は、「ナムジャチング」や、「ヨジャチング」を使うようですが、つまりはその一言で、その人のセクシュアリティをいくつかの意味で一方的に断定することになるのではないかと思います。
「教室で毎日、彼氏/彼女が話題にのぼる」こととそれに対する驚きをそれとなく友人(日本語教師の経験がある韓国出身韓国人女性)に話すと、「やっぱり皆が参加しやすい話題だし、盛り上がるし、彼氏/彼女のことをまず聞くのは、韓国人の癖だ」とのこと。「韓国人の癖」かどうかは、ひとまず措いておくとして、教室という場で毎日のように、いとも無邪気に明確に、その人のセクシュアリティが規定され、明るみに出されることに戸惑いを覚えつつ、「メグミシ!ナムジャ チング イッソヨ!?」(めぐみさん、彼氏いるの!?)と聞かれると、最初は苦笑いをしながら仕方なく答えていました。しかし、いつの間にかそんな質問に慣れてしまっていることに、私も確かにその「教育」に影響されつつあると、その生き易さに安住しつつあると、改めて気付かされる今日この頃です。
韓国の大学や大学院への入学、会社への就職を目指す学生達が主に通う(と設定されている)「韓国語文化教育センター」という名前の通り、教室では、韓国語を通して韓国の社会や文化、人々の行動や意識を、時には学生達の出身地(日本や中国などなど)と比較しながら学びます。世界中の多くの語学学校がそうであるように、「わが国ではこうなのだ」ということを明確にする場でもあり、日々の授業はまさしくそれの積み重ねなのです。
また、各級に対応した教科書では各15課ずつ単元があるのですが、「恋愛・結婚」は重要な単元な一つです。様々な恋愛形態やそれに関わる人々の行動や気持ちや反応、結婚や離婚に関わる様々な状況を、韓国語ではどのように表現するか。それはここで生きるために間違いなく必要かつきわめて身近な知識ですが、多様なセクシュアリティがいかに均一化されるのかということを示すものでもあると言えるでしょう。
一方で、様々な意味で女性差別が根強いとは言え、女性の社会進出が(不十分ながらも)進みつつある韓国では、離婚が社会問題になっていることもあり、女性と男性の関係性のあり方を見直そうという方向性も教科書には盛り込まれています。例えば、「家庭の日常」という単元の聞き取り問題では、掃除をめぐる夫婦喧嘩で、男性が「はっきり言って、家事をこんなに手伝う男はいないのに」とこぼすと、女性が「手伝うという考え自体が問題!一緒にやるものでしょう!」と反論。結局夫婦喧嘩は、週末は「ナムピョン」(夫)が家事を全て担うという提案で終わり、それと関連して教科書では、男性が家事をどのように担うべきかという作文課題へとつなげられています(*)。
もちろん、この聞き取り問題のそもそもの前提は、「アネ」(妻)が子育ても家事も全て担っているということです。そしてその不満が、週末にTVにかじりつき、「(サッカーの試合が)ちょうど良いところなのに」と口をとがらせる夫に対して爆発、夫婦喧嘩へと発展・・・という筋書きであり、このようなジェンダー・バイアスに基づく「前提」は、教科書レベルから枚挙にいとまがありません。このような「前提」とともに、上で少し紹介したような新たな方向性が、韓国の現在をいかに反映しているのか、ただ「教育」され、慣らされていくのではなく、一つずつ慎重に考えていかなければと思っています。
最後に、教科書には、「一人で住むことも悪くない」という言葉とともに「ドクシンジュイ」(独身主義)という言葉はありながら、「結婚主義」という言葉はありません。結婚を選択しないことが、「主義」として区別(差別)されていると見るか、それともそれが教科書に載るほどに認知されていると見るか、こちらの視座も映す言葉の一つだと言えるでしょう。
(*)高麗大学校韓国語文化教育センター編『楽しい韓国語4』教保文庫・2010
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