2010.09.30 Thu
チュソク連休のいくつかの「体験」 **注意** 後半で、拷問に関わる記述が少しあります。
旧暦の8月15日にあたる9月22日は、韓国ではチュソク(秋夕。中秋節とも言うよう)というきわめて重要な祝日でした。皆が実家や親戚宅へと集まることから、ニュース番組では「民族大移動」とまで表現されるその日のために、前後一日ずつも一緒に休日となるのですが、今年は9月21日(火)・22(水)・23日(木)がそれに当たったため、人によっては9月18日(土)あたりから26日(日)までが連休のような感覚で、街が動いていたように感じます。
韓国内に家族や親戚のある人は皆それぞれの約束があるため忙しいのですが、反面、私のような人間からすれば、なんとなく手持ち無沙汰かつ不便(多くの店が閉まる、もしくは短縮営業となるため)な一週間でしたので、語学学校の中国人留学生とともに遊んだりと、私なりの連休を過ごしました。そんな週末、大学院の後輩が夏休みを利用してソウルにやって来たのですが、25日(土)には一緒に天安市にある独立記念館へ行ってきました。一度行ってみたいと思いながらも、ソウルから高速バスと天安市内バスを乗り継いで約2時間という距離にあるため、これまでなかなか足を向ける機会を持てなかったのですが、後輩の誘いのおかげで今回初めて訪ねることができたのでした。

(写真1)入場ゲート前で待機中の変り種自転車たち。後ろに見える翼のような大きなモニュメントは、「キョレ(同胞)の塔」。2010年9月25日、著者撮影
土曜日ということで、家族連れやカップルも多く、駐車場から入場ゲートへ至るかなり広い広場では、変り種自転車(大人二人子供二人で乗るような)やゴーカートなどを楽しげに乗り回す姿が多く見られました。(写真1)
山麓の豊かな緑に囲まれた120万坪もの敷地をもつ独立記念館はとても広く、屋内展示施設を軽く見て回るだけでも二時間以上かかります。(写真2) ですので、とりあえず記念館全体の雰囲気を掴むためにも、敷地をぐるっと回る「ハンオリ列車」(「ハンオリ」は、恐らく「韓民族の精神」、もしくは「一つの精神」という意味だと思われます)に乗って、入場ゲートから独立記念館の中心的建物でもある「キョレ(同胞)の家」まで行きました。
15分ほどの車窓の旅でしたが、一つ面白かったことは、後ろの座席に座っていた家族の会話でした。学齢期に達しているかいないかの子供とその両親、話ぶりから祖母と見られる女性の計四人が座っていたと思うのですが、道中、その祖母が孫に独立記念館について語って聞かせていたのです。「キョレの家」到着直前にしていた日本の植民地支配からの独立に関わる話はどうやら少し難しかったようで、孫の反応も芳しくなかったようですが、その前にしていた、自分たちの家族が何百年も続いているのだという話には、「オンマのオンマ、オンマのオンマのオンマ?オンマのオンマの・・・」と、言葉遊びをするように面白がりながら、祖母と一緒に繰り返していた孫の声が印象的でした。そして、こういった会話を交わす場所なのだなぁとうっすら思いながら、列車を降りたのでした。(母親を指す「オンマ」は、「ママ」や「お母ちゃん」といったニュアンスの言葉です。この子供の性別を確認し忘れたことを後悔するとともに、父親ではなく母親の血筋を例に出して説明していることの重要さにも、今気付きました。)(写真3)

(写真3) キョレの家を下から眺める。2010年9月25日、著者撮影
さて、独立記念館には、施設配置図(写真2)でいうと14番にあたる「キョレの家」の背後に、1番から7番まで7棟もの屋内展示施設があります。それぞれテーマが設定されており、第1館「民族の根」、第2館「民族の試練」、第3館「国を守る」、第4館「3・1運動」、第5館「国を取り戻すための戦い」、第6館「新しい国づくり」、第7館「独立運動体験場」とあります。(日本語版リーフレットより。ちなみに、ハングル版と日本語版では若干ニュアンスの異なる言葉が使われています。)
なかでも第7館はぜひ覗いてみたかったのですが、 残念ながらリニューアル工事中でした。独立記念館は新資料の調査・発掘のみならず、最新の展示技術やより効果的な展示方法について模索がなされているようで、その微妙な移り変わりは、図録などから伺い知ることができます(※)。正直、リーフレットに記載されている公開中の全6館の館内地図を見て、こんなに・・・と驚いたのですが、実際入ってみると、文献・写真を含む各種資料のみならず、音声や映像、等身大のものから小型のものまで各種ジオラマ、様々な体験型機器、印象的かつアーティスティックな館内デザイン、色や音、光(明かりと暗がり)によってメリハリがつけられ、誘われるように最後まで歩けてしまうのです。
・・・と言いつつ、正直なところ私は、語学力の問題(とそれに伴う集中力低下)のために、展示されている諸資料やそのキャプションの多くについて、しっかりと見聞きしたり読んだりすることはできませんでした。実に情けないことですが、一方で、こういった観覧の仕方は、この場所が想定した一つのあり方だったのではないかとも思います。なぜならば、韓国語版リーフレットのデザインからも推測できますが、この独立記念館は、誰よりもまずは子供たちに向けられたものだと考えられるからです。(写真4)

(写真4)ハングル版・日本語版リーフレット。表・裏表紙の雰囲気の差は明らかです。2010年9月28日、著者撮影
もちろん、同伴している保護者や教師が色々説明したりする場合も少なくないでしょう。しかし、それを一つ一つしていくには、あまりにも広いのです。そして実際、多くの家族連れを見たにも関わらず、子供に熱心に解説している姿はあまり見られませんでしたし、ほとんどの子供たちは様々な展示方法に惹かれ、楽しそうに過ごしていました。私の能力不足を正当化するわけではないですが、もしかしてここでは、一つ一つを理解することよりも、まずはその歴史の世界を歩くこと、感じること、「体験」することが重視されているのではないか――と、ふと思いました。

(写真5)施設配置図15「3・1文化広場」を眺める。2010年9月25日、著者撮影
このように考えると、第7館は、「独立運動体験場」(ハングル版リーフレットでは、「一緒にやる独立運動」。但し、展示内容には全て「体験」という言葉が含まれます)としてリニューアル工事中ですが、どんな「体験」の場になるのか、興味深いところです。(写真5)
一方、施設配置図12番と27番の間にある広場では、屋外を利用していくつかの「体験」コーナーが設けられていました。ミニチュア独立門(大人がくぐれる大きさ)やパネル版光化門、そして伊藤博文暗殺現場「体験」コーナー、拷問「体験」コーナーなどです。(写真6)

(写真6) 伊藤博文暗殺現場「体験」コーナー。2010年9月25日、著者撮影
伊藤博文暗殺現場「体験」コーナー(このネーミングは私が考案)は、左側が伊藤とその集団、右側で銃を構えているのが安重根、そしてそれを取り押さえようとする集団が等身大(?)で再現されています。背景の列車も出たり入ったりできますが、伊藤と安それぞれと一緒に写真を撮ったりもできます。私が見た時には、3歳位の息子を安の前に立たせ、安の真似をして手で銃の形を作るよう指示し、カメラを構える父親がいましたが、息子の方は指示が理解できなかったのかうまく手の形を作れず、結局両手で「小さく前へならえ」をしたような形で写真におさまっていました。これを見た時、率直に、「あぁ、理解できていなくても、こうやってここで写真におさまること、こういった「体験」を重ねていくことが意味を持つんだな」と、極端な例ではありますが、考えさせられました。

(写真7) 拷問「体験」コーナー。2010年9月25日、著者撮影
一方、拷問「体験」コーナーでは、内向きに釘が多く仕込まれた木箱が二つと尋問のための手錠が一つ付いた長机が一つ、そして椅子が四脚ほど用意されていました。(写真7)とくにこの木箱の「使い方」は、第2館(民族の試練)の、拷問風景をほぼ等身大で再現した刑務所の展示で、明らかにされていました。小さく体を丸めてようやく大人一人が入れるほどの木箱の中に尋問相手の朝鮮人を入れ、椅子に座ったままの日本人が足を載せて重さをかけたり、蹴ったり、立って棒で殴ったりするのです。それにより、内部に仕込まれた釘が体に食い込むという仕組みです。ですが、この「体験」コーナー、長机の手錠が一つということは、尋問対象者が座る椅子は恐らく最高でも一脚です。(もちろん、座らせない場合も有り得ます。)一方で、木箱の横に置かれた椅子も含めた残りの三脚は、一体何を「体験」するためのもの・・・?と、一瞬不思議に思いました。木箱と長机だけでは成立しない、拷問という場。そこには必ず、「やる側」である日本人がいた、ということは強調してもしすぎることはありません。ですが、その抑圧者の側までも「体験」させ得る、この三脚の椅子。この発想については、慎重に考えていく必要があると思っています。
長くなりましたが、最後にもう一つだけ、「体験」を。この独立記念館には、「ハナ通信―韓国滞在記(2) 景福宮を歩いて」で取り上げた、旧朝鮮総督府庁舎の撤去部材が展示された公園もあります。(写真8)

(写真8) 朝鮮総督府撤去部材展示公園。
総督府庁舎の尖塔を中心に配したこの公園は、「朝鮮総督府の尖塔など撤去部材を地下5メートルの空間に埋葬し、展示」し、「日本帝国主義の残滓の清算と克服という意味を付与した空間」(展示看板より)として、作られたものだそうです。
ですが、きつい傾斜のある丘を登りきって急に目の前が開けると現れるこの風景は、確かに寂れた雰囲気を演出するのですが、一方でこの公園の様式は、過去に栄華を誇ったであろう古代遺跡を見るような、一種の倒錯した感傷をも生み出しそうに見えて、とても複雑な気持ちになりました。(写真9)

(写真9) 写真8と逆方向から見た同公園。
写真9の、尖塔右手の階段を上る人などの大きさと比較すると、公園の大きさを感じてもらえると思いますが、以上のような感想は、もしかしたら私が日本人だから感じるものなのかもしれません。とは言え、「悲劇の終末と明るい未来への夢を象徴化」(日本語版リーフレットより)したというこの空間、これで良かったのだろうかという思いはやはり拭いきれません。
この空間が想起する様々な思いまでをも、はからずも「体験」することとなった独立記念館。忘れられない経験がまた一つ増えました。
(※)確か、第4館と第5館の間だったと思うのですが、書籍販売ブースがあり、『独立記念館 小図録』(ハングル版・2010年刊)、『独立記念館 展示品要録』(日本語版・2000年初版、2004年改訂)などが関連書籍とともに売られており、二冊とも買い求めました。店員に話しかけると、「韓国語がお分かりになるなら・・・」と展示図録とは異なる、非売品らしい40ページほどのパンフレットをくれました(発行年など不明)。
発行年に差のある二種の図録では、各館のテーマ名や展示内容が若干異なり、とくに第6・7館の展示内容の配分が異なることが分かります。(非売品パンフレットは、日本語版と同じテーマ名・内容配分です)二冊の図録のどこがどう異なるのか、実際の展示内容のみならず、言語的差異が生む読者・内容の差異についてもいずれ比較してみたいと思います。
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