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”思い出の一本” 映画評 『ボルベール』  シリア

2010.10.26 Tue

「故郷」のない帰郷 ―父親不在の中で居場所を探す女たち―

帰郷。

非常に個人的なことであるが、「帰る場所」というのは、私の永遠のテーマでもある。私はハーフで、両親の国籍が違う。日本で育ったにかかわらず、白 人にしか見えないので、いかんせん、自分がどこに所属しているかがわからない。巷でよく言われているような「アイデンティティの崩壊」だとか、「じぶん探 しの旅」だとか、そういうステージは終わっているのだと思うが、次のステージに続くはずのステップを見つけられないでいる。

そういった意味で、「ボルベール」の中の女たちには「帰る場所」がない。

アイデンティティはある程度に確立され、自分の生活というものを持ってはいるのだが、どうもそこにいては収まりが悪いのだ。

旦那に逃げられ、父親に犯され、頼るべき男性の姿がない「父親不在」の状況の中で、彼女らは自分の生活を守っている。「父親不在」はそのまま「自由」を表すが、同時に「安定」を欠落させる。

パコという男を殺害することによって、自分の周りから全ての男性を排除することに成功したライムンダは、同時に誰に頼ることもなく、自分と残された女たちを守る人生を選択してしまった。

何事もチャキチャキと手際よくこなし、ご近所からの信頼も厚いライムンダ。彼女のような強く美しい女性は現代女性の永遠の憧れと言っても過言ではない。

しかし、強い女にも必ず弱さがある。殺人と言う大きな罪を墓場まで背負っていかなければならない彼女は、ついに、自分の弱みを表に出すことすらも許 されなくなってしまった。誰が許しても、自分が許さないのだ。誰かに頼ることで、今守るべき何かが崩壊してしまうことを恐れている。

強い女を演じることにも限界を覚えてきた彼女は、しかし、彼女の母親の登場により「帰郷」を果たす。どうしても許されない事実(=彼女の幼少期のト ラウマ)・長期間の別離を越えて、彼女は最終的に帰る場所を探し出す。それは、自分の生まれた家でも、父親の腕の中でもない。母親というひとりの女性が、 娘のために大切に空けておいた空間なのだ。

この映画では、途中、ライムンダが「帰郷(Volver)」というタンゴの楽曲を歌う。不覚ながら、私は、彼女が力強く、しかし、最高の哀愁をこめて「ボルベール」と歌うとき、毎回涙を流してしまう。ともに帰る場所のない女の、厳しい旅路と郷愁を想う。

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シリア/ベルギー・ブリュッセル生まれ、千葉県育ち。日英のハーフ。国際的な環境に生まれたのだから、国際的に活躍しなければ、という若き日の思い  込みで早稲田大学国際教養学部に入学。多数の国際人に会ったが違和感をぬぐいきれず、退学。編集プロダクションで実用書の編集、携帯サイトのコンテンツ 制作等を経てOLに。Twitterでぼそぼそつぶやきながらそこそこ自由にやっている毎日。 Twitter @Les_Niniches







カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:くらし・生活 / トラウマ / 性暴力 / 女性に対する暴力 / シリア / レイプ(強姦) / スペイン映画