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映画評『セラフィーヌの庭』 上野千鶴子

2010.11.02 Tue

美しい田園風景に浮かび上がる、アーティストの才能と狂気

アウトサイダーアートというジャンルがある。世間からはみだした人物が、誰の目にもとまらないところで、こつこつと書きためた作品が、ある日脚光を浴びる。美少女戦士を描きつづけて、死んでから作品を発見された屋根裏部屋の変人、ヘンリー・ダーガーや、有名なところでは素朴派の巨匠、アンリ・ルソーがそうだ。日本では知的障害者で絵に才能を示した裸の大将、山下清のような画家だろうか。セラフィーヌ・ルイ(1864-1942)はそんなアーティストのひとりだ。実在の画家だという。知らなかった。

セラフィーヌはひとり暮らしのまずしい家政婦。そんな彼女の唯一の生きがいは、誰にも知られず屋根裏部屋で絵を描くこと。画材を買うおカネがないから、手作りする。寡黙で鈍重で誰からも軽んじられている彼女の才能を見抜くのは、ドイツ人の画商、ヴィルヘルム・ウーデ(1874-1947)だ。彼はルソーを発見し、ピカソを評価した人物。作品というものは評価する人がいて初めて価値を持つ。ピカソだって、どこがいいの?って思えばそれまで。

キャンバスを与え絵の具を与えて、ウーデはセラフィーヌに絵を描くように励ます。彼らを引き裂くのは1914年の第一次大戦だ。ふたりは戦後再会するが、個展を開いて彼女を売りだそうとするウーデが頓挫するのは、1929年の大恐慌。経済が破綻するとアートどころでなくなるのは、時代を問わないらしい。バブルがはじけた後の、日本のアート市場を思い出す。

いったん認められて舞い上がったセラフィーヌは、ウーデの苦境が理解できない。自分が騙されたと思い、ひたすらウーデに悪罵を投げつける。そのうち精神に変調をきたした彼女は、精神病院に収容される。その当時68歳だった彼女は、それから病院で10年生きて78年の生涯を閉じる。

画面では彼女の作品を次々見せてくれる。執拗でくりかえしの多い木や花や葉の絵は、爆発的な生命の樹を想起させる。生命の樹とは、十字架のシンボルの元になったアクシス・ムンディ(世界軸)。彼女の天上的な信仰心の篤さと偏執的な集中ぶりがうかがえる。草間彌生の作品を連想した。芸術家って過剰さと狂気を持ちあわせている人たちなのだろう。

出ずっぱりで演じるヨランド・モローが、憑依と思えるほどの演技。容貌までそっくりで本人も運命を感じたとか。鬼気迫るひとり芝居を見せられた気分だ。緑したたるフランスの田園風景を映し出すロングショットの画面が、目に沁みるようにうつくしい。

(クロワッサンPremium 2010年9月号初出)

『セラフィーヌの庭』URL

http://www.alcine-terran.com/seraphine/

監督:マルタン・プロヴォスト

出演:ヨランド・モロー、ウルリッヒ・トゥクール、アンヌ・ベネント

配給:アルシネテラン

カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:映画 / 上野千鶴子