エッセイ

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ドイツの震災報道をめぐって(日地谷=キルシュネライトのインタビュー)

2011.04.21 Thu

日本の皆様

これは、東日本大震災が突然日本を襲った日から16日目の3月27日、ドイツの全国紙「DIE WELT」に掲載された私へのインタビューです。インタビュー自体は掲載の数日前に行われたのですが、27日の日曜版に載せたいとのDIE WELT社の希望で、掲載が何日か遅れることになりました。

インタビュー内で理由を述べているように、私は今回、ドイツメディアの、まるでオーバーヒートしたような、日本についての報道から距離を置こうと内心決めていたのですが、あまりに馬鹿げたメディアの態度やその報道内容に愕然とし、一度だけでも批判の声を上げなければと思ったのです。DIE WELT紙を選んだ理由は、私にインタビューしたウーベ・シュミット記者には、やはりドイツの全国紙であるフランクフルター・アルゲマイネ紙の特派員として長年に亘り日本に滞在した経験があり、日本からの彼の報道はドイツで高い評価を受けてきたからです。私の意志を正確に伝えるために最善を尽くしてくれるに違いないとの、私の彼への信頼が、このインタビューとなったのです。写真を加えたほとんど全ページを使った記事でしたが、やはり編集部によって省略されて言い足りなかった部分がありましたので、それをほぼ元のかたちに直したインタビューの日本語訳がこれです。ここには、少なくともその時私が言いたかったことが正確に表現されており、またその時のドイツにおける状況もかなり描写されていると思います。いずれにしても、全国民が今何らかのかたちで大災害と向き合っているであろう日本への、私の心からの連帯の気持ちがこのインタビューです。

質問(DIE WELT ウーベ・シュミット記者)

大地震と津波が日本を襲った時、貴方は東京から南日本における講演に向かう途中で、京都に滞在していたとのことでしたね。

答え(日地谷=キルシュネライト)

そうです。今回の主な被災地である東北地方からかなり離れた場所で、私はあの衝撃的な大災害を知りました。泊まっていた京都のホテルでインターネットを使えなかったこともあり、最初はニュースの断片だけでしたが、ドイツに電話すると、私が勤めるベルリン自由大学は震災後直ちに、その時日本に滞在していた15人ほどの学生達を速やかに帰国させるか、少なくとも南日本に退避させるという処置を取ったそうです。私はそれ以後も予定されていた行動を取りました。決まっていた講演やシンポジウムへの参加をキャンセルし、すぐに帰国するなどと言ったら、私を招いてくれた日本の人々は怪訝な顔をしたはずです。

日本のメディアは最初、福島の原発事故ではなく、壊滅的な津波の被害を主に報道していましたが、原発で爆発があり建物が破壊された頃から少しずつ変わっていきました。いずれにしても、膨大な量の情報がメディアを通して提供され、全体像といったものがほとんどつかめず、テレビを見ていた私は、まるで野次馬のような気分になったものです。

質問

日本のテレビで状況を追っていた者は、皆そう感じたと思いますが。

答え

テレビなどで外国人達が急いで日本を去ったと聞く度に、私は何となく申し訳ないような気分になっていたのですが、結局私自身も予定を繰り上げ、かなり複雑な気持ちで、3月18日に熊本から福岡・ソウル経由でドイツに帰ってきました。節電開始、交通網の乱れや運行数の減少、ガソリン不足などというニュースを旅先で知り、はたして帰国するまでの残り一週間、計画していた行動をとれるのかと疑問に思っていたのです。するとさらに、ルフトハンザが成田から関西空港に飛行機の発着を移したと聞き、今回利用したスカンディナビア航空に連絡し、予定日に成田から帰国できるのか訊ねようとしましたが、いくら試みても全然連絡が取れず、一体その先どうなるのかまったく分からなかったからです。それに、正直に言いますと、京都へ出発する前に泊まっていた赤坂のホテルの28階の部屋で、今回の震災の前触れであったと思われるかなり強い地震の揺れのため、まるで船酔いのような気分になった恐ろしい体験のくり返しは避けたいと思いました。

質問

東京に住む外国人達の大量避難を知り、日本人は不可解に思った、あるいは取り残されたように感じたでしょうか?

答え

そんな急激な反応に対する、怪訝な気持ちはあったと思います。でも、それはごく控え目にしか示されませんでした。反対に、日本人と結婚しているドイツ人の友人や知人達のように、“自分の故郷は今では日本である、皆と一緒にここに留まる”そう言う人々がいたことも事実です。

質問

この大災害の被災者達が大きな混乱の中でも規律を守り、驚くほど冷静に悲惨な状況に耐えそれに立ち向かっていた姿に、世界中の人々が驚きと感嘆の気持ちを表していましたが、貴方にとっても被災者のあのような態度は驚きでしたか?

答え

いいえ、私にとって驚きではありませんでした。驚きではなかったにもかかわらず、やはり私も世界中の人々と同じように、被災者の態度から深い感銘を受けました。あの、覚悟を決めた平静さ、自己中心的な態度の回避、感情を抑えながら前向きな行動に移ろうとする強さ、そのような態度に心から感動したのです。もちろんだからといって、被災者が恐怖や絶望を感じていなかったはずはありません。しかし、被災者の方々はそんな状況においても、自分の苦痛や嘆きで他の人々に負担をかけたくなかったのだと思います。日本人が自らの文化的習慣として身に付けているそのような節度ある態度は、本当に心を打つ感嘆に値する姿だと思います。相手に対してごく普通に感情移入のできる人間なら誰でも、そのように毅然とした態度を示している被災者達が、内心いかに絶望し悲嘆に打ちひしがれていたかを想像できるはずです。

ところがドイツに帰って以来、私はこれまでショックを受け続けてきました。ドイツのメディアがそんな日本人を理解できず、しようとせず、例のごとく日本への紋切り型に陥っているのを見たからです。あのように多くの馬鹿げた質問や解釈は、日本を研究対象にしている者として特に我慢なりませんでした。これまで何十年にもわたる研究やメディアの報道、グローバル化された世界での知識収集の多くの可能性などにもかかわらず、相も変わらず旧態依然とした陳腐で不毛な日本人へ対するステレオタイプが噴き出していたのです。本当に悲しくなりました。

質問

特にどのような点に失望され、怒りを感じられましたか?

答え

例えば今お話した、日本人がそんな悲惨な状況においてさえ規律を守ろうとし、控えめながらも威厳に満ちた態度を示していることが、ドイツでは必ずしも肯定的に理解されていなかったことです。自分達ドイツ人の習性であると自らも認めている、すぐに不平不満をがなりたて責任を他に押し付けたがる態度が、日本ではそれほど強くないという事実が、この国ではほとんど理解されていないのです。その不可解さを、日本人とは理解不可能な不思議な民族だとの考えや、あんな態度をとれるのは感情をあまり持っていないからではないかなどという、とんでもない結論に結び付けてしまうのです。やがてそこに“神風”という紋切り型神話が登場し、“福島の50人”と名付けられた消防士達に当てはめられます。あの消防士達の行動の背景に、強制だけを見ているドイツ人がいることに私はショックを受けましたが、ある意味でそれは、現在ドイツ社会の精神の在り方を示しているように私には思えました。新聞では“隷民根性”などという表現さえ見られたのです。“これは誰かがどうしてもやらねばならない責務であり、自分達はその為に訓練を受けてきた。自分達でなければ、一体誰がそれを行うのか”、そう考える人々が日本にはいるのです。彼等は責任感からそう決断したのであり、強制やナイーブさでそうしたとは私には思えません。それを理解できないドイツ社会を考えると、暗い気持ちにさせられます。

質問

テレビ局ARDの特派員が、日本の原発ではすでに長い間、いわゆる“使い捨て労働者”というものが“消費”されてきたと報道していましたが。

答え

馬鹿げていると思いました。少なくとも、それが事実であるという証拠を私は見たいと思います。メディアの報道には、常に正確さが求められるべきです。もちろん、彼等にも時間の制約など多くの圧力があるのかもしれませんが、俗受けを狙った誇張した内容の報道はやめるべきです。その特派員が言ったことが事実なのかどうか、今私には判断できませんが、いずれにしても彼は、自分の報告の出所とその真偽をはっきりさせるべきです。もし彼の報告が事実なら、それは信じられない恐ろしい話です(東京電力が)。しかし、それが事実でないのなら、やはりそれも信じられないひどい報道姿勢です(テレビ局ARDが)。もしその報告が本当だとしたら、東京電力は当然、事情を全て明らかにし相応の責めを負うべきでしょう。しかし、そのような未確認の報道がもたらす破壊的な効果を忘れてはなりません。現在の状況が何とか収まりそれが可能となった時、日本では当然、これまで原発で犯してきた不注意や誤りと向かい合うことになるでしょうし、そうせねばならないはずです。しかし、現在の危機的状況の下で、重大な決断を下し状況改善を必死に試みている人々のことを考え、無責任で知ったかぶりな態度は控えるべきだと思うのです。

質問

傲慢な知ったかぶりは、私達ドイツ人が日常生活で慣れ親しんでいる態度ですね。

答え

その通りです。

質問

元ドイツ首相のヘルムート・シュミット氏は、原発事故へ対する日本政府の情報操作について、“政府は決して嘘をついてはいけない。しかし、知っていることを全て発表する必要はない”そう言っています。たしかに、もし東京周辺においてパニックが起きたりしたら、予測もできない深刻な事態になりかねませんね。

答え

それを言ったシュミット氏は、賢い人物だと思います。原発事故が発生したあと、発表される状況説明や数字などがよく理解できないこともあり、国民の間には不安が増加していました。しかし、政府や電力会社の歯切れの悪い姿勢にイライラすると同時に、日本国民はパニックがいかに危険かを本能的に理解していたと思います。それに、現在では国民も政府の発表だけを頼りにする必要はなく、それができる者は、他の多くの情報ルートを探ることもできるはずです。また、用心深く歯切れの悪い態度とは、見方によれば一種の責任感をも示しており、それは例えば、死者の数の発表についても言えることだと思うのです。日本では今回、確認された遺体だけを死者として数えたためか、死者の数は毎日ゆっくりと上昇していきました。膨大な数の犠牲者が予想されてはいましたが、いきなり想定される犠牲者総数を報道するなどという不注意なことはせず、注意深く死者と行方不明者の数を明確に分けて公表していました。私達がつい忘れてしまうのは、突然襲ってきたこの災害の巨大な規模と被災地の広範なことであり、特に初期の段階では、被害の全容を把握することがいかに困難であったかという事実です。

質問

日本の知識人、文学者、芸術家などは、この災害に対してどのような反応を示していましたか?作家の村上龍は、とっくに失ってしまったと信じていた、祖国に対する希望をもう一度見つける努力をしようと自分は決心した、そう書いていましたが。

答え

日本に滞在していた時点では、私が知る限り、有名な芸術家などのステートメントをメディアで目にすることはありませんでした。私が唯一知っているのは、九州で一緒だった文学者や学者などが、現在、被災者のための慈善の催しを行うため、懸命に準備しているということだけです。私が日本にいた段階では、まだステートメントなどを出す状況ではなかったと思います。若い女性作家である黒田アキラが、自分の国に今強い連帯感を感じている、そう述べたと確かドイツの新聞で読みました。祖国が大きく傷つき、一時的にせよ無力な状態にある時、連帯感が湧き上がってくるのは人間として自然な感情であり、よく理解できます。日本の危機に対する、外国からのあざけりなどもあったかも知れません。いい気味だなどという個人的発信が中国からあったとどこかで読みましたが、そんな声がどれだけ代表的なものなのか、私には分かりません。しかし例えば、歴史的に見るとこれまで複雑な関係にあった韓国からは、直ちに救援物資が送られてきましたし、国際的な同情の声も非常に大きく強いものです。いずれにしても、これまでどちらかといえば原発事故だけを注視し、いささかヒステリックで自己中心的だったドイツ人の反応が、再び純粋な連帯の気持ちに変わることを私は切望しています。日本から送られてきた衝撃的で同時に感動的な映像を見て、心から日本に同情しているドイツ人が無数にいることを私は確信しているからです。

しかし、ドイツにおける日本に対するコメントや討論では、その後も原発事故と原子力発電の功罪などが主なテーマとなっており、本来の大災害自体は背景に押しやられてしまっているようです。原発反対という自らの世界観や政治目標の正しさを証明するための道具として、この大災害が利用されているためですが、それはとても残念なことです。なぜなら、日本は今、理屈や条件抜きの真の連帯を必要としているからです。

質問

状況がどうであれ、自分に示される友情や忠誠の心を日本人は高く評価しますね。今窮地に立っている彼等は、他国から発せられる連帯感をかならず記憶に留めると思いますが。

答え

私もそう思います。偶然今年は日独友好150周年を記念する年でもあり、そんな時に日本側がドイツ人に失望を感じたりしたら、本当に残念なことだと思うのです。少なくともこれまで、私が必ずしも適切でないと感じたドイツ側の反応を、もしかしたら日本人はしっかりと心に刻んだかもしれませんから。しかし、こんな機会に一つの社会からあらゆる側面が噴き出してくるのは、仕方ないことなのかもしれません。肯定的に思えるのは、オーバーヒートしたかのような、最初のヒステリックで紋切り型な報道に対する、反省と熟考が少しずつ増えてきていることです。いずれにしても、やがて日本の状況がある程度落ち着いた時、私達日本研究者は、ドイツで特にメディアがこれまで示してきた反応のかたちや報道姿勢などを分析する必要があると思うのです。つまり、一体なぜこれほど多くの紋切り型が再び浮上してきたのかを、しっかり見極めるということです。なぜドイツのメディアは、すでに消えてしまったあるいは解決されたと思われた、日本へ対する古い紋切り型に再びはまり込んでしまったのか?

質問

おっしゃることはよく分かるのですが、今回のような大災害について限られた時間内に、しかも専門外の分野の報告を書かねばならないこともあり、加えて災害地から遠く離れた場所でそれを行うという、私達ジャーナリストの難しい立場もご理解いただきたいのです。もちろん報道は常に正確であるべきですが、今回のような緊急事態もあるのです。

答え

そのようなジャーナリストのジレンマや困難を、私も理解しているつもりです。大災害が日本を襲った日以来、あのすさまじい映像から衝撃を受けた私達は、なんとか自分の考えをまとめようとして、文化差の応用などという安易な方法に引き込まれ易くなっているのです。不可解な問題に直面し答えに窮すると、私達は部分的にしか正しくない、不正確なモデルや雛形に頼ろうとするからです。その際、普遍化、一般化、非歴史化などへ陥ってしまう可能性は非常に高く、さらに、被災者にまず人間を見るという、こんな場合かならず守られるべき規則が忘れられ、そこに日本人だけを見てしまうのです。学者や研究者などいわゆる専門家からは、複雑な全体を把握する能力が求められるはずですが、今回のように突発的な異常事態に直面すると、これまでの経験や知識などほとんど役に立たなくなってしまいます。ですから私は今、軽率な発言や間違ったコメントなどを避けるためにも、メディアからの依頼に対してなるべく距離を置こうとしています。

質問

日本にはかなり前から、“日本人論”と呼ばれる、自己分析ないしは自己定義を試みる分野がありましたね?しかも、自分たちには不可解な、日本人の特殊な性格といったものを引き出そうとする外国人のためには、それを認定してくれる日本人の証人が必ず出てくるようですが。

答え

そうなのです、実に奇妙です!日本の社会には、自己分析を非常に好む多くの人々がいるようですが、もちろんそこで作り出される分析や結論は、部分的に外国における異国趣味などを自分のものとして取り込んでしまった結果でもあるのです。例えば、日本は“ハーモニー、和の国”であるという文化比較論の常套句などは、日本において機能化された、歴史的に見ても非常に興味深いテーマだと思います。しかも、そんな流れは今でも続いているのです。1970年代から80年代にかけて、日本は特別な国である、日本人は選ばれた国民であるなどという、ある意味ではかなり不遜な態度が頂点に達したあと、そんな流行はやがて沈静化していくに違いないと私は思っていたのですが、まったくそうではなく、日本の謎を解いてくれるという入門書・案内書などが、今でも内外で出版され続けているのです。

質問

皮肉なことに、大災害という恐ろしいかたちで、日本は長い間は離れていた世界の桧舞台に再び登場したようです。ここ20年ほど、世界の人々は以前ほど日本に注目してこなかったように思えるのですが、それは日本人自身でさえ同様だったようです。必要とされる政治改革の試みの停滞や頓挫は、そんな流れをむしろ加速させたことでしょうし、そのあとに残ったのは、白けた気分だけだったように思うのですが。

答え

長い間君臨してきた自民党がついに政権を手放し、いよいよこれから何かが変わると思ったとたん、全てが以前とほとんど同じパターンのくり返しになってしまったようです。あれには本当に失望しました。国民だけでなく、友好国なども日本の新たな出発に期待を抱いたと思うのですが、全ては元のままでした。日本の政治は、今多くの改革が必要とされているにもかかわらず、自分で自分をほとんど動けなくしており、かなり危機的な状況だと思います。ところが今回の災害によって、もしかしたら突然日本人の内部に変化が起こり、何かが目覚めるかもしれない、そんな希望を私は持っているのです。しかしまず、福島原発の危機が何とかコントロール可能な状態になること、それを今私は心から望んでいるのですが、それが可能となったとしてもしばらくの間、日本人はかなりの制約を受けた、今までの豊かさを限定された日常を受け入れざるをえないのかもしれません。しかし、それに対して私はそれほどの不安を感じていません。そんな状態を日本人は見事に克服し、やがて復興を成し遂げる筈です。それに関しては、私だけでなく誰も疑いを持っていないと思います。今回のような大災害から速やかに復興する力を持つ国といえば、それは日本です。先ほど話のあった、作家の村上龍が自らの祖国に見出そうとしている希望とは、そのようなものだろうと思うのです。残念ながら、福島の原発事故はまだまだ予断を許さない状況で、このあとどう進展していくのか予想もできません。しかし、多くの日本人が今ほど強く自分の国に対する連帯の気持ちを持ったことがなかった、そう思っているとしたら、それはよく理解できるのです。日本に対して、私も今同じ気持ちを抱いているからです。
著者プロフィール

イルメラ日地谷=キルシュネライト
(ベルリン自由大学教授・専門は日本文学、伊藤比呂美の翻訳紹介、私小説、三島由紀夫の研究で知られる)

カテゴリー:震災

タグ:東日本大震災 / ドイツ