エッセイ

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サンフランシスコ便り(2)BERKELEYの女たち 堀川弘美

2011.06.15 Wed

昔お得意様だったTishという弁護士さんと。

ベイエリアをうろつき始めて2ヶ月半、ややBerkeleyに落ち着いて住み始めて約ひと月。70年代に日本から移り住んだ女の人たち十数名の濃密なネットワークがここにあることを肌で感じる日々です。「ヒッピー」という言葉は聞いたことがあるけれど、髪の毛の長いもじゃもじゃした男女たち、というイメージ以外よく知らなかったけれど、ヒッピーを自称する女の人たちいました!そんな女の人やデモが大好きでたまらない!と言う女の人たち、デモに燃える女の人たち、はちを飼い、はちみつを作る女の人、納豆を作る女の人、ミミズのコンポストを育んでいる人、日系人の高齢者の方々の介護をされている人、ここで新聞記者をする人、それぞれが壮絶で、濃密で、輝く歴史を積み重ねてきた人たちで、それらの人たちで構成されている強烈なネットワークです。

今回はその中でも、これらの女の人たちが結婚、離婚、子育てなどする中、集まり場所としておうちを解放してきた岡田弘美さんという人に密着してみたいと思います。私、堀川弘美は今、岡田弘美さんのお家で住まわせてもらっています。つまりハウスメイト??名前が一緒でややこしいので、私はろみと呼ばれています。

元暴走族だった、という噂の名高いKikoさんと。

彼女は70年にこちらに移り住み、最初はサンフランシスコで”Hiromi Boutique”という洋服屋さんを始めました。今、有名なGAPやOLD NAVYの社長もお得様の一人だったそうです。彼女は、今72歳。もうすぐ73歳です。彼女は、ヒッピーを自称する人たち、運動に燃える人たちとは雰囲気が少し違います。こちらへ移り住んでからはずっと一人で生活をしてこられた弘美さんは、他の家族に気を使う必要がなかったこと、立地条件の良さ、彼女の人柄など、いろいろな要素から彼女の家を集まり場所として提供してきたそうです。特に「地球の集まり」というグループの集まり場所として、勉強会、会議の場所として有機的に活用されてきたようです。

今、年を積み重ねるにつれて、彼女は今後のこと、自分の身体のことなど不安を抱えるようになったそうです。このグループの中でも最年長にあたる、みんなの姉的存在として、みんなのココロの頼りであった弘美さんの「老い」に、みんなは激しく動揺し、戸惑っているように私には見えました。10年くらい日本で高齢者や身体障害者の方々の介護のアルバイトをしてきた私には、当初、みんながなぜこれほどに慌て、動揺しているのか、理解ができずにいました。でも、みなさんひとりひとりとゆっくりと時間を積み重ね、対話を積み重ねる中で、みなさんの不安、動揺が少しずつ分かるような気がしてきています。

それぞれの方々が語る弘美さんとのエピソ−ドを聞くにつれて、私の中にも弘美さんのこれからの時間が生き生きと輝やくものであってほしいという強い思いが伝播していくのが分かります。この人に何ができるだろう?生き生きとあってほしい、そのために私は何ができるんだろう?

弘美さんが今、作成中のジャケット。

私がこれまでホームヘルパーとして出会ってきた人々に、私はこんな思いを抱き続けてこられなかったことを、ここで改めて実感しています。「利用者さん」としての「高齢者」の方々に対して、こんな思いで働くことができた時間がどれほどあっただろう?

今、刑務所に収容されている人をモンスターとしてではなく、人間としてみるべきだ、今の法律で「罪」とされる行為をした人たちに向けられる冷ややかな目線を問題視し、それらの人々の未来を生きる可能性、人としての権利を求め、運動をしている私だけれど、高齢者の方々を「利用者」としてしか見ることができていなかったというショック、尊敬の念を持って人として関わって来ることができていなかったというショックを感じています。

みんなの語りの中に身を置くことができたおかげで、弘美さんのことが立体的に人として思うことができるようになり、また弘美さんの今の生に関わることができる幸せを感じることができるようになりました。気風のいい弘美さんのところで、どれほどの関係性が紡がれてきたんだろう?デモにも参加しないし、運動の会議にも今は参加しない弘美さんの運動に直に触れながら、今、私は運動とは何か、という長いこと抱え続けている問いに小さな一つの答えを見出しつつあるのかもしれない、と思っています。

カテゴリー:サンフランシスコ便り

タグ:アメリカ / 堀川弘美