アートの窓

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いちむらみさこ(ホームレス・アーティスト)1

2009.04.30 Thu

1・ひるまずファンタスティックに生き延び、そして、その場を共有すること。
文:中西美穂


《R246星とロケット》2007-2008年

※ 文中[i]斜字体[/i]部分は2009年10月2日、ブルーテント村でのインタビュー時のいちむらみさこの発言。

 いちむらみさこは、東京都内の公園にあるブルーテント村に住み、時に高架下や駅のダンボールハウスに寝泊まりしている、1971年生まれのアーティスト。ブルーテント村での日々を綴ったドローイング&エッセイ集『Dearキクチさん、ブルーテント村とチョコレート』 を2006年に出版し、2007年7月にロンドンで開かれたホームレスアートフェスティバル『ten feet away international』に現役ホームレス・アーティストとして招待され、同年10月よりホームレスの女性達と布ナプキンをつくるプロジェクト『ノラ』を主宰している。

 いちむらは、自分自身がブルーテント村やダンボールに寝泊まりしていることから、“ホームレス・アーティスト”と名乗る。そのアート活動は、絵画作品や彫刻作品を発表するという形式ではない。最初は、絵やパフォーマンスやちょっとしたパーティーなのだが、結果的には顔見知りの人々に留まらず、見ず知らずの人々にも広く強く訴えかける。視覚的で、空間的で、参加型で、時間をも味方にする、彼女の“アート”は、社会的排除に強く反対する。しかし、見かけは、ほんわかカワイイ系で、エコ系で、ヘタウマてづくり系。そんないちむらの“アート活動”は、どのような場から生まれ育まれるのであろうか。またそこで、アーティスト自身は何を思っているのだろうか。[u]ホームレスの暮らしは、女性と男性とで何が違う?[/u]

 ホームレスといえば男性を思い浮かべる人が一般的ではないだろうか?いちむらは女性。例えばどのような体験があるのだろうか?

 昨年の5月、いちむらの眠るダンボールハウスに、通りすがりのスーツ姿の若い男性三人が故意に当たってきた(見えてないが、蹴られたような感じ)。このような路上のダンボールハウスで眠る人への一方的な暴力は珍しくない。慣れもあるので、泣き寝入りし、何も言わないことが多い。だが、その日ばかりは、なんだかたまらず飛び出し、彼らを追いかけ、苦言を述べた。
 
[i][b]「まさかダンボールの中から、女の子が飛び出してくるとは思わなかったと思う」
 「顔を出して寝ればいい、とのアドバイスももらったけど、私の顔は“おっさん”じゃないし(特異性をさらすだけ)‥‥‥」[/b][/i]

 夏になるとダンボールの中に入らずに眠る。顔が見えると、今度は「身体を売らないのか?」と知らない男性から声をかけられるようになる。

 女性のホームレスであるいちむらの場合、姿を見せなければ男性のホームレスと同等に暴力を受け、姿を見せれば、セクシーポーズもしてもいないのに、性欲の対象としての「女」と見られる。

[u]ホームレスをはじめたきっかけは?[/u]

 [i]「ここ(ブルーテント村)に住みはじめる前から、(アーティストの小川てつオが先に住んでいたので)ずっと遊びに来ていて、ここに住みたい気持ち、ここに自分のテントを張りたいという気持ち」[/i]がまず芽生えたそうだ。生まれも育ちも関西の彼女は、大学院進学をきっかけに東京で暮らしはじめた。当時は友人とアパートに暮らしていた。ブルーテント村のある公園は緑が多く広々としていて、都会の騒音も届かない。そのなかに、ひっそりと存在するテント村は、ごみごみした感じが全くなく[i]「おだやかな感じ」[/i]。

 そのブルーテント村に自分のテントをたてた時 [i]「ヤッター!!(両手をあげるジェスチャー付き)」[/i]と、達成感を感じたという。

 学生時代から、日本のあちこちを旅し、先々で野宿していたいちむらにとって、ブルーテント村に住むことは、ホームレスになることが目的ではなく、自分自身の手でつくった居心地の良い場所に暮らすことだったのだ。

[u]《絵を描く会》[/u]

 ブルーテント村で暮らしながら、ホームレスの日常の諸問題や、社会的立場や、そこからくる課題を見聞しつつ、いちむらは、小川てつオとともに営む『カフェ・エノアール』(人が集うスペース。持ち込んだ食材等でお茶を楽しめる物々交換カフェ)で、小川とともに《絵を描く会》(2004年縲怐jをはじめる。

 [b]「ここで絵を描き始めた人や、その絵を見に来るほとんどの村の人達は、以前から、日常に絵があったということではありません。でも、この絵のある場所を十分に楽しんでいます。(中略)
そしてなによりも、ここで描かれた絵は、この村の拾われた物で出来ている暮らしの中で、唯一はっきりと存在している物のように見えます。また、その絵をここにいる人達と共有しているという実感は、私にとってとても心地よいのです。」
(いちむらみさこ 2006 『Dearキクチさん』)[/b]

 《絵を描く会》は、絵を描くことを通して社会的に排除されているホームレスの創造性を引き出し、“絵”としてそれを顕在化させ、暮らしの中(コミュニティ)で“絵”を展示等で共有することにより、そこに関わる人々をエンパワーメントするアートプロジェクトといえる。

[u]国際ホームレスアートフェスティバルでの違和感と、パフォーマンス《「公共」と「アート」》[/u]

 2007年7月27~29日、いちむらは国際ホームレスアートフェスティバル『The feet away international』(会場:ロンドンのセントジョンズ教会)に参加した。そのフェスティバルの参加者は、元ホームレスと支援者ばかりで、現役ホームレスは参加どころか、飲酒していることを理由に入場さえもできない。ロンドンでは路上など公共の場では飲酒禁止という条例があるらしく、フェスティバルも公共の場だから飲酒禁止。だから日常的に飲酒していることが多いロンドンの現役ホームレスは入場禁止になるのだ。“ホームレスの現実の暮らし”が、ホームレスアートフェスティバルと、切り離された状態である。いちむらは、強い違和感を覚えた。

 同年11月23日午後2時、いちむらは、渋谷駅の東口と南口を結ぶ国道246号線の高架下で、《「公共」と「アート」》というパフォーマンスを仲間とともに、行う。

[b]「ここは、ダンボールハウスで暮らしている人たちが10人ほどいます。しかし、その壁にアートギャラリーと称して壁画が描かれ、その作品の支障になるからと、製作者サイドや、ギャラリーサイドが住んでいる人達を追い出そうとしています。

そのギャラリーは、絵は見えないし、しかもその場がギャラリーとして称されると、住んでいる人たちが不本意に見せ物になってしまいます。これでは、まったくパブリックアートになっていません。その「アート」の乱用を推し進めようとプロジェクトチームや製作者は、住んでいる人たちに対して、追い出しを迫り、これを強行に肯定しようとしています。

私はこの場所に通行人と住んでいる人たちを同一化したパフォーマンスを行いました。公共の場所におけるアート作品の意味を考えたいです。また、たくさんの人達にこの排除の危機を知ってもらいたいです。」
(いちむらみさこ 2007 「11月23日14時 パフォーマンス」『ブログ R246 homelesshome』)[/b]


写真:《「公共」と「アート」》2007年、パフォーマンス(写真:関根ま)

 ブログに掲載されているパフォーマンスの写真を見ると、パステルカラーの三角屋根を持ち、小さな窓がついた、大人が両手でどうにか一抱えできるぐらいの大きさのダンボール製の“家”を、三人がひとつずつ被って歩いている。“家”に手足がついている漫画キャラクターのようだ。太陽光が高架下にも差し込む午後、その3つの“家”は高架下を行き来し、駅の階段を登り、高架下の“壁画”の前に、手足を縮めて落ち着く。パステルカラーの三角屋根を持つダンボール製の“家”は、同系色のパステルカラーの“壁画”を背景にし、高架下に、こどもの頃に絵本でみたおとぎ話の一シーンのような風景をつくる。「この家にはどんな人が住んでいるのだろう?」「この家に住む人はどこからきたのだろう?」「住み心地はどうだろうか?」などなど、暢気な空想を思い描いてしまう。
 夜に出会うダンボールハウスは、「見慣れている」、「辛そうな他人の生活の一端を見たくない」、「自分の生活に手一杯、他人には関わらない様にしよう」というような感情を持つことが、一般的には多いのではないだろうか。そして、ダンボールハウスの「暮らし」が、そこにあるのに、まるでないかのように、考えておこうとしているのではないだろうか?
 この《「公共」と「アート」》と題されたパフォーマンスでは、「そこにあるのに、まるでないかのように、考えておこうとしている」通行人の多く(筆者もその一人)に、アートを通して、公共の場と呼ばれる高架下の「暮らし」を、 “家”のイメージをつかって問いかける。 筆者はさらには、「たとえ自立した一人の人間のつもりでいても、さまざまな場面で、○○ちゃんのお母さん(お父さん)、△の妻(夫)など、一人の人間として尊重されずに家の単位で管理し扱われるなど、日本社会にはさまざまな窮屈さがあり、その窮屈さに気がつかないお人好しを演じれば、おとぎ話の一シーンのように“幸せ”に暮らしていける。」という事実を、人々に問うているようにも感じた。そう考えた時、まるでないかのように考えておこうとしているのは、ダンボールハウスの暮らしのみならず、自分自身の暮らしの中にある窮屈さではないかと、思えてくる。

 いちむらはこの壁画について、こう述べている。

[i]「自分は(アート)作品つくっているし、ホームレス。(壁画という名のアートがホームレスを追い出すなんて)ひきさかれる感じがした」[/i]

 渋谷の高架下では壁画というアートがホームレスを排除し、ロンドンのアートフェスティバルでは現役ホームレスが排除されていた。アーティストいちむらは《絵を描く会》の経験から、アートは、ホームレスの人々に共有できる何かをつくり勇気づけることができるのではないかと考える。だから、“アートフェスティバル”や“壁画”といったアートという名のもとに、共有でき勇気づける何か‥‥どころか、ホームレスへの社会的排除が起きることが、耐えられない。パフォーマンス作品《「公共」と「アート」》は、この現状に対するアーティストとしての一つの答えだ。

[u]《R246星とロケット》[/u]

 その高架下でダンボールハウスに原因不明の火災が起こった。事件として新聞記事にならない小さなものだったかもしれないが、炎が上がり、そのあたりの壁と床は焼け煤で真っ黒になった。その前日の渋谷でのホームレス閉め出しに対する抗議行動に関係しているように考えられなくもないが原因はわからない。火災にあったダンボールハウスの男性は、幸いにも外出中で難を逃れたが、その後怖くてそこで寝泊まりすることができなくなったと言う。

[b][i]「その焼け煤の真っ黒さと、ファンシーな“壁画”(前述の高架下もの)、その光景がうまく言葉にできないけど、これはちょっと、このまま、ただ闇として焼け煤を残すのは、いろんなものが吸い込まれて行くブラックホールになるような気がした。これをないことにするは、すごくイヤ。
この焼け煤をつかって、何かしようと思い、その焼け煤の前で野宿をはじめた。」[/b][/i]

 いちむらは、その焼け煤が流れ星の尾に見えるように、コートの背中に黄色い大きな星のアップリケを縫い付けて焼け跡で野宿をはじめた。

 何泊かしたが、12月の東京の屋外は、寒くて眠ることができない。寒さをしのぐ為にダンボールに入って眠ることにした。ダンボールに入って眠るとコートにアップリケした星が外から見えない。焼け煤を星の尾に見せるのが野宿のコンセプトなのでダンボールの外に星を一つ出した。

 ダンボールに入ってみてわかったことは「人が入っていると想像できるのに、蹴りたくなる通行人が多数いる」ということだ。ダンボールの外から殴られ、蹴られる。一方的な暴力を体験し、いちむらは落ち込みつつも対策を考えた。

[i]「銀紙で星をつくって、ダンボールや、焼け煤で黒くなった地面につけた。その空間をキラキラさせて防衛しようと考えた。通行人が「なんだこれ」と言っていた。段ボールの中にいた私は「なんだこれ」と思われる方が蹴られないと思った。足音が近づいては通りすぎていく。何もしないでくれとダンボールの中で思う。女の人のハイヒールの音がした。(彼女は)「何これ、かわいい」と言った。「かわいいだけじゃない」と思った。(星を)見ててくれればそれで蹴られない。」[/i]

 しかし15泊目の夜、星のインスタレーションは、箒を持ったおじさんに掃かれてしまう‥‥。

[b][i]「しょっちゅう掃除するホームレスのおじさんがいる。そのおじさんが、私のガード下にもやってきて、私が(ダンボールハウスで)寝ている間に、ほうきで星を全部掃いてしまった。
その夜、自転車に乗った若者が、隣のダンボールのおじさんがもっていたパイプイスを、私の寝ている段ボールに投げつけた。びっくりした。そのまま自転車でその若者は通りすぎていった。かなりへこんだ。どこまで暴力!!!」

「落ち込んでいる時、近所のダンボールで寝ていた人達が、自分のダンボールハウスを“ロケット”と呼んでいること思い出した。勇気が出た。一緒に暴力にさらされている中、お互いのダンボールハウスを“ロケット”と呼び合っている。」[/b][/i]

 ダンボールハウスを“ロケット”と呼び合っていることは、少し前に知っていた。暴力を何度も体験する中で、いちむらは周辺に寝泊まりするホームレスたちの「“ロケット”イメージの共有」の重要さを考え始める。

[i]「暴力日常の路上で、安眠を確保する為に、いい夢を見る為に、“ロケット”と呼び合って寝場所であるダンボールを大事にしているのがわかった」[/i]
 だから、いちむらは、銀の星の数を倍増させた。夜間飛行をイメージした。空間の表現としても意識したと言う。

[i]「安眠しよう!寝ないで抗議するのもひとつ。しかし寝ないと生きられない。(自分の眠るダンボールをロケットと呼ぶことで)自分たちの“寝ること”が、ファンタジーになる。星のイメージとぴったりあう。(このダンボールハウスの火災後の真っ黒な煤のある高架下での寝泊まりは)このまま続行するしかない、星は倍増させた。そしたら、私しか寝てなかったところに、一人、2人、5人と増えていった。人が増えることで襲撃はなくなった。夜間飛行するロケットが増え、暴力は激減、そのまま9月ぐらいまでそのあたりに野宿した」[/i]

 この、《R246星とロケット》と題された、いちむらの高架下でのインスタレーションや野宿を、アーティスト仲間は「いちむらさんは、いまあそこで、「アーティストインレジデンス」をやってますよね。」(小田 2008「青空雑談会」『美術手帖vol.60 No.907 2008 5月号』)と評している。


写真《R246星とロケット》2007-2008年

 ブログで、いちむらは、こう書いている。

[b]「恐怖によって、行動が制限されたり、防衛によって閉ざされたりするのではなく、ひるまずファンタスティックに生き延び、そして、その場を共有することも防衛になりうる。」
(いちむらみさこ 2008「2008年1月8日1時」『ブログ R246 homelesshome』)[/b]

 この《R246星とロケット》は、社会的に排除されているホームレスを可視化し、さらに排除によって暴力にさらされている中でホームレスがいかに安全に過ごせるかを模索するアートプロジェクトだ。その創作過程において、いちむらが、その界隈のホームレス自身が共通して持つイメージ“ダンボールハウス=ロケット”をベースに使ったことは、とても重要だ。何故なら、前述のアートフェスティバルのような「ホームレスは飲酒すべきではない」や、壁画の「ホームレスのいる場所はこうあるべき」との考えは、その当事者であるホームレス自身から出て来た考えではない。ホームレス自身の考えが反映されない“アート”は、社会的に排除されているホームレスに、“共有し勇気づける何か”となるだろうか?「ファンタスティックに生き延び、そして、その場を共有し防衛する」ことになるだろうか?

いちむらは、「ファンタスティック‥‥」の前に「ひるまずに」という言葉をつけている。社会的に排除されたホームレスの人々との“アート”活動は、理想通りには決してすすまない。だからいちむらは、「ひるまずに」という姿勢が必要だと考えている。

[b][color=FF0000]2・“コジキャル・スナックぱる美”訪問レポート(文:鈴木麻里)につづく!

※オリジナル布ナプキンブランド『ノラ』については、制作現場や販売協力店などに追加取材の上、レポートを追ってあげます。お楽しみに![/color][/b]

カテゴリー:アーティストピックアップ