2012.02.05 Sun
SKYへの道
韓国の受験戦争は日本よりも熾烈だ。その頂点にあるのがソウル大学で、私学の名門、高麗大学と延世大学とともに、その頭文字をとってSKYとも呼ばれる。韓国の子どもたちの多くは、このSKYをはじめとする有名大学を目指して、日夜、受験勉強に励む。一般の学校でも入試中心の教育が行われているが、入試に備えるためには公教育だけでは足りず、私教育が必要なのが現実である。学習塾や家庭教師などの私教育は、すでに1950年代、いやそれ以前からあったが、その強度は年々エスカレートするばかり。「初恋」(1996)のチャヌのように、貧しくても頭さえよければ家でコツコツ勉強して名門大学に合格する、というような時代は終わったのだ。受験生の主体はいまや高校生から中学生、小学生へと移ってきている。受験生が低年齢化した分、親が手取り足取り指導し、伴走する必要が生じる。韓国では、その受験のための舵取りを一手に引き受けるのが母親たちである。「江南ママの教育戦争」(SBS2007)は、そんな母親を象徴する“江南(カンナム)ママ”たちの姿を通して、今時の教育制度の歪んだ姿を描き出そうとしたものだ。
江北と江南
ちなみに“江南”という言葉は、ソウルを流れる漢江(ハンガン)の南側という意味もあるが、一般的にはその南東に位置する江南区一帯(周辺の区の一部も含まれる)を指す。元々、ソウルの中心は江北であり、江南はのどかなソウルの郊外に過ぎなかった。ところが、ソウルへの人口集中と70年代の都市計画に基づく開発ブームによって、漢江の南側にマンションが建ち並び、教育熱心な中産層が移り住むようになった(この江南開発を描いたのがドラマ「ジャイアント」[SBS2010]である)。そして、彼らは子どもを一流大学に入れるために家庭教師を雇い、学習塾に通わせた。植民地時代からの名門校である京畿高校が、江北から江南に移ってきたのもその頃である。ここは教育行政上、“江南8学群”と呼ばれ、いつしかこの学群が教育熱心な親たちと有名学習塾の集まる場所、いわば受験戦争の最前線となった。私が韓国で暮らしていた90年代にも、周囲の女性活動家たちの間で「○○がついに江南に引っ越した」というようなことが話題に上っていたのを覚えている。
“江南ママ”になる
ドラマの主人公、ヒョン・ミンジュ(俳優:夏希羅1969~)も、子どもの教育のために江北から江南に引っ越す一人である。ミンジュは夫を亡くした後、いくつもの仕事を掛け持ちしながら一人で息子のジヌを育ててきた。幸いにもジヌは、塾に通わずとも、常に学年トップの成績を維持している。その上、母親思いの優しい子どもだ。そんな息子をもつミンジュにとって、噂に聞く“江南ママ”たちの教育過熱ぶりは冷笑の対象でしかない。ところが、ジヌが学校の代表として大学主催の英語競試大会に出たのがきっかけで、認識が一変させられる。学校でだけ英語を勉強してきたジヌには、内容が難しすぎてまったく歯が立たなかったのである。江南では、多くの子どもたちが塾でネイティブスピーカーから英語を教わり、TOEFL用の勉強もしている。休み中に海外へ語学留学する子どもたちも少なくない。ミンジュは競試大会でばったり出会った高校時代の同窓のスミから、「江北の学校でトップでも、江南の学校では下位でしかない」という話を聞かされて、このままではいけないと思うようになるのだ。
父親の経済力と母親の情報力
スミの話にショックを受けたミンジュは、ついに江南に引っ越すことを決心する。貧しい彼女は、高校時代の親友で経済的に余裕のあるミギョンの助けを借りて何とか江南の小さなアパートに引っ越す(実際には、江南の不動産価格は学力レベルの高さに連動して他地域よりも遥かに高く、ミンジュのようなシングルマザーが引っ越すのは大変だろう)。ミンジュの行動に刺激を受けたミギョンも、ジヌと同い年の息子ジュヌンのために夫を説得して引っ越し、ともに息子を名門高校への高い進学率を誇る“最強中学”(仮名)へ転校させようとする。ところが、二人が頼りにした同窓のスミは、彼女たちが近くに引っ越してきたと知るや、途端に警戒して冷たくなってしまう。いろんな手を尽くしてようやく子どもを“最強中学”に転校させたものの、今度はどの塾に通わせるか、参考書はどれにするか、誰とグループ学習をさせるか、夏休みの学習はどうするか、質の良い家庭教師をどう確保するかなど、次から次へと情報を集めるために飛び回らなければならなくなる。“江南ママ”たちはグループを作って行動し、仲間以外には情報を与えたがらない。子どもたちの競争の背後に、親たちの激しいパワーゲームが繰り広げられるのである。
典型的な“江南ママ”であるスミは、“最強中学”から科学高校に進学した優秀な息子と、外国語高校を目指す娘をもつ。しかも夫はソウル大の出身で、銀行に勤めるエリート社員である。優秀な子どもたちを持つことで、スミは“江南ママ”の間でも鼻が高い。実際に韓国では、科学高校と外国語高校は“特目高”(特殊目的高等学校の略)と呼ばれ、90年代から進学校の中心的存在となってきた。SKYをはじめ有名大学は、政府の入試方針に逆らってまで“特目高”からの受験生たちを優先的に入学させているとも言われる。また、これらの高校から米国など海外の大学に進学する学生も多いと聞く。スミの“江南ママ”ぶりは、情報をいち早くキャッチして、それをわが物にする実行力を持つ。このような人を最近は“ママ・マネージャー”という。ネット上の説明によれば、「入試勉強の本質を理解し、しっかりした基準と原則で子どもを指導する賢い入試マネージャーたる母親」だそうである。
スミの家庭は、傍から見れば何の問題もないように見えるが、夫は、子どもの教育にだけ夢中になっている妻に愛想をつかし、他の女性と不倫関係を持っている。スミはそのことを知って傷つくが、気になるのは世間体と経済力であり、夫との関係改善には無関心なままだ。また、息子のチャンフンは、周囲の羨望の的である科学高校に入ったものの、学校に馴染めない。絵が好きな彼は、勉強ばかりさせられる学校に嫌気がさし、芸術家になりたいと、「転校させて欲しい」と親に訴える。だが、スミはまったく聞く耳を持たず、塾のマネージャーと夏休みの学習計画を立てさせる。学習クリニックの精神科医からは、チャンフンが「うつ」だと警告されたにもかかわらず…。ついにチャンフンは精神的に追い詰められ、行き場を失ってしまうのである(そういえば「冬ソナ」のジュンサンも科学高校から春川の普通高校に転校してきたのだった)。
入試中心教育のひずみ
入試中心の教育がはびこる社会で、最大の被害者は子どもたちである。ドラマの中では、チャンフンが自殺することで、その苦しみが表現される。子どもをもつ多くの視聴者が、この場面で自らを振り返り、反省したであろう。中学生の子どもをもつ私自身も、思わず胸に手を当てて考えさせられた。その点、万年ビリで反抗的だったジュヌンが、教員から登山を勧められ、明るさを取り戻していく過程は、見ていて楽しく、ほっとさせられる。
ドラマでは、“最強中学”の教員やクラスの母親たちの言動を通して、韓国社会の学校現場をめぐる様々な不正も描かれる。たとえば、欠員の出ない“最強中学”に息子を無理矢理押し込むためにミギョンがとった行動は、教頭に大金を渡すことだった。また、このドラマのもう一人の主人公であるソ・サンウォン(俳優:柳俊相1969~)が“最強中学”の新任教師として赴任すると、生徒の親たちは“寸志”を本にはさんで渡しもする。サンウォンは、一旦受け取った高額の“寸志”を悩んだ末に返したのだが、返された母親はむしろ「金額が少なすぎたのか?」と心配する。この悪習はずいぶん前からあった。そのため、実際に一部の教師たちは、初めから親たちに「寸志は受け取らない」と宣言するそうだ。その他、試験問題を盗もうとして捕まった学年トップの子どもの親が、事件をお金で“解決”しようとしたり、教員たちの会食費を親が支払う様子などが描かれている。こんなことが本当にあるのかと思いきや、現場を取材して脚本を書いたというキム・ヒョニ(1971~)は、「ドラマに描いた出来事は、すべて実際に起こっていることだ」と、あるインタビューで語っていた。ちなみに、ソ・サンウォンを演じた俳優の柳俊相は“特目高”の花形、大元外国語高校の卒業生である。
英語教育熱
ところで、ドラマの中で中堅俳優チョン・ウォンジュン(1960~)が演じる“最強中学”の英語教師パク・キョンソプは、子どもに英語を学ばせるために妻子を米国に送っているキロギ・アッパ(雁パパ)である。韓国では、90年代に“特目高”フィーバーが起きた頃から、子どもを外国語高校に進学させるために小学生の頃から英語を身につけさせようと、米国などの英語圏に小・中・高校生を送る早期留学が増えるようになった。1998年に1500人程度だったその数は、その後毎年増え続け、このドラマが放映される前年の2006年には29,511人にまで膨れ上がった。その中でも小学生が最も多く、13,814人に上った。
また、李明博政権になってからは国際中学が設立されるようになり、私教育を一層煽る結果となっている。現在、国際中学は4校あり、“特目高”を目指す子どもたちが大挙受験する。しかも、ソウルの大元国際中学などは、新入生の約35%が江南地区出身である。近年、江南地区に転入してくる小学生が毎学期数百人ずつ増え続けているのも、こうしたことと無関係ではないのだろう。つい最近の報道では、国際中学から送り出される初めての卒業生たちの約70%が“特目高”などの進学校に進むというから、今後も江南地区の小学校への転入生は増え続けるに違いない。
ドラマの中で“江南ママ”の先輩格として登場するジヌの父方の伯母イリョン(俳優:チェ・スリン1976~)も、韓国の英語教育熱を象徴する人物である。彼女は娘を小学校5年の時に米国のジュニア・ボーディングスクール(寄宿制の私立中学)に留学させ、高校もボーディングスクール、大学も米国の名門に入れている。ストーリー上では、幼い頃から一人で留学させられたため、母親を恨み、薄情な娘に育ったという設定になっている。だが、実際にはこのようなコースも韓国の人々には近年特に人気がある。米国の“名門”と呼ばれるボーディングスクールには、毎年数百人に上る韓国人が応募している。数えるほどに過ぎない日本からの留学生に比べて遥かに多くの韓国人が在学しているのが実情だ。
蛇足になるが、米国のボーディングスクールや私立高校を受験するためには、SSAT(Secondary School Admission Test)という英語による学力テストを受ける必要がある。日本ではあまり馴染みのないテストだが、韓国では毎回、大勢の人が受験する。最近、ソウルの某試験会場で受けた人々のテストの点数が、全員無効になるという事件があった。ソウルの塾の講師たちが、SSATのテスト問題を事前に入手して、親から高額の授業料をもらって試験対策講義をしていたことが発覚したのである。恐らく受験者の中にもその講義を受けたと思われる子どもが含まれていたのだろう。
“江南ママ”が死語になる日はまだ遠そうだ。
写真出典
http://pic.joinsmsn.com/photo/article/article.asp?Total_ID=2859536&p_cat=
カテゴリー:女たちの韓流