原発ゼロの道 エッセイ

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原発を問う 民衆法廷 第二回 大阪法廷 パート1 岡野八代

2012.04.19 Thu

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 4月13日、政府は関連四閣僚が責任を負うとし、多くの市民の反対を押し切って、大飯原発再稼動を決めた。これが、フクシマ原発がもたらした過酷な被害にいま現に苦しみ、これからも広がり、深刻化することが明らかな将来の危害におびえる多くの市民に対する、彼らの「政治的」判断だそうだ。

すでに何度も指摘されているように、福島原発の「事故」がなぜ生じたか、そして現在どういう状態なのかもわからない現段階での、政治的判断だ。

かれらが「政治的」ということを強調するのは、一般的な科学的知見に基づいて市民が「ちょっと」考えただけでも分かるであろうこととの違いを強調するためだろうか。

つまり、地震大国の、しかも現在の日本列島――昨年3.11以降、日本列島は今までの列島ではあり得ない。最近起こったスマトラ沖地震をみよ――で原発を稼働し続けることは、あまりに無謀で、自殺行為に近い、ということだ。目先の利益に囚われ、経済性(もたらされる被害の大きさを考えれば、もはや、経済合理性とも言えないはずだ)だけを追求するのが「政治的」であるとすると、日本の政治はもう終わっている。

さて、枝野経済産業相大臣が福井県入りした一日後の4月15日に、大阪市城東区会館にて、原発を問う民衆法廷第二回が開催された。今回の民衆法廷は、二月の東京での民衆法廷に続き第二回目である。実は、わたしはそうした民衆法廷の試みがある事を知らず、にもかかわらず今回から判事団の一人とならないか、というお誘いをいただいて、始めて民衆法廷の存在を知った。

判事なんて素人のわたしにはとても無理、と声をかけていただいた瞬間戸惑ったが、この問題について、他人事のように日常生活を送り続ける事もできないし、少なくともそうした活動を通じて、より多くの市民と脱原発に向けての行動を起こして行こうとしている人たちの運動を少しでも伝える事ができるなら、と悩んだ末に引き受けた。

東京の法廷の様子はU-streamを通じて少しは勉強したつもりだが、法廷前夜は判事という重責の緊張で、なかなか寝付かれなかったのも本当だ。

当日、朝早くから会場の準備をして頂いた実行委員会の方を含め、一時半の開廷には三百人近くの市民が集まった。弁護士の方が務める代理人から、大飯原発、伊方原発の再稼動を禁止する訴えがまずなされた。

民衆法廷はわたしも含め、多くの人にとってはあまり馴染みがないかもしれない。「模擬法廷」?あるいは、市民による真似事?などと訝しがる人も多いかもしれない。

(なお、第一回、第二回のいずれも、ustreamですべてご覧いただけます。

第一回は、こちら→http://www.ustream.tv/recorded/20678440

第二回は、こちら→http://www.ustream.tv/recorded/21858499

確かに、何ら強制力もない民衆法廷での判決は政府を動かすには余りに無力だ。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.しかし、通常の裁判ではお金も時間もかかる。日常生活からは縁遠い裁判を、市民の手弁当で開催し、法律上(今回は、とくに憲法上の生存権、人格権などが争われた)の問題点を指摘しながら、専門家の証人も召喚しつつ行われる民衆法廷は、一般の裁判以上に、利害関心や政治的立場に捉われることなく、ひとり一人の人格を尊重するために、どのような判断を為すことが「正しいか」を、参加する市民みんなで考える場である。

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当日は、4人の市民の申立人、そして、『福島原発多重人災 東電の責任を問う』の共著者である山崎久隆さん、『福井の山と川と海と原発』の著者で「さよなら原発福井ネットワーク代表」の山崎隆敏さんの、専門家証言があった。

法廷は、1時半から5時間の長丁場で、しかも休憩時間にも、高槻市在住の女性から、子どもたちの身体に起こった3.11以降の不調や病、子どもたち以上に子どもたちの将来に不安を感じる日常についての訴えがなされた。

見通せない未来への不安、子どもの不調の原因が分からず、子どもを慰めてやることすら難しいなか、「命を奪わないでください」という強いメッセージが発せられた。

申立人の一人は、郡山市から子どもと一緒に逃れてきた女性だ。彼女たちは、震災直後なんの情報も与えてもらえないまま、買出しや水汲みなど、何日も何日も、何時間も野外で放射能に晒されてしまったのだった。老いも若きも、赤ちゃんも、である。「誰も私たちを守ってくれなかった」という彼女の訴えは、まさに「棄民」という言葉を思い出させる。

電力会社の嘘、政治家・経済界・学界の癒着、「安全神話」が生まれて、日本社会の隅々までを「汚染」している、電力ムラの力と圧力。もうわたしたちは、気づかないでいることすらできなくなった。(ドイツで作成されたドキュメンタリー、「フクシマの嘘」をどれだけの人がみられただろうか?)

一日の法廷で、自分の無知を思い知らされると同時に、証人の山崎さんたちはじめ、多くの市民の人たちが何十年もかけて原発の危険性を訴えてきた、その歴史の重みを感じた。多くの陳述がなされた法廷を、その細部まで報告することは難しいが、今後も毎月予定されているこの民衆法廷について、定期的に報告していきたい。

現在、第三回が郡山市で5月20日(日曜)、第四回が6月17日(日曜)で大阪法廷part 2、第五回は、広島で7月15日(日曜)が予定されている。ぜひ一度、みなさんも参加し、一緒にこの問題を考えていきましょう。

今回わたしが判事の意見として述べさせてもらったのは、〈まさに日本の政治が問われている、しかもそれは、「依存」と「(無)責任」をめぐって、市民たちが生活様式含め、今の生き方自体を変えていかないといけない、ということだ〉、ということでした。

意見陳述のなかでも、「地元」概念そのものを変えないといけない、と訴えられた方がいた。たしかに、大飯町の予算に関電の固定資産税と政府からの交付金が占める割合は膨大だ。しかし、「かれら・彼女たち」対「わたしたち」といった構図こそ、問題を見えなくしてしまっているのだと思う。「かれら・彼女たち」に依存しているのは、わたしのように京都市内で平穏に暮らし、電気を思う存分使っているわたしたちだ。(市民の分断については、高橋哲哉さんの本を紹介しながら論じていますので、そちらもご覧ください)。

政治家たちが非人道的な「政治的」判断を下し続けることに対抗し、わたしたち電気を使用する者たちが、彼女たち・かれらと共に未来を考えていく、皆が共有できる場において、市民の知恵を鍛えていくしかないだろう。法廷もまた、その一つの試みだと思う。








カテゴリー:脱原発に向けた動き / 震災

タグ:脱原発 / 原発 / 岡野八代