2012.06.01 Fri
人を忖度(そんたく)する心、相手が、なぜその言葉を発し、行動せざるをえなかったかを慮る、もともと人々が持ちあわせていたはずの「想像力」を呼び覚ましてくれる映画。
いまどき珍しくバイオレンスもなければ、ラブシーンもなく、ただ淡々とマルセイユの港町の日常生活が描かれる。それがなぜ、人の心を打つのか。
不況とグローバル化のなか、労働組合の委員長・ミシェルは、クジで20人の解雇者を選ぶ。19番目は在職35年のミシェル自らを引き当て、20人目は就職して3週間目のクリストフだった。
ミシェルとマリ=クレールは結婚30年の熟年夫婦。ミシェルはヘルパーの勤め帰りの妻を食事に誘う。「今日決まった。クジに当たった。委員長ならクジを外すこともできたのに、といわれたけどね」「ヒーローとしての最後の仕事ね」と労働運動を闘ってきた夫を思って妻は軽くウィンクする。
娘と息子夫婦と孫たちが結婚30年を祝うパーティを開いてくれた。解雇された元同僚たちも、全員招待して。二人へのプレゼントはアフリカ・キリマンジャロへの旅行券と、ミシェルが子どもの頃から憧れていた正義の味方・スパイダーマンのコミック。なくしたと思っていた思い出の本だ。
その数日後、ミシェルと義弟のラウル夫婦がカードゲームを楽しんでいた夜、突然、強盗に押し入られる。4人は椅子に縛りつけられ、旅行券もコミックも銀行カードも奪われてしまった。
突然の災難に振り回される家族。ある日、ミシェルは、バスの向かいの席で二人の子どもがコミックを読んでいるのに目を止める。確かにあの盗まれた本だ。彼らの跡をつけていった先は、パーティに招待されていた20番目の解雇者・クリストフの家だった。
警察に通告し、クリストフは逮捕される。しかしやがてミシェルは、クリストフの父は蒸発、母も出奔し、あとに残された義理の弟たちを、彼がたった一人で支えていたことを知る。
事情を知ったミシェル夫婦は告訴を取り下げに警察に向かう。しかしすでに起訴されたあと。面会室でミシェルはクリストフに問う。「一緒に働いた仲間じゃないか。それをなんで強盗なんかしたんだ?」「腐り切った組合幹部の交渉、妥協のご褒美は? クジで人員整理。裏金はいくらもらったんだ?」。吐き捨てるようになじるクリストフに、思わずミシェルは彼を殴りつけてしまう。
幼なじみで同僚の義弟・ラウルは、事件後、トラウマを抱えて夜も眠れなくなった妻を思うと、犯人を許すことができない。「俺は14の歳からずっと働いてきたんだ」。根っからの労働者を演じる脇役のジェラール・メイランが、うまい。
マルセイユを舞台に、ヒット作『マルセイユの恋』(1997年)で知られるロベール・ゲディギャン監督は、日々のさりげないシーンをふんだんに使う。しかもシンプルに。
ミシェルが孫たちにイワシの食べ方を教えるひとこま。シャツにアイロンをかけながら「なぜ手錠をかけられたままのクリストフを殴ったの?」と泣いて怒る妻。アイロンかけの手際のよさが、またいい。野外のバーベキューシーンは繰り返し出てくる。ウィンナを焼き、ブイヤベースを食べ、ロゼを飲み、デザートはティラミス。高台からマルセイユの海と大きなクレーンが見える。
坂の上のバルコニーでアニスを飲みつつオリーブのタネを飛ばすミシェル。ふと30年前、二人が同じ風景を路地から見上げて語り合ったことを思い出す。
「今の自分を昔の自分が見たらどう思うか。年齢は自分自身の良心と恥の一部だと思う」とゲディギャン監督は語る。
マリ=クレールは、委員長を降りてタダの男になった夫を気遣いつつも、初めて一人でバーの席につく。ハンサムなバーテンダーが声をかける。「失恋?」「ノン。もっと複雑よ」「それは?」「人生」「ウィ」といって運ばれてきた酒は、ちょっと甘くて、きついギリシャのブランデー・メタクサ。小粋なシーンが、いかにもフランス風で、いいんだなあ。見ている私も少し酔った気分。
監督は、ビクトル・ユゴーの「哀れな人々」の長編詩と、フランス社会党創設者ジャン・ジョレスの演説の一節「勇気とは、普通に生活をしながらも、自身の人生を理解し、正確に受け止め、成長し、深みをあたえ、確立することである」をモチーフにしたという。
ビクトル・ユゴーの言葉「どんな犯罪さえも社会的な原因がある。それを是正せずに人を裁くべきではない」は、マリ=クレールのセリフ「刑が問題じゃないわ。なぜそういう行為に走ったかを知りたいの」に重なる。
そして服役中のクリストフの代わりに弟たちを引き取ろうと決心したミシェルは、海辺で見かけた妻に相談をもちかける。そこに現れたのは泳ぎ終えて妻のもとに走ってきた子どもたち。二人は同じ思いと同じ選択をしたことに気づき、目と目を見あわせ、静かに微笑む。
「なぜ、よその子を?」と反対する娘と息子に、「自分たちで決めたこと。これが私たちの生き方」と二人は譲らない。
ラストは再びバーベキューのシーン。ミシェル夫婦と娘、息子の家族、そしてラウルとの和解と連帯。バックに主題歌「キリマンジャロの雪」の甘くやさしいカンツォーネ風の歌が流れる。
この映画は、人が人に無関心ではいられないこと、あるいは人々に無関心でいることの深刻さを描いている。人は誰も、人に無関心ではいられない心を持つと信じるからこそ、この作品が多くの観客の心を打つのだ。
タイトルの「キリマンジャロの雪」は、1960年代にヒットしたパスカル・ダネルが歌うシャンソンからとったもの。ミシェルとマリ=クレール、そして監督もまた同じ世代だ。
6/9(土)よりロードショー 岩波ホール
現代 Les Neiges du Kilimandiaro
監督 ロベール・ゲディギャン
出演 マリアンヌ・アスカリッド、ジャン・ピエール=ダルッサン、ジェラール・メイラン、マリリン・カント、グレゴワール・ルブランス=ランゲ、アナイス・ドゥムースティエ、アンドリアン・ジェリヴェ
脚本 ジャン=ルイ・ミレジ
撮影 ピエール・ミロン
編集 ベルナール・サシア
美術 ミシェル・ヴァンデシュタイン
提供 クレストインターナショナル NHKエンタープライズDSP
協力 東京日仏学館、ミニフランス・フィルムズ
配給 クレストインターナショナルCrest
2011年ラックス賞、2011年バリャドリッド国際映画祭 銀賞&観客賞、2012年リュミエール賞脚本賞、2012年セザール賞 主演女優賞ノミネート(マリアンヌ・アスカリッド)
カテゴリー:新作映画評・エッセイ