エッセイ

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ドイツから日本へつながるネットワーク 東日本大震災被災者支援プロジェクト訪問記 フックス真理子 

2012.06.07 Thu

ひゅーまねっとショップ

この4月、日本に一時帰国した際に、私たちひゅうまねっとの支援した被災者プロジェクトを訪問した。私たちはドイツ、デュッセルドルフに本拠を置く小さなNPOである(http://www.info-now.net/humanet/)。
 デュッセルドルフは、日本企業500社を抱えるヨーロッパ有数の日本人コミュニティの中心。そこで私たちは、主として日本人家庭が帰国や転居などで不要になったものを寄付していただき、リサイクルショップで販売し、その収益を開発援助に充てるという活動を行なっている。もともとタダの寄付品は安価で売ることができ、いわゆる社会的弱者には魅力で、ささやかながらドイツの地域社会への貢献と思っている。
NPOメンバーは当地在住の日本人が主体だ。すでにこの活動を始めてから25年以上の長きにわたる。

apan-Basarを伝える地元の新聞

さて、そんなところにあの地震が起きた。私たちは即支援先に日本の被災者を加えた。私たちの店でも、ドイツ人や外国人のお客さんがこの地震のことをいろいろ聞いてくる。おつりのお金を寄付してくれる人もいる。リサイクルショップとはまた別に1年に一度開催しているJapan-Basarでも、例年以上にたくさんの収益を上げることが出来た。寄付箱をあけるとユーロ紙幣にまじって、人民元まで出てきた。これを、仙台在住の元メンバーに送金して、彼女が現地で支援プロジェクトを展開する予定である。

 その矢先、当地の惠光日本文化センターから私たちのNPOに多額の寄付金をいただいた。実は、地震が起きた際、デュッセルドルフでも邦人団体・企業が多くの寄付金を集めたのだが、災害支援が定款にないという理由でどの団体も州財務局から日本への直接送金が禁じられていたのだ。私たちは唯一それが可能であったNPOであり、そこで上記の寄付金をひゅうまねっとの支援プロジェクトの一環として使ってほしいという申し出をいただいたのである。

 突然大きな額がころがりこんできた私たちのNPOでは、有効な使い道を模索し始めた。そんなある日、「ちづこのブログ」でせんだい・みやぎNPOセンターの加藤哲夫氏の著書が取り上げられる。うん、ここはなかなか良さそう。寄付もとの惠光日本文化センターに打診してみると、驚いたことに、所長の青山隆夫氏は元東北大教授だが、加藤哲夫氏を個人的によく知っているというではないか。そこでとんとん拍子にせんだい・みやぎNPOセンターに200万円の寄付が決まった。これらの事情は、すでに上野千鶴子さんがそのブログの中で紹介してくださったことである。
 *WANが生んだ200万円! *WANが生んだ200万円!後日談

 さて、4月。さまざまな縁の積み重ねを実感した仙台への旅だった。私がせんだい・みやぎNPOセンターに到着する前日、偶然、上野千鶴子さんから「講演会で加藤哲夫さんの本を宣伝しておいたからしっかり販売するように」という檄が事務局に飛んでいたそうである。被災地を案内してくれた元小学校校長先生と、被災小学校のこどもたちの証言を集めた記録映画の事務局長はともに、惠光の青山所長に大学時代ドイツ語を教わったことが、話をしているうちに判明した。そしてまた、加藤氏をめぐるNPOの輪の中に、いろいろな知り合いが入っているのも確認した。

 なんと不思議なめぐりあわせ、縁のつながり。いや、そういうことこそ、小さなNPOが大きな力になる源であり、このような活動にたずさわる醍醐味ともいえる。そして、このネットワークを可視化することに成功したのは、まさにあのせんだい・みやぎNPOセンターというシステムを作り出した知恵、加藤哲夫氏のフロンティア精神であり、また今回の支援プロジェクト寄付のきっかけとなるドイツと日本を結んだWANの働きだろう。加藤さんは、昨夏亡くなったのだが、こうして今も彼の力が見える形で生き生きと働いている。これはすごいことだと思わずにはいられない。ちなみに、上野さんが解説を書いた遺作の二冊「市民のネットワーキング」「市民のマネジメント」は私たちNPOの基本文献になった。

せんだい・みやぎNPOセンター 公開中のNPO資料

加藤哲夫氏とその著書

では、せんだい・みやぎNPOセンターとは何か。一言でいうと、それはNPOのショッピングモールである。規模の大小を問わず、主として宮城県を中心として活動しているNPOが自分たちに関するあらゆる情報を登録・公開しておく。プロジェクト構想を提示し、支援の要請も行なう。一方、なんらかの形で支援・寄付をしようと思ってやってくる個人・団体・企業、あるいは行政からの委託事業は、ここでもっともニーズに合ったNPOを見つけることができる。このマッチングシステムは実に斬新だったが、聞くところによれば、今ここがモデルとなって各地に広がっているのだという。

  今回の被災者プロジェクト訪問で非常に印象に残ったのは、阪神・淡路大震災と今回の東日本大震災との違いについて、現場でかなり多くの人たちから異口同音に聞いたことだ。日本でボランティア活動に火がついたのは、阪神のときと言われている。しかしあくまでもそのときは個人がベースだった。今回はそれがNPO単位で組織され、効率よく、必要なところに必要な手が届くようになった、と。また、行政がNPOを事業のパートナーと見るようになったとも聞いた。自然災害が日常に起きる日本の社会も、人々が知恵を蓄積して、こうして小さなところから暮らしを守ろうと変化しているのだ。そして、その機動力となったのは「女たち」。せんだい・みやぎNPOセンターが発足した当時は女性ばかりだったそうだ。それが、今では男性も加わり、学生・会社勤めの人などもやってくるようになった。それは私たちのNPO、ひゅうまねっとの流れともぴたりと重なる。女たちが始めたことが社会を変えていく力となる。

 25年前に私たちがデュッセルドルフでNPO活動を始めたとき、まわりのドイツのNPOはすべて私たちのお手本だった。その間に日本でもNPO法が出来、法整備がなされ、そしてネット社会の到来とともに、人々の活動がより活発になっていった。日本にはもともと「縁」の思想、他者をつながりから見ていこうとする伝統がある。ドイツのNPO活動に日本も追いつき、もしかしたらそのきめ細やかさから追い越したのかもしれない。

 結局私たちひゅうまねっとでは、大口の寄付をせんだい・みやぎNPOセンターと「宮城わらすっこプロジェクト」と記録映画に、残りは、仙台支部を担うメンバーが、自身養護教諭という強みを生かして、こどもたちの心のケアのために被災小学校の保健室支援を行なった。せんだい・みやぎNPOセンターからさらにそれを必要とする各NPOに分配されたことは言うまでもない。大口の寄付と、こまわりのきく支援の組み合わせ、それは私たちならではの形だったのではないかとひそかに自負したことだった。

 人と人との不可思議なネットワークを嬉しく思い、日本のソメイヨシノを堪能してドイツに戻った旅だった。

(フックス真理子:ドイツ ひゅうまねっとe.V.代表

カテゴリー:震災

タグ:東日本大震災 / フックス真理子 / ドイツ