原発ゼロの道 エッセイ

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原発を問う その 3 郡山市にて ④ 岡野八代

2012.06.08 Fri

法廷での意見陳述三人目の方は、双葉郡浪江町で、エム牧場の吉沢正巳さん。「警戒区域」に設定された浪江町では、「家畜と人間のどちらが大事か」との選択を迫られ、見捨てられた牛や豚たちが死を迎え、ミイラ化していく様子を映像とともに語られた。(ニュースにて報道された、エム牧場の様子については、こちらをどうぞ)。

衝撃的な映像をバックに語られるかれの言葉から、人間の世界が蝕んでいく生命への愛情がにじむ。かれの言葉は厳しく、電力だけでなく、食料についても消費者でしかない自分に突き刺さる。

「先の見えない絶望のなかで暗中模索が続いているのです」と訴える吉沢さん。浪江町役場は町の崩壊を恐れ、故郷へ戻ることを避難中の住民に訴えているという。最後の意見陳述を行われた井上利男さんも同じことを訴えられたのだが、政府も自治体も、住民の命や健康よりも、国家や県、市町村といった体制を守ることに躍起だ。日本の政治がなにを大切にしているのかが、こうしたさいに如実に現れてくる。

吉沢さんは、なんども東京に足を運び、畜産農家たちが政府による「家畜の殺処分」命令に苦しんでいるかを訴えられてきた。

かれの牧場にいる330頭の牛たちも、経済的価値がなくなってしまう。東電によって、「畜産人としての希望」だけでなく、人生そのものも奪われたのだ。殺処分に応じなければ、お前は加害者になるのだぞ、という脅しとともに。

こうした絶望のなか、かれはあたかも哲学者のように、生命とは何かを自問自答したという。その結果が、牛たちを今後も育て、生きながらえさせ、未来のために、被爆や除染の研究のために、牛たちの生きる意味を国に認めさせる、というプロジェクトだ。今その牧場は、「希望の牧場」と呼ばれている。

「絶望のなかの希望」、この言葉に、傍聴人の目の前に曝され続けることがいっそう苦痛になった。かれは、3.11後一週間もたたないうちに、東電に抗議に出かける。そのさい、もう二度と浪江町に戻れないかもしれないと思い、牧場に「決死救命、団結!」の言葉を残していく。(農場に今も残る言葉は、「希望の牧場」ライブ中継にてご覧になれます)。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.最後の申立人は、井上利男さん。「絶望の中の希望」というフレーズが、頭や涙腺のまわりをぐるぐる回っているときに、井上さんがソルニットの『暗闇のなかの希望』の訳者であることに気づいた。わたしは以前、拙稿のなかで、ソルニットの以下の言葉を引用したことがある。

世界の状況は、物質的に見ても、戦争と経済の野蛮さの程度を見ても、過去50年間を通じて劇的に悪くなってきた。だが同時に、わたしたちは膨大な形のないもの--かつては目に見えず、想像できなかった対象を描写したり、実現したりするのに役にたつ、権利、理念、概念、言葉--を獲得してきたのである。これらのものが、わたしたちの息づく空間を広げ、わたしたちの希望の器、つまり残虐行為に立ち向かうための実用的な道具箱を豊かにする。[レベッカ・ソルニット『暗闇のなかの希望--非暴力からはじまる新しい時代』井上利男訳、 28頁]

その井上さんは、ふくしま集団疎開訴訟の原告団代表である。パワー・ポイントを駆使しながら、「「見えない」放射能、「見せない」放射能、「見たくない」放射能」の現状について、説得的に語ってくれた。かれの意見陳述については、井上さんご自身のブログにて、ほぼ正確に再現されているので、是非そちらを読んでほしい。

かれの報告もまた、日本政府は「既存の体制を防護すること」に汲々として、住民の命のことなど後回しにしていることを鋭く指摘している。その報告は時々ユーモアを交えながら、でも、郡山市がいかに危険な状態にあるかを強く訴えられた。そして、政府の言いなりを説き、自らの倫理を放棄したかのような医療関係者を批判する。

井上さんには、その後連絡をし、以下の画像をわざわざ送っていただいた。

これは、これまでもいろいろな形で指摘されてきたが、わたしも含め多くの人は、聞かなかったことにしてやり過ごしてきた事実である。この画像が示しているのは、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの定めるチェルノブイリ法によれば、郡山市街地のほぼ全域移住の義務ゾーンなのだ。

かれが起こした集団疎開訴訟は、あっけなく却下された。そのさいの郡山市側の主張は、子どもたちが転校することを禁止しているわけではない。今回の加害者は東電であり、郡山市には責任がありません、だった。

ここで問われているのは、主権者であるわたしたちだ。市民に義務を課すことは、当然義務を課した側の、最終的な責任者としての、国家のあり方そのものが問われる。そして、少なくとも日本が民主主義国家であるかぎり、それは主権者たるわたしたち一人ひとりが分有するべき責任だ。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.今後おそらく3年後には、こうした無責任のつけを子どもたち、そして今、「自主避難」と地域の暮らしと、すでに築き上げた人間関係のあいだで、どのような選択が自分にできるかを、日々悩み、苦しんでいる人たちが払わされることになるだろう。

そして、この遠くない未来に、「ただちに健康への影響がでません」とか、「政府を信じなさい」などと放言していた者たちは、頬かぶりするのだろう。わたしたちは、「二度と過ちを繰り返しません」という言葉を何度繰り返し、何度聞いてきたことか。

今回の郡山市の一泊二日は、わたしに大きな責任を痛感させた。頬かぶりすることがほぼ予想される、政治家や既得権益にしがみつく人たちを批判することも大切だ。だが、その批判は、わたしの主権者としての責任の名の下に行わなければならないだろう。

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今回のレポートにも現れているように、わたしにとって本当に長い二日間だった。多くの方に協力していただき、そして法廷を支えて下っている方々に心より感謝したい。

なお、現在井上利男さんと、縮小社会を説き続ける元京都大学教授で機械工学がご専門の松久寛さんとのセミナーを準備中。はっきりとした予定が決まり次第、またWANにて宣伝を始めます。








カテゴリー:脱原発に向けた動き / 震災

タグ:脱原発 / 原発 / 岡野八代