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『それでも、愛してる』喜劇と悲劇を織り交ぜた人間賛歌 青山リサ [学生映画批評]

2012.06.17 Sun

 

この物語の家族は、厄介な問題を抱えている。完璧に生きることは誰にもできず、家族の問題だからこそ自分の生活と完全に切り離すこともできず、悲劇は起こる。それでも、愛してると誰かに彼らは言えるのか。この映画のタイトルを何度も頭に浮かべながら、最後まで見入ってしまった。

  おもちゃ会社を先代から受け継いだ中年の男ウォルターは、長い間うつ病に苦しんでいる。仕事も家事も完璧にこなす妻メレディス、成績優秀ながら父親似の自身へいら立ちを募らせる高校生の長男ポーター、小学生でいじめられっ子の次男ヘンリーにとって、ウォルターの無気力は家庭に影を落としていた。子どものためにもと彼は家族から離れて一人暮らしを始めるが、すぐに耐えきれずに自殺を思い立つ。しかし死を覚悟した彼の耳に、ゴミ捨て場で拾ったビーバーのパペットが話しかけた。実際にはそれはウォルター自身が発している声なのだが、ウォルターはその「ビーバー」という活気に溢れた相棒を手に入れて、人生を再スタートする。ウォルターは常に「ビーバー」を左手にはめ、素のときとは懸け離れた自信に満ちて粗野な口調を使い、まるでパペット自身が本当に生きてウォルターの代わりに話しているかのように振る舞う。そのおかげで一旦は彼の生活は好転するものの、やがて「ビーバー」の生き方はウォルター本来の人格を支配しはじめる。

  うつ病の夫を支える妻メレディスを演じるのはジョディ・フォスター。彼女はこの作品で監督も務め、うつ病というテーマにこだわらず、誰もが自分自身のあり方に悩みながら生きる姿を描き出した。対する夫のウォルターを演じるのは同じくハリウッドスターのメル・ギブソン。彼はウォルターが抑うつ状態のときと、「ビーバー」という新しい人格で接するときとの差を見事に演じ分け、ユニークで魅力的な反面、複雑で脆い人物の内面を表現した。

中盤、「ビーバー」になりきったウォルターが企画した新作のおもちゃが大ヒットし、たちまち世の注目を浴びる姿は喜劇的だ。しかしこの物語は突飛な発想ながらも、決して「やりすぎ」には見えない。ここで登場する人々は常に理想を自分自身に求めている。それがウォルターにとっては「ビーバー」であり、メンディスにとっては夫が病気になる前の生活であり、ポーターにとっては父親とのつながりを絶つことだった。またピーターの同級生で「卒業スピーチの代筆」を彼に頼むチアリーダーのノラは、母親の望む優等生の自分を必死に繕い続ける。しかし現実は理想には届かない。その葛藤が一人一人から浮かび上がり、リアリティーを感じると共に、人間の複雑さを改めて考えてしまう。

 

特に多感な高校生を演じたポーター役のアントン・イェルチンと、ノラ役のジェニファー・ローレンスの若手俳優同士のやりとりは、瑞々しいという言葉が非常によく似合う。多くの時間は割かれていないが、ジェニファー・ローレンスの魅力的で影を落とした演技からは、ノラが持つポーターにも通じる自分自身への葛藤とその背景が浮かび上がり、物語に広がりを見せていた。

この物語の人物たちは皆、悪意がない。理想のための悪意のない行動が、自分や他人を傷つけ、悲劇を引き起こす。しかし完璧ではない姿を受け入れる寛容さは、時に複雑すぎる人間の心にとって救いとなる。終盤でノラがポーターへ捧げる言葉が、ポーターから父へ、父から家族へと染み渡っていくさまは、その小さな救いを、派手さのない演出でそっとすくい取るように見せてくれる。91分という長くない上映時間のなかに、いくつもの悲劇と喜劇を織り交ぜた、人間賛歌がそこにはあった。自分ではどうにもならないことを苦悩し、救いを求める人の姿が、この作品ではとても愛しく感じる。

 (日本大学芸術学部映画学科4年 青山リサ/あおやまりさ)

 『それでも、愛してる』

(ジョディ・フォスター監督/2011年/アメリカ/91分)

 6月23日 シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほか全国順次公開

 配給:ツイン 宣伝:Lem

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カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:くらし・生活 / 映画 / 家族 / うつ病 / ジョディ・フォスター / 青山リサ / 女と映画