2012.07.05 Thu
“ドラマ好き”を公言する
日本で韓流ブームが弾けてそろそろ10年になろうとしている。「冬のソナタ」と“ヨン様”に代表されてきたブームは、いまや多様な文化コンテンツの広がりとともに社会的にも大きな影響力を見せはじめている。韓国ドラマもその一つ。
DVDのレンタルショップには韓流コーナーが設けられ、数多くのドラマが並ぶ。いつの間にかスーパーの食品売り場に欠かせぬ存在となったキムチのように。また、最近は地上波TVでも次から次へと韓国ドラマが放映されている。
こうした韓流ブームの広がりは、以前から大のドラマファンだった私にも変化をもたらした。ソウルで留学生活を送っていた1990年代初めからドラマの面白さにはまっていた私は、2000年に日本に戻ってからも衛星放送で韓国ドラマを秘かに見続けてきた。
しかし、それはあくまでも私の個人的な楽しみであり、あまりよそ様に大声で話すようなことではなかった。当時は、まだ韓国ドラマを見ている人が少なかったので、その面白さを分かち合える人が周囲にいなかった。かといって韓国ドラマを見たことのない人にその面白さを吹聴しようものなら、せいぜい「ドラマごときにうつつをぬかす閑人」と思われるのがおちだった(それは今でも同じだが)。
ところが、日本のお茶の間への韓国ドラマの急激な浸透と、ドラマファンの増加は、私のそんな態度を一変させた。私はまるで、ドラマ好きの人たちがのびのびと語り、振る舞える解放空間に投げ込まれたかのように、だんだんとドラマ好きを公言できるようになったのである。最近では市民講座などでドラマをテーマにして語り、こうしてエッセイを書いている。韓国ドラマに関することなら、何でも積極的にやってみようという意欲すら湧いてきたのだから不思議だ。
なぜドラマを語るのか
メディア論などを専門としているわけでもない私が、韓国ドラマについて何を、どのように語りたいのか?ここでは、その理由や目的について、以下に思いつくまま書いてみたい。
まず、私が韓国ドラマについて積極的に語りたい理由は、これまで韓国に無関心だった多くの日本人が、ドラマを通して様々な関心や親近感をもつこと自体が有意義だと思うからだ。日本社会は、戦後も「在日」韓国・朝鮮人に対する根深い差別意識を引きずってきた。韓国・朝鮮に対する無知や無関心が、偏見と差別を助長することにつながった。
今日の韓流ブームに対して諸手をあげて賞賛するつもりはない。しかし、ドラマや俳優をきっかけにして韓国に関心を持ち、親近感を抱く人が増えるとしたら、こんなに素晴らしいことはない。こうした社会的文化的現象を大事にしたいと思うのだ。そして、ドラマをきっかけに生まれた隣国・隣人への関心を育てることで、現実の友好関係を築くことができれば、と願っている。
キーワードは“女性”
講座やエッセイで語るときは、基本的に“女性”をキーワードにしている。なぜなら、ドラマという媒体そのものが女性視聴者を狙って作られている場合が多いからだ。韓国でも日本でもドラマ視聴者の圧倒的多数は女性である。その上、両社会とも、男は仕事、女は家事という性別による役割分業が根強いため、家にいる時間の長い女性が、家事・育児をしながらドラマを見るというのが一般的である。
また、制作する側も視聴率を上げるために女性の趣向に合った内容を提供する。韓国ドラマには多様なジャンルがあるが、そのテーマは男女の恋愛や家族の葛藤を扱うものが多い。女性を主人公に据えるのも、女性視聴者をドラマの世界に引き込むためだ。ドラマ作家と呼ばれる脚本家も最近は圧倒的に女性が多くなってきた。ドラマの命であるセリフの表現が、女性の方が得意であるからだろう。映画に比べると、ドラマには女性の日常が多く描かれていて、その社会のジェンダーも色濃く反映されている。
いわば、韓国ドラマは、韓国社会に暮らす女性たちのことを知り、その社会のジェンダーの在り方を考える上で、絶好のテキストにもなるだろう。私が韓国で学んだ女性学や女性運動の経験も役立つというものだ。
ドラマで女性学
私がドラマについて日頃思っていることを幾つか挙げてみたい。まずは、ドラマそのものに関する紹介や分析を行うことが重要だ。韓流ブームといえども、すべてのドラマが日本に紹介されるわけではない。数あるドラマの中で、韓国社会のジェンダー理解につながり、かつ、味わい深いものを中心に紹介したいと思っている。ドラマの時代的変遷や、作家たちの作風の違いなどを知ることも、ドラマ理解の助けになるだろう。
また、韓国ドラマは吹き替えや字幕を通して日本のお茶の間に届けられるが、その過程で言葉の意味が変質してしまうことも結構ある。字数が限られている字幕では、表現力豊かな韓国のことばを伝えきることはできない。もとのセリフと訳語との間の微妙なニュアンスの違いや、その背後にある具体的な事象を知ることで、ドラマをより面白く見ることができるだろう。
次に、韓国の女性たちがドラマをどのように視聴し、理解しているのかについて、日本のドラマファンたちに伝えたい。韓国は「ドラマ王国」といわれるだけあって、新たなドラマが次々と製作され、放映されている。テレビ番組に占めるドラマの割合は、日本などに比べるとはるかに高い。視聴者の目も厳しく、ドラマの内容についての感想や批判もかなり活発に放送局に持ち込まれる。
女性団体やドラマ愛好家たちは頻繁に番組をモニターし、批評活動を行っている。単なる芸能ニュースでは知ることのできない韓国女性視聴者たちの生の声を伝えて、日本でもこうした活動が活発になればよいと思っている。
ドラマに登場する俳優たちについても、多様な情報を共有したい。日本ではヨン様以来、若手の男性俳優ばかりが注目される傾向があるが、ドラマを支えているのは、むしろ中堅の俳優たちである場合が多い。特に中高年の女性演技者たちに名優が多いことは、ドラマファンならすでに気付いているに違いない。商業主義的な韓流市場では取り上げられにくい、こうした俳優たちについて紹介することで、もっと身近に感じてもらえたらと思う。
韓流の光と影
韓流市場の拡大とトップスターたちの活躍によって、韓国では近年、演技者や歌手などに憧れ芸能人を目指す若者たちが急増し、そうした人々を誘う芸能プロダクションが林立している。芸能人を志望する女性の中には、悪質なプロダクションから社会の有力者を相手に性的な接待を強いられるケースや、マネージャーに弱みを握られ脅迫されるケースなどの人権侵害が後を絶たない。
最近、10代の女性グループ歌手たちが日本で脚光を浴びているが、その裏では、少女たちにまで“セクシーダンス”や過度の身体的露出を求める傾向があるという。美容整形手術の繁盛や容姿第一主義のような、多分に商業主義的な“美意識”のまん延も、韓流の背後にある弊害の一つと言えるだろう。私たちが韓流を“消費”することが、こうした韓国社会の実態とどのように関わっているのかを考えることも必要だ。
要はドラマを手掛かりにして、韓国に生きる人々の実像に迫り、韓国理解を深めること、そしてそのような営為を通して、日本と韓国のドラマファンたちが疎通し合うことができれば本望である。もちろん、女性をキーワードにするからといって男性を排除しようというのではまったくない。ドラマによって開かれる空間で、老若男女を問わず大いに語り合いたいと思っている。
(この記事は、『ヒューマンライツ』No.271に掲載されたものを修正したものです。)
[写真の説明:(上から)江原道春川のドラマ「初恋」撮影地にて(2011.3)、韓国の聖公会大学で開かれたシンポジウム「東アジアにおける文化生産-浮上する文化主体たち-」での発表(2010.5)。尼崎市女性センター・トレピエにて(2012.3)
カテゴリー:女たちの韓流
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