2012.07.28 Sat
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 少し法廷の紹介からは離れますが、原発問題を考えるうえで、とても大切だと思うので、祝島の反原発運動について報告する前に、カントの言葉を紹介します。
目的の国においてはすべてのものは、価格をもつか、それとも尊厳をもつか、そのいずれかである。価格をもつものは、何か別の等価物で代替できる。ところが、それとは逆に、一切の価格を超出した崇高なものは、したがっていかなる等価物も許さないものは、尊厳をもつ。/ 人間の普遍的な傾向性と必需に関係するものは、市場価格をもつ。必需というものを前提しなくても、何らかの趣味に、すなわち、私たちの心の諸力のたんなる無目的な遊びにおける適意に、適合するものは、愛好価格をもつ。ところが、何かが目的自体それ自身でありうるための唯一の条件をなすものは、ただたんに相対的価値すなわち価格をもつのではなくて、内的価値すなわち尊厳をもつ[74頁]。
Priceless を辞書で引いてみてください。Price (価格)がless (ない)とは、貴重なこと、何物にも代えがたいこと、といった意味なのです。
わたしたちは、この二つの価値観のなかを行ったり来たりしながら、生きています。
そして、なにがpriceless かは、残念ながら人によってその判断が違います。ただ、カントいわく、あらゆるひとに尊厳が備わることは、普遍的真理なのです。
二つの豊かさ
祝島からこられた氏本さんは、島民450人、高齢化率80%にも迫る小さな島で反原発が貫かれてきたのか、説得力をもって語ってくれました。
わたしはまだ、祝島を訪れたことはありませんが、瀬戸内に浮かぶ小さな島、静かで豊かな海に囲まれた島を想像し、それだけで胸が熱くなりました。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.祝島が属する上関町は、三つの島と本州の一部で構成されています。
そして、本州と橋でつながれた長島は、本州への依存度を高め、そして原発立地を推進させています。
氏本さんは、とても印象的なエピソードを紹介してくれました。
福島原発事故後、上関原発推進派の長島の漁民は、それでもなお原発推進が必要だとして、次のように述べたのです。
人並みの暮らしをするにゃ原発のカネが必要なんじゃ
それに対して、祝島では、漁民だけでなく、農民たちも次のように述べるのです。
海さえありゃ生きていけるけぇ海はカネに換えられん。海を埋め立てて原発を立てさせるのは自殺行為じゃ。わしらぁ海と山から恵みをいっぱい貰ろうて毎日を暮らせちょる。それ自体が人並み以上の暮らしじゃ。
自然の恵み、太陽の恵み、海の恵み、わたしたち人間は他の生物をはじめとした多くの環境から「贈与」を受けている。カントの議論は、一見すると人間中心主義ですが、何物にも代えられないものとは、なにも人間だけではないはずです。
一度破壊された環境は二度と戻りません。そうした事実を反省するだけでも、人智を超える存在である自然をわたしたちは、崇高なものとして畏怖しつつ、そこに抱かれて生きていることの有難さをかみしめなければならないのです。
一流の離島をめざして
氏本さんは、祝島の現在のプロジェクトを最後に紹介してくれました。
それは、祝島100%プロジェクトと呼ばれているもので、電気エネルギーだけでなく、食糧、介護、子育て、地域伝統文化の伝承などの人的エネルギーをもすべて自給しよう、という取り組みです。
祝島は瀬戸内に浮かぶ小さな島にすぎません。しかしまた、視点を換えれば日本もまた、極東地域に浮かぶ小さな離島です。わたしたちは祝島のこうした取り組みを、小規模だからできるのだと自身を納得させるのではなく、きっと学べることがあるはずと、彼女・かれらの生活の尊さに触れてみるべきなのでしょう。なお、祝島の美しい景色は、祝島ホームページにてご覧ください。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.瀬戸内の海を守る
氏本さんらと共に、上関原発建設反対運動に取り組む岡田和樹さんは、これまでわたしが法廷で接した申立人のなかでおそらくもっとも若い男性でした。
かれは広島県三原市で生まれ育ち、瀬戸内が大好きで、生涯この場所で暮らしていきたいと冒頭で自己紹介されました。
2005年から、大好きな瀬戸内の海を守るため、「ハチの干潟」埋め立て反対運動のなかで、隣の山口県の上関原発建設のために、瀬戸内の海を埋め立てるという計画を知り、に反対するようになりました。
2009年9月から、埋め立て工事が本格的に始まったさい、かれは祝島の漁師さんたちと一緒に、友人らとカヤックで海上に並んで、埋め立て工事を始めようとする中国電力と対峙し始めます。
海を守ろうとする岡田さんの話は、いつかみた水俣をめぐるドキュメンタリーを思い起こさせました。
海を生きる糧にしている人たちは、海に感謝し、海の時間を生き、海の変調を感じ取り、そして海を愛しているのです。
岡田さんもまた、「漁師さんたちは、海を命のように大切にしているのです、海を売ってはいないのです」と述べられました。
なお、民衆法廷を水俣で開催できないだろうか、という企画もでていることをお伝えしておきます。
経済合理性を追求するなかで、海を破壊し、ひとや自然の生命を軽んじ、そして汚染の人体への影響を認めず、そして国も企業も責任回避に奔走した点では、水俣チッソも原発問題も共通の病巣を露わにしています。
岡田さんは、2011年2月、中国電力が埋め立てを強硬したさいの抵抗運動のために、中国電力から4,800万円もの損害賠償を訴えられることになりました。
しかし、祝島の人びとはじめ、瀬戸内の海を愛する人たちの声を聴かず、埋め立てを強硬した中国電力と工事を許可した山口県に対して、座り込みや海での反対行動以外、かれら・彼女たちには声を上げる道がなかったはずです。
経済的優位にある者、そして国策という後押しがある者たちが小さな生活を守ろうとする者たちの声を不眠時っている状況に、岡田さんは、身を挺して戦っているのです。
それは、原発が今後どれだけの生命を危機に晒すのか、そのことを考えると行動するしかないのです。
広島と福島を結ぶ
2009年からはっきりと反原発のために運動してきた岡田さんですら、原発と広島が経験した原発を結びつけることには思い至らなかったようです。
しかしかれは、3.11以後、終わらない原発事故を考える中で、改めて長崎や広島のことに目を向けるようになりました。
2011年9月から、西日本の野菜が食べたいという福島の方の声にこたえて、地元の若い有機農業者と「ゆうきの環かざぐるま」というグループを作られ、少しでも安心した食材を福島のひとびとに提供しているとのことでした。
岡田さんもまた、被爆者の声に耳を傾け始めました。
そして、日本に生きるわたしたちは、放射能の恐ろしさを少なからず知っているはずです。
しかし、なぜ、唯一の被爆国として、原子力の平和利用というイデオロギーを受け入れるようになったのでしょうか。
原発に反対する人たちは、尊厳を賭けて、お金で売ってしまってはいけないもの、代替不可能なものを守ろうとしています。
しかしその声を踏みにじる力はどこから来ているのでしょうか。なにが、体を張った抵抗を踏みにじることを正当化しているのでしょうか。
そして、わたしたちも、こうした運動の存在に対する無知、無関心の罪を免れません。
無知からくる原発受容。その罪深さは、つぎの証言者である藤田祐幸さんが明確に指摘してくれました。次回シリーズ③にて、その概要をお伝えします。
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