エッセイ

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中国のフェミニストに聞く(屈雅君教授来日講演レポート【1】) 福岡愛子(wan上野ゼミスタッフ)

2012.12.02 Sun

 日中関係が、国交正常化後の40年間で「最悪」と称される状態から抜け出せないなか、中国陝西師範大学の屈雅君教授は予定どおり来日した。そして11月10日と11日に、それぞれ日本の学生・研究者を中心とする熱心な聴衆を前に講演した。
 その一人として大変感銘を受けたので、記憶の新たなうちに、二回に分けて報告しておきたい。いずれも、当日配布されたレジュメに基づいてまとめた、私自身の理解と感想である。

屈雅君さんプロフィール

 1954年生まれ。山西省臨汾出身、河南師範大学中文系卒。
 1985年より陝西師範大学文学院教員、現在教授。主たる研究領域は、ジェンダー文化研究・女性文学批評。同大女性研究センター主任、婦女文化博物館館長も務め、全人代代表として女性の人権に関する発言・提案をしている。
 著書に『フェミニズム文学批評の理論と実践』、『織物から歴史を読む―中華花嫁衣裳文化調査』。

 まず、第一日目の以下の講演内容についてである(これについては、より簡潔明瞭に整理された秋山洋子さんの活動報告が本サイト内にあるので、そちらも参照されたい)。

【1】日本女性学会研究会「中国のフェミニストに聞く」
 日時:2012年11月10日(土)、14:00-17:00
 場所:立正大学 1161教室(11号館6F61教室)
 内容:講演 屈雅君「現代中国における三種の女性話語(ディスコース)」
 主催:日本女性学会
 協力:日本軍性暴力パネル展実行委員会

(1)「天の半分」ディスコース

 かつて冷戦体制下で、社会主義を実現した国々が実態以上に美化されて語られた時代があった。女性の地位向上は確かに先進諸国以上の実績を示し、中国も男女平等モデル国のようにみなされたものだ。毛沢東の「天の半分は女性が支える」という伝説的な言葉が拠り所だった。

 この「天の半分」という言い方には、女性の能力に対する高い評価が含意されている、と屈教授は言う。中国革命によって、「男は外、女は内」という伝統的な観念が覆され、女性の独立・解放・平等が目指されたのである。この「天の半分」ディスコースの中心的担い手である中華全国婦女連合会(以下「婦女連」)は、「新中国」成立に先駆けて1949年3月に発足した。

 しかし屈教授によれば、誰もが認める男女平等は、無意識のうちに、「女性は男性と同じ」、すなわち「男性を見習え」にすり替わりやすい。「天の半分」ディスコースは、主流であるがゆえにイデオロギーの独断性や権力性を帯び、女性の「自尊・自信・自立・自強(四つの自)」が標準モデルとなることで弱者としての女性の声にはなり得ない、という側面がある。

 1980年代以降は、上記の「四つの自」を称揚する文学作品などはほとんどなくなるが、それに代わって勇ましい女性兵士、有能な女性裁判官・実業家などが、「天の半分」ディスコースの表象となった。

(2)「フェミニズム」ディスコース

 同時期、中国にも西洋のフェミニズムの影響が現れ始める。1995年に北京で国連の第4回世界女性会議が開催されて以降は、一層「フェミニズム」意識が向上し、女性を含むマイノリティへの注目が高まった。第二波フェミニズムとポストモダニズムの理論によって、それまで自明視されてきた男権文化を切り崩し、セックスとジェンダーを政治的なディスコースとして解読しようとする動きだった。

 「天の半分」ディスコースと比べて最も大きな違いは、「フェミニズム」では女性自らが女性解放の主体となり、女性解放を目的として行動するという点である。社会解放という大きな目標の下に従属するのではなく、主流イデオロギーからは距離を保ちながら、各種専門研究領域にジェンダーの視点から切り込む。

 現在までに、中国では「ジェンダー」「女性」「婦女」を掲げた研究機関が百を超え、高等教育機関の専門研究機構の中でも上位に位置するという。反面、実際には専任スタッフや予算や専門施設の不足という問題も多い。さらに、「フェミニズム」理論の核心にあるポストモダン哲学は、一般女性には理解されにくい。女性研究は、男性中心主義に対抗しながら、同時に女性の中に、中心と周縁という新たな二極対立を生み出すことにもなりかねないのだ。

 しかし屈教授は、「天の半分」ディスコースと「フェミニズム」ディスコースは、融合する傾向にあるとみている。その促進要因としては、伝統的な「婦女連」幹部学校の関連部門と高等教育機関の女性研究者とが共に女性のための事業や活動に取り組むなかで、互いの理解が進んできたことがあげられる。また改革開放の進展によって、以前のような労働者階級出身の女性幹部とインテリ女性との境界が、実際に薄れてきた。

(3)「現代淑女」の出現と三種のディスコースの対抗的共存関係

 それに対して、両者にとって全く新しい女性階層として出現したのが、ファッション雑誌のカバーガールや美人キャスターなどをモデルとする、いわゆる「現代淑女」である。主として市場経済を背景に登場した都市のホワイトカラー女性で、以前のような平等主義による女性保護の恩恵にあずかれないため、職場での厳しい競争にさらされる。彼女たちは、「天の半分」時代の男気取りの女性たちを過去のものとみなし、西洋フェミニズムに感化された女性たちの過激ぶりにも批判的なのだという。女性の美しさ・上品さ・優しさ・か弱さを商品化する「現代淑女」ディスコースは、実は男権文化の視点を内面化したものといえる。

 屈教授によれば、「現代淑女」ディスコースと「フェミニズム」ディスコースの境界も固定的ではなく、「現代淑女」に特徴的な「個人化」や「私性」などは、周縁や非主流の立場から中心や主流に対抗するために、西洋のフェミニズムがもたらした概念なのである。しかし「現代淑女」は、まぎれもなく現在の主流イデオロギーである「市場」とともに発生・成長してきた。従って周縁に位置する「フェミニズム」ディスコースとは相いれない。ビジネスの世界で流行の先端をめざしながら、男性の視線による客体化・他者化を免れないのだ。

 会場からも質問の出た「専業主婦」については、時間の関係でふれることができず残念だった。後日、中国の出版社に勤める若い女性編集者の友人に会う機会があったので、三種のディスコースとの関係における「専業主婦」について尋ねてみた。彼女の個人的な見解によると、「現代淑女」ディスコースは、同じく市場経済を背景として登場した「ニューリッチ」の男性と結婚し「専業主婦」におさまるのが、一つのゴールとみなされているようだ。活動家でも研究者でもない一般女性の間では、「現代淑女」ディスコースの浸透力は圧倒的だという。競争の厳しい職場で男性と競争し続けるよりは、女性らしさを売りに、より条件の良い男性を求める女性同士の競争のし烈さがうかがえるようだ。

 またこの友人は、三種のディスコースの特徴は、女性階層ごとに分けて考えるべきではなく、年代などにより程度の差はあるものの、現代を生きる女性一人一人の中に混在していると言う。たとえば「天の半分」ディスコースの余韻の残る女性たちの中にも、「女性」を売りにした戦略がないわけではない。ただ「女らしさ」の定義が「現代淑女」とは異なり、「良妻賢母」だったりするわけだ。

 屈教授の講演では、最後に三種のディスコースが各々二面性をもっている点が指摘され、互いの関係が以下のようにまとめられた。たとえば、政府公認の「天の半分」ディスコースによって、中国の女性は西洋の女性がしたような苦労をしなくてすむという面があり、その正統性によって商業主義ディスコースのマイナス面をある程度制御できる。但しその正統性が保守性となって、「フェミニズム」ディスコースのラジカルさとぶつかる。男性イデオロギーに対する強力な批判力をもつ「フェミニズム」ディスコースも、中国の特徴や実践を軽視して「天の半分」ディスコースと対峙すれば、自ら行き詰まることになるだろう。両者に対抗する新しさが魅力の「現代淑女」ディスコースは、本来男性文化に属するために、社会全体が前進する過程で、ある種の逆行現象を引きおこすかもしれない。

 三種のディスコースは社会変動のさなかで、伝統的なものと新しいものといった分類では把握しきれない、対抗的でありながら補完的な可能性を秘めた共存関係にあるようだ。

カテゴリー:ちょっとしたニュース

タグ:フェミニズム / ジェンダー / 女性学 / 中国 / 屈雅君

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