2009.07.31 Fri
聞き手&構成:中西美穂
花嵐は1960年代後半生まれの女性3人によるコンテンポラリーダンスグループだ。観客席の後ろから登場し踊りながら客席を抜け舞台にあがっていったり、和服をリメイクした衣装を纏って“美しさ”というよりも“おかしさ”が際立つポーズをとったり、ひとことで言えば奇抜。しかし、嫌な感じじゃない。むしろ、フレンドリーな印象。“女性”をテーマにした作品も多く、フィリピンで行われた第6回国際女性劇作家会議(2003年、CCP、マニラ)では《果肉03》を、第8回フランス日本研究学会国際会議(2008年、国立Rose des Vents劇場、リール)では《ドリーのダンス》を上演した実力派だ。
そんな彼女等は昨年から、それぞれが生活に余裕があるとはいえないのに半ばボランティアで視覚障害のある人との創作ダンスに取り組んでいたという。障害者の芸術活動に付き添うのはたいてい母親たちだ。また、そういった現場を支えるスタッフも女性が多い。そのような現場で、花嵐は、どのように創作を試み、何を考えたのだろうか。
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写真:《いのりとのろい》2009年、U空間(京都)1・花嵐とは?
ニイユミコ、伴戸千雅子、古川遠の3人が「花嵐」を結成したのは1998年12月。3人はいずれも同じダンス教室に通っていた。たまたま3人は、振付家ロリーナ・ニクラウスを講師に迎えた振付家のためのワークショップ(1998年、万国博ホール、大阪)に参加し、刺激を受け「作品つくって世に問う」ことに挑戦してみようと考えた。初公演《ウラガエシ》1999年、トリイホール(大阪)を皮切りに、ほぼ毎年一回の新作による自主公演と、年数回さまざまなアートやダンスのイベント踊りつづけ現在に至る。
ちなみに、花嵐という名前は「友人が付けた。この三人やから、なかなか決まれへん。そんな時、服屋さんやっている友人が、自分とこの店名を沢山考えていて、そのメモを見せてくれて、その中から、一番イケテナイ感じ、ダサイ、横文字のような格好よいものではない、意味のなさそうなのを選んだ(伴戸・談)」。その花嵐という名前、海外でではとてもウケが良い。中国語や英語に直訳された「花の嵐」というイメージは、三人が、力一杯に、「メチャクチャに(伴戸・談)」踊っている様子にぴったりで「まさしく花嵐だね」と、言われるのだそうだ。
●ところで、コンテンポラリーダンスって何?
「コンテンポラリーダンスの中に舞踏も含まれるって説明するよな。でもコンテンポラリーダンスとかを言う以前の60年代にアンチ西洋として生まれたのが舞踏やなあ。」と、一般的な説明を伴戸が試み、古川が時に言葉を補足しながら確かめるように頷き、ニイがやり取りを見守る。三人が通っていたダンス教室が舞踏系だったので舞踏のことも一緒に説明してくれた。
「コンテンポラリーダンス。同時代のダンスと訳されることが多く、基礎テクニックはバラバラ、日本ではフランスのものが多く紹介されている。」と三人で考えながら答え、関西で鑑賞することができる会場として、京都芸術センターや伊丹アイホール、Art Theater DBの三つ名前をあげた。
「クラシックバレエにはドラマがあるけど、コンテンポラリーダンスにはわかりやすいドラマがない」ことが多く、「テーマをどう表現するか」なので、音楽や舞台美術、衣装に決まりはない。身体をつかって表現するというよりも「身体そのものを表現する、“フィジカル”」なのだそうだ。
●ワークショップ形式で創作した作品《果肉》
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《果肉》チラシ2000年
「無謀にも、結成翌年にして自分たち以外の女子6名を募りワークショップ形式で創作したのが《果肉》」。どうして無謀かというと、ワークショップ(参加型体験型学習と訳されることが多い)をリードしながらダンス作品をつくるということは、簡単ではない。文章や絵画を仕上げる時の身を削るような創作過程はダンスにも共通する。そんな大変な創作過程を結成二年目にして、大胆にも、ワークショップ形式にしたのだ。どうしてワークショップ形式にしたのだろうか?
「広がりが生まれるかな縲怩ニ思ったからかなあ。三人でどうやってつくったらいいのか、わからんかったからかなあ。“おっぱい”の姿を、いっぱい並べたいと思ったからもある。‥‥‥仲良し3人組がやっているダンスではなく、プロっぽく、うちわでやっている感じのない、ドーンと人を巻き込んでやりたかったからかなあ‥‥‥‥(伴戸・談)」。
この作品は「顔を隠して、乳房をみせる」がモチーフになっている。公演を知らせるチラシにも出演者たちが“顔を隠して、乳房をみせ”ている。このチラシをはじめて見た時、私はちょっとぎょっとした。そして、自分の乳房と、チラシの人たちの乳房の見映えを、心の中で比べていた。さらに、このまま踊るのだろうか、顔を隠していては前が見えないんじゃないのか、それじゃあ踊れないではないかと、ぼんやり考えた。そして、興味を持ったので公演を見に出かけた。
あたりまえだけど、観客席に座ると舞台は真正面。緞帳のない舞台なので、ダンサーが舞台に居るというよりも、舞台をダンサー達が出たり入ったり留まったりする感じ。細かい部分はもう忘れたが、最初は普通に乳房を隠して顔を見せた状態で踊っていたように思う。後半に向かって、ダンサー達のテンションがどんどん高まって行く。そして、舞台に留まり仁王立ちなったダンサーたちは「顔を隠して、乳房をみせる」。観客は真正面からそれを見る。そうなった時に私は、乳房や腹、肌などのディティールではなく、身体からほかほかと立ち上る湯気を見ていた。実際には湯気はたっていなかったと思う。あえて言葉にするのなら、“顔を隠して、乳房をみせ”ているダンサーたちに、“エネルギー”のようなものを見ていた。
「どうして、この作品のイメージを得たかというと、練習の時に、服を脱ぎかけて、途中でやめて‥‥この姿が、面白かった。お乳が、顔に見えた。舞踏(花嵐の基礎になっているコンテンポラリーダンスのジャンル)の舞台では裸になる。いくら、白塗りしても(個人が特定しにくい状態にしても)、身体の各所が出ているとか、引っ込んでいるとか、気になる。白塗りしていても、女の身体が、とりざたされる。(そういう舞踏の舞台経験があるから、自分たちの舞台作品では)身体の見え方を、もっとオカシク感じたかった。‥‥‥ピカソの絵でな、そういう顔を隠して乳を見せている女のひとが寝そべっているのがあるねん。その解説に、“欲望の対象は空虚”とあった。(裸だからって)べつにこっち側(女)は何もない。そういうのやねん、それがわたしたちの“舞踏”やねん。それが『果肉』のイメージやねん(伴戸・談)」。
この作品のリメイクバージョンは、前述の通り、第6回国際女性劇作家会議(2003年、CCP、フィリピン)に招聘され、さらには、日本竏茶Iーストラリア・ダンス・エクスチェンジ・プログラム(2006年、大阪Dance Box、松山大学、シドニーオペラハウス)でも上演された。
その後、《妄想きかん車》2001年、ARTCOMPLEX1928(京都)、《お花ショー》2002年、カフェアンデパンダン(京都)、《人間は食べずに生きられるほど自由じゃない》2002年、KAVC(神戸)、《炎の三人》2003年、The 2nd womens-performance-art-osaka(大阪)、《箱おんな》2004年、ARTCOMPLEX1928(京都)、《カミダラケ》2004年、アルティブヨウフェスティバル(京都)、《Sky For Women 縲怩ィんなの空縲怐t2005年、西陣ファクトリーGarden(京都)、《ドリーのダンス》2007年、神楽坂die pratze(東京)/ARTCOMPLEX1928(京都)、などなど、タイトルからして“面白”そうな作品を、ほぼ毎年、新しく、自分たち自身で創作し発表し、今に至る。どの作品も、同じ振り付けを皆で揃えて踊るのではなく、どこか適当っぽく遊んでいるような、音楽に特に合わせるわけでなく、合間にコント芝居のようなものが入る。テーマはあるんだけど、そのテーマを鑑賞者に強く伝えたいのではなくて、鑑賞者がそれぞれに空想を膨らませるための、きっかけみたいな「身体」が、舞台の上に繰り広げられる。
写真左から:《人間は食べずに生きられるほど自由じゃない》2007年、《ドリーのダンス》2008年
古川は、好きな作品に《人間は食べずに生きられるほど自由じゃない》をあげる。
「作品のなかには私の好きな世界があってドラマがあって、三人の個性が生かされている。それと、作品作りの方向性の転換があった。それまでは、三人の違いをおもしろがるというふうには考えてなかった。同じ動きを3人がやって当然違う。それをただお客さんに“違うね”と言われ続けていたけれど、この作品あたりを機会に、三人の特性をおもしろがって、生かそうと考えるようになった。やっていて楽しい作品というのが一番ですが。見るお客さんにもわかりやすいと思うのです。
初演は神戸のKAVCで、名古屋で再演したときに、だいぶ完成度が高くなって作品への愛着がわいてきていて“ぶるぶる(興奮)”していたんですが、トラブルがあって満足な形でやりきれなかった。その悔いをいつかはらしたいなあと思っています。(古川・談)」
古川の言っていることはつまり“それぞれの身体の見かけやクセなどの違いを生かす”ということだ。あたりまえのことのようだけど、舞台上でそういう身体を表現することは、花嵐以外のダンスであまり見かけない。そして、つまり、それが花嵐のダンスなのである。
2・視覚障害がある人との創作ダンス作品《Nobody in the garden》
《Nobody in the garden》の京都公演の案内ブログのキャッチフレーズは威勢がいい。
ポップで破天荒!
全盲のダンサー森川万葉と舞踏グループ花嵐
五感で楽しむ舞台!
音楽 もぐらが一周するまで
上演時間は約30分、出演者は花嵐の3人と、視覚障害のある女性・森川万葉の、合計4人。森川万葉については後述する。音楽は、「もぐらが一周するまで」という名前の音楽家・佐藤亘によるソロユニットで、主にエレクトリックギターを使用する。制作(プロデュース)は「ひととダンスの縁結び」をモットーにしている非営利団体Dance&People(事務局長:五島智子)。上演は過去に二回、2008年12月にシアターMica Dance(パリ、フランス)、2009年3月に元・立誠小学校(運営:立誠・文化のまちプロジェクト運営委員会、京都市)だ。
タイトル《Nobody in the garden》は、日本語に直訳すれば『庭には誰もいない』 。結成12年目の花嵐にとって16作品目となる。
●作品に至るまで
今回の出演者・森川万葉と花嵐の出会いは、2005年。伴戸とニイ、Dance&Peopleが関わる「Dance&People実行委員会」が主宰する、一般公募のワークショップに、森川が応募してきたことがきっかけだ。このワークショップは、エイブルアート・オンステージ(障害のある人たちとのコラボレーションを通して、これまでに見たことのない表現や作品づくりに挑戦する、新しい舞台芸術のための、明治安田生命とエイブル・アート・ジャパンによるプロジェクト)の活動支援プログラムの一つ。同じくエイブルアート・オンステージから、成果を発表するコラボレーションシアタープログラムにも選ばれ、2004年8月に、国内外の障害のある人たちとの共同制作舞台作品5作品とともに、国立オリンピック記念青少年総合センター・小ホール(東京)で、作品《Dance In Your Eyes》(振付・演出:伴戸千雅子)が、森川をはじめとするワークショップ参加者らが出演となり上演された。
視覚障害のある人たちとの共同制作舞台のアイディアは、2004年から個人的に伴戸がライトハウスでダンス・ボランティアをしたことがそもそもの発端といえる。伴戸の活動を見学した五島智子(Dance & people)は、一般的に、振付家やダンサー、ダンサーの卵など、もともとダンスに関係している者たちだけで行うワークショップとは違う魅力を感じ、「何か」可能性があると直感した。そこで、エイブルアート・オンステージの支援プログラムに申請するなど、プロデューサーとして活動のための経費ぐり、スケジュール調整等を、引き受けた。そうやって、一般公募者を迎えるワークショップが、立ち上がり作品づくりへとすすんでいった。
東京での公演後もその活動は伴戸を中心に「なんだかんだ続いた」。だいたいワークショップを月一回。大阪鶴見区の公民館や尼崎の施設を借りて、一回に二時間ぐらい少ないときで2、3人、多いときで10人ぐらいの参加者がいた。参加者には視覚障害がある、見えない人、見えにくい人、視覚障害はないが視覚障害がある人たちとのダンスのワークショップに興味がある人が混じり合った。
伴戸は、視覚障害のある人は、身体の動きが限定されていると感じた。だから「今まで、やったことないように身体を動かす」とか「どうやったら沢山動かせるか」とか「2人ペアになって身体を動かす」とかの、身体の動きの未知を探るようなテーマを毎回決めて挑んだ。またワークショップだけでなく、作品をつくって発表する機会も設定し、多くのスタッフらの協力を得て、生野カトリック教会「しでかすカラダvol.2」(2006年、主催:Dance & People)や、黒谷永運院「しでかすカラダvol.3」(2007年、主催:Dance & People、エイブルアート・オンステージ参加)を実現させた。
●作品《Nobody in the garden》が生まれる
そのような、伴戸たちの活動は、日本のコンテンポラリーダンス関係者に少しずつ知られはじめていたからだろう、花嵐のフランス公演(日仏学会・主催、リール)が決まった時に、フランス側のコーディネーターから、せっかく来仏するのならば、視覚障害者とダンスをしているフランスのNPOと交流してはどうかとの提案があった。
伴戸やニイはもちろん、今まで視覚障害のある人とのダンスに直接関わってこなかった古川も含め、「面白そう!」と反応した。そして、せっかくならば、一緒に今までワークショップをやってきた視覚障害のある人たちも一緒に行こう、それならば何か作品を上演させてもらおう、ということになり。森川を誘い、パリで上演するための作品《Nobody in the garden》を創作した。
フランス行きは、2008年12月、クリスマス前の20日間。当時ユーロが高かった。花嵐の3人に加えて、森川万葉とその母親、制作を担うDance & peopleの五島、藤原、さらに伴戸は息子(当時1歳)も連れて行った。後半に伴戸のパートナーもベビーシッター役として仕事を休んで渡航し合流したものの、前半は、荷物とベビーカーと赤ちゃん。移動の大変さは、今でも語り草である。余談だが、そのせいかどうかわからないが、息子はフランスで歩けるようになったそうだ。
パリでは、万葉も出演する《Nobody in the garden》を上演し、視覚障害のある人とのダンスに取り組むNPO・ACAJUと交流し、そのスタジオで現地の視覚障害のある人やダンサーたちを対象としたワークショップをした。
●京都公演
2009年3月に京都の元・立誠小学校の講堂で上演された《Nobody in the garden》は、パリの初演と構成は同じだが、パリで録音だった音楽が、京都ではミュージシャンによる生演奏になった。従って、音楽が入る後半部分に広がりと深みが増した。
舞台は、真っ暗闇からはじまる。客席の後ろから、子どものような無邪気な笑い声が聞こえる。森川の声だ。客席の後ろから、舞台に向かって、その笑い声と、息づかいが動いて行く。息づかいの数は一人ではない。花嵐の三人も加わっている。
舞台に用意されたテーブルの上には、ホットプレート。スポットライトがあてられている。ニイが、森川を伴ってテーブルに近づき、四角い銀色のものを取り出す。銀色の中は、クリーム色。かじりつく森川。どうやらバターのようだ。バターを温まってきたホットプレートに塗ると、甘い匂いが会場に漂う。そこに豆のようなものを、大量にまき散らす。ホットプレートや、テーブルや床に落ち、はねる。豆の散らばる軽い音が、耳に残る無邪気な笑い声と、まじりあって、耳がとても気持ちいい。
花嵐の三人の身体がくねる。森川も身体がもぞもぞと動いている。
豆はポップコーンだったようで、ホットプレートの上で、ポップコーンがはじける。甘い匂いとともに不定期に鳴るポップコーンの破裂音がかわいい。花嵐三人の身体のくねりが大きくなる。
森川の息づかいが、違ってくる。ダンサーを掴んでいたのに、今は一人でたっている。花嵐の三人は、立っている時間よりも、寝転がって時間が長い。ごろごろ、ベタベタ。床の続きの壁にも、ごろごろ、ベタベタ。後半はそんな中で、三人のそれぞれのダンスが力一杯に繰り広げられ、森川はというと、マイペースに舞台中央で居心地良さそうに座っている、ときどき上半身が揺れる‥‥そして、余韻がありまくりのまま、終了。そんな作品だ。
●対等に舞台に立つこと
作品テーマは「五感で感じるダンス」。「くらやみ」「味わう」「匂い」「声」などのシーンを話しあいながらつくっていったのだと言う。
しかし、森川は、視覚障害があるとともに、知的障害もあり、議論するほどに会話が成り立つわけではない。話あいながらつくるって、どういうことだろう?
意地悪かもしれないけど、正直な疑問が湧いてくる。
話し合ったのは花嵐の三人だけで、森川はただ、演出されるままだったのではないか?
ニイは「公演の時にやったポップコーンは、練習の時も、同じ様にポップコーンをつかった。同じ流れを何回もやる中で、万葉さんの動きが良くなる。流れがわかっていくというか、安心して慣れてくる。」
伴戸は「私ら自身もどういう関わりなんか、って考えつつだった。万葉さんは、不安だと相手の身体を触って関係を確かめる。それが、(時間をかけて、流れを理解して)離れていても、大丈夫。そうなったら同じ舞台に一緒に立てる」
古川は「万葉さんを、どうにかしよう(演出しコントロールしよう)とすると力関係が悪くなる。対等に場所に立つにはどうしたらいいか。そういう関係を先に考えた。こちらも、万葉さんに気を使うのでなく、対等に立って、ダンサーとして存分に踊る。万葉さんに何かしてもらおうと、思っていると、作品として弱くなる。」
このダンス作品の創作過程はつまり、“視覚障害のある森川が動きやすい”ように、空間と時間の経験を共に重ねたということだ。その目的は、自分たち自身が”気兼ねなく“自立して動ける”ことで、森川の舞台での動きを介助することを目的とはしない。
そして、それは花嵐の創作の基本である“それぞれの身体の見かけやクセなどの違いを生かす”ことを、森川とともに実現するための過程であったといえる。
《Nobody in the garden》京都公演終了後の参加者とのワークショップ風景、2009年
<関係者インタビューを後日追加します。ご期待ください。>
参考:
花嵐(ダンス)
http://www.tcn.zaq.ne.jp/hanaarashi/
国際女性劇作家会議とはWomen Playwrights International (WPI)
Dance & people
http://blog.canpan.info/d_a_p
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