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ソーシャル・スキル・トレーニング 秋月ななみ

2013.01.15 Tue

発達障害かもしれない子どもと育つということ。3

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「ママ、ここに何書いてあるの?」

娘がもってきた本は、ジェド・ベイカー著の『写真で教えるソーシャル・スキル・アルバム』だった。ソーシャル・スキルを教えるのに良い本はないかと思って、買ってはみたものの、幼稚園の娘には難しすぎるかと放っておいた本だ。本棚のなかから引っ張り出してきたらしい。なんでも無駄にはならないものである。

友達と遊ぶときによい例と悪い例が、写真を使って説明されている。しかし写真を含め、いかにも「英語圏」といった感じがしなくもない。写真を見ながら、よい例と悪い例を解説していく。

「お友達の話を聞くときに、どうしてこれは悪いのかな?」。「そうだね、お話をしているひとのほうをみないと、喋っているお友達は、聞いていないのかと思って悲しくなるね」。「身体のあちこちを動かしていると、周りの人は落ち着かないね」。「他の子と遊んでいたら、お話が聞こえなくなっちゃうね」と、ひとしきり説明をする。大切なのは、お友達と会ったらまず挨拶をすること、お話を聞くときはちゃんと目を見ること、話しかけるタイミングは、相手の用事が終わったり、他の人との会話が終わったりしたとき、などなど。 「ふーん。わかった…」と娘。

 「挨拶はとっても大事だよね。挨拶すると、相手のことを大事に思っているっていう感じが伝わっていいんじゃないかな。あっちゃんはときどき(というか、本当はかなり)挨拶しないときあるけど、なんで?」。問いかけに娘は、「だって恥ずかしいんだもん!」。

 「だって恥ずかしいんだもん」というけれど、本当に恥ずかしいからでないのは、なんとなくわかる。なにかできなかったときに「あらあら、恥ずかしいのね」と周囲がいってくれるから、娘は「恥ずかしいから」という理由で大概のことはパスできるのだと学習しているだけである(おそらく)。「本当に恥ずかしいのは、ちゃんとご挨拶できなかったり、挨拶を返せないほうだよ。あっちゃんも挨拶したのに、お友達に無視されたら、とっても悲しいでしょう?」。「うーん…」。

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 「ねぇ、これ次に読んで」。娘がまた持ってきたのは、『マンガでわかるよのなかのルール』(横田浩之・マンガ/みずたまり)。これまた娘が示すのは、友達との遊びかたの部分である。「なんだかこれは偶然じゃないな」と思ってみていると、娘がぽつんと「あっちゃんはお友達が、もかちゃんしかいないんだぁ」。みんなに「あっちゃんバイバイ!」といわれても返せなかった娘が、最近は帰りにもかちゃんに会ったときは、確かに「もかちゃん、バイバイ! もかちゃん、もかちゃーん!」とストーカーのようにしつこい。

 「どうしてなのかなぁ?」と聞くと、「あっちゃんはお友達と遊んでいるところに、『入れて』って、いえないんだよ」。「そうかぁ。『入れて』っていえないと、遊びに入りにくいねぇ」。娘は小さいなりに、友達が欲しいという気持ちはあって、でも普通の子どものようにすぐに友達になれないことを、自分なりに悩んでいるのだ。例え一人でいたとしても、娘なりに友達が欲しい気持ちが芽生えてきているのだなぁと、しみじみと思う。

「あとさ、友達があっちゃんの前にいて前にいけないから、ぶつかっちゃったりすると、いつも『あっちゃんが叩いた』って先生にいいつけられて、『謝りなさい』っていわれる…」。うーん、微妙な話だなぁ。娘の主観はさておき、おそらく傍目には、娘が一方的に叩いたように見えているんだろう。おそらく私が見ていてたとしても、そう判断する感じなんだろうな。

「そういうときどうするの?」。「何もいえない…」。「そうかぁ。でも説明しないと、わかんないよね。そういうときはさ、まず、『ごめんね』っていって、それから『大丈夫?』って聞いて、最後に『でもわざとじゃなかったんだよ』っていってみるのはどうだろう?」。それからは娘の手が当たったりするたびに、「なんていうんだっけ?」。「ごめんね」。「それで?」。「大丈夫?(棒読み)」。「で?」。「わざとじゃないんだよー(さらに棒読み)」。大根役者とはこのことか、というくらいの棒読みの練習。多分、実践には遠い。

よく発達障害の本に、「一人でいても平気」と書いてあるが、娘は一人でいたとしても、それでも友達の近くにはいるのが好きなんだなと感じる。子どもが無秩序に、「わーわー」と騒いでいる子どもの声はとても苦手なんだけど(そういうときは隅っこに行って、一人で気持ちを落ち着けている)、でもやっぱりみんなと一緒にはいたいのだ。なんだかジレンマ。

こういったソーシャル・スキル・トレーニングを本でやるのには限界がある。現実の人間関係は、決して教科書通りにはいかないからだ。やりすぎると、「マニュアル通りにしたのに、うまくいかない現実のほうが(お友達のほうが)、間違っている!」といいだしかねない気がして、それもまた難しいところである。本当はその場その場で介入して教えるのがよいのだけれど、幼稚園の先生じゃないので、それは無理である。実際多くの子どもをみている幼稚園の先生にそれを頼むこともできないし。結局今のところは、こうやって本を読みながらお話しすることくらいしかないのか。小学校に行き出したら、ソーシャル・スキル・トレーニングの教室もあるし、そのときに考えようと思う。

 しかし娘は小さいなりに、自分が皆と「違う」と感じているのは、確かなようである。『写真で教えるソーシャル・スキル・アルバム』にははっきりと、「自閉症のある子どもに教えるコミュニケーション、遊び」と副題が書いてある。今はまだ漢字は読めないからよいけれど、そのうち「自閉症」という文字が読めるようになったら、この本をみてどう思うのか。先行きを考えて、「まぁ今考えても仕方がない。わかるときにはわかるだろう。そのときに考えるさ」と思うことにした。

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シリーズ:発達障害かもしれない子どもと育つということ。は毎月15日にアップ予定です。
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タグ:子育て・教育 / 発達障害 / 秋月ななみ