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発達障害者の理想の仕事はどこにあるの? 秋月ななみ

2013.02.18 Mon

                               発達障害かもしれない子どもと育つということ。4

自閉症児の就職支援をしている先生に、「障害を抱えてそのまま生きていけるのは、研究者しかありません」と断言された。やはりなぁ。研究者仲間を見回しても、発達障害者は本当に多い(と思う)。具体的なエピソードを披露できないのが残念だが、それはもう教科書から抜け出してきたんじゃないかと思える典型的な人から、グレーな人まで。発達障害の当事者の学生に「あの先生は自分の仲間ですよ」と指摘されて、「そうなのかもなぁ」と思うこともある(発達障害の診断は医学的には医師のような専門家が行うべきだろうが、実際に医師でも食い違うことが現状である。その一方で、発達障害者に慣れ親しんでいる人は、「素人」でもピンと感じるものがある。もちろん安易なレッテル貼りを避けるべきなのは当然であるが)。

以前、私のエッセイを読んで、「自分の周囲に研究者になった発達障害児はひとりもいない。調査でもいない」という丁寧なお手紙を戴いた。発達障害をもっていたからといってそのまま研究者になれるわけではない。「健常者」(鍵括弧つきだが)でも、大学に職を得るのは至難の業だ。

しかし、極論と思われるかもしれないが、発達の偏りがないとおそらく一流の研究者にはなれない。自閉症スペクトラム指数のテストで、「パーティなどよりも、図書館に行く方が好きだ」という項目があるが、皆がパーティに行ってしまったら学問は進展しない。学者になる人は、確実に社交よりも図書館を選ぶはずだ。少なくとも私は、パーティよりも図書館が好きだ。

興味の偏りに驚異の集中力。これらは学問の第一条件である。そして、誰が何といっても自分の意見を貫き通す意志の力。常識にとらわれない大胆な発想力。これらの資質がないと、一流の研究者にはなれない。そしてこれらは、発達障害と親和的である。

また記憶力に関して、高学歴者(難解な入試を突破した人)には「フォトグラフィック・メモリー」をもっている人が多いように思う。以前ある東大卒のタレントが、受験勉強のときには、教科書を写真のように焼き付けて覚えると発言していたが、これがまさにフォトグラフィック・メモリーだろう。私の知人の研究者も、「何かを思い出すときは、頭のなかの映像を巻き戻せばいいだけじゃない? でも普通の人はあまりできないみたいね」と発言していて驚いた。彼女を発達障害者だと思ったことはないが、研究者としての高い能力はこのそのような記憶力とに大きく依っているとは思う。その分、文字に依拠するのは苦手なようだ。

私は逆に、映像的なセンスがまったくない。文字だと覚えがよく、そうでない場合はすぐに忘れる。でもこれは正反対なようでいて、認知や記憶の偏りという意味では通底しているともいえる。以前、指導教授に「あなたは二次元の文字だとよく覚えるけれど、聞いた場合はすぐに忘れるでしょう?」といわれて、「どうしてわかるんですか!?」と驚いたことがある。先生は、「僕も同じだからですよ」と苦笑された。「こういう能力は、研究者としての優秀さに結びつきますが、日常生活をおくるにはむしろ…難しいですよね」と先生はいわれた。あれは、あなたもわたしも発達に偏りがありますよ、という指摘だったのではないかとときおり思う。このような「偏り」が「才能」となるのか「障害」となるのか、それは状況の偶然に依存しており、微妙なところがあるのではないかと思っている。もちろん、その先生のことを発達障害というカテゴリーの人だとは思わないけれども。

さて。発達障害者が障害者のまま生きていけるのは、研究者だけといわれて、暗澹たる気持ちになる。一昔前の研究者は、確かにそうだったかもしれない。が今はおそらく、それ以上のことが求められているはずだ。

大学は、社会的な意義や貢献を求められるようになってきている。研究だけをやっていればよいという訳ではなく、今の大学の大部分は教育のサービス業である。マルチタスクのサービス業…。おそらく発達障害者には向いてはいない仕事である。さらに行政負担も求められる。

また大学のポストは減少してきていて、競争は激化してきている。実力本位の世界であって欲しいが、それでもポストは、社交やネットワーク作りなしには取得できないだろう。そしてアカハラ・セクハラ。権力関係や人間関係の機微に通じていないと、狭い世界だけに、人間関係がこじれてしまうことだってある。

つまり、のびのびと過ごせるはずの数少ない職業だった研究者もまた、それほどの解決にはならなくなってきているのをひしひしと感じる。実直なモノづくりの時代が終わり、高度な資本主義の世界が進展してきたときに、発達障害者はいっそう生きづらい世のなかになってきているのではないか。それは「定型」発達者にとっても同じであるけれども。

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シリーズ:発達障害かもしれない子どもと育つということ。は毎月15日にアップ予定です。
このシリーズをまとめてよむためには、こちらからどうぞ。

タグ:子育て・教育 / 発達障害 / 秋月ななみ

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