2009.09.18 Fri
●旅芸人の始まりースライドとニューヨーク
富山さんの二番目の転機は、1976年に訪れたアメリカのニューヨーク、シカゴ、バークレイでの体験だという。この時の経験や、ニューヨークに携えていったスライド作品は、富山さんが現在も大切にしている画家としてのアティテュード、「旅芸人」を形作った。
[i]T:
私はその頃まで自由美術家協会の会員で、毎年展覧会に出品していました。でも他の画家たちは私の鉱山、炭鉱のアートには興味がなく、私はいつも異端ですみっこにいる。それで美術館にも失望していたんですけれど、韓国に行ってそのあと韓国のことを扱うようになったらますます画家仲間からはずれていく。それで銀座に出て行ってギャラリーでイベントを行うのですけれど、そこでも「画廊に色がつく」、正面衝突してしまう。それでいやになったところで、母が亡くなって片付けをしながら、アメリカに娘がいたので、気分転換で行こうと思ったんです。そうしたらみんなが「絵を持っていけ」というので、スライドを持って行きました。
この頃富山さんが手がけていたのは、韓国の軍事政府によって1970年に逮捕された詩人金芝河(註9)の詩によせたリソグラフだった[/i]【図2,4】[i]。金芝河の長編詩『五賊』は、当時の朴正煕大統領の軍事政権下の韓国の腐敗を強烈に揶揄したもので、「パンソリ」の手法を使ったこともあって民衆の圧倒的な支持を集めた。軍事政権は知識人やキリスト者も逮捕していく。牧師たちが批判運動を世界中に伝播し、日本でも日本キリスト教団やペンクラブを中心に詩人に対する救援活動もはじまる。富山さんが最初に韓国に行ったのはこのときのことだ。富山さんは銀座の画廊で個展を開きその運動に参加するが、画廊と衝突し、またテレビが富山さんの絵を背景にした金芝河の番組を企画するも突然中止になってしまう。富山さんはその番組をスライドにしたものを持ってアメリカを訪れるが、そこで彼女を待ち受けていたのは、アーティスト富山妙子を迎える予想外の歓待だった。
T:
私の展覧会はまず、アップタウンのチャーチ・センターで行われました。チャーチ・センターの姉妹校のユニオン・チャーチで学ぶ韓国人の学生や、在米の韓国人詩人の高園氏が協力しくださいました。日本語の堪能な高遠氏は、「次はシカゴ行ってください。西海岸は、バークレイはどうですか」とスケジュールを立ててくださって、結局ニューヨーク、シカゴ、バークレイと学生運動の三角形を辿るような大きな旅になってしまった。日本との温度差は驚くべきものでした。どの地域の人も、カンパを募ってくれたり、展覧会を行うための署名活動をしてくれたり。その前にはメキシコにも行ってますが、メキシコ大学のアーティストに誘われて大学でスライドを上映したら、そこでも学生たちがカンパをしてくれました。また、ニューヨークで金芝河の詩を朗読してくれた人の一人は国際ペンクラブ(PEN)のアメリカンセンターの会長、ミュリエル・ルーカイザー(註10)さん[/i]【図3】[i]でしたが、ここまで大きな歓待が受けられるとは思ってもみなかった。[/i]
このころの米国は1960年代に黒人や「マイノリティ・グループ」たちによる公民権運動が成果を上げ、女性運動がどんどん拡大していた。そのときのことを語る富山さんは、今みてきたかのようにうきうきした口調になった。
[i]N:
スライドという形態もまた、各地を巡る旅に適していたわけですね。
T:
このとき携えていったスライドは、日本で中止になったテレビ番組が有志の手によってスライド化、英訳されたものです。これを持って行ったことが転機を生みましたね。日本の画廊や画壇の世界が嫌になっていたときに、こうやってスライド作って国外で見せてゆけばいいんだと思いました。結果的にギャラリーや美術館の「壁」から飛び出したことになります。そうしたら、あまりにも意外な出迎えがあった。スライドはメディアとして知ることのきっかけをつくるガイドのような役割も果たしました。内容も日本人には「わかりにくい」と言われるけれども、各地のキリスト教会にとって金芝河はチリ詩人、パブロ・ネルーダとも重なる、軍事政権に捕らえられた殉教者のような存在として理解されている。それゆえ、アメリカではラテン系の人にもアジア系の人にも訴える力がありました。アメリカで金芝河に関するアートが受け入れられるなんで思いもよらなかった。日本とは全く異なる状況でした。それでスライドを本格的に作ることにしました。
N:
アメリカではシカゴ、バークレイにも行かれていますね。その頃の西海岸の勢いは大変なものだったと思います。私自身昨年の夏まで一年間バークレイにいましたが、ちょうど大統領選挙のキャンペーンの最中で、学生や若い人々が懸命に政治を変えようとストリートで活動をしていました。デモを行えば数千人からの人が集まり、政治的なアートの話をしても白い目で見られることもない(笑)。
T:
私はニューヨークに行ったとき日本とは井の中の蛙だと思いました。アートの世界にしても、例えばホイットニー美術館の前で画家たちがピケ張っている。その人たちのチラシをみたら、「この美術館はロックフェラー三世によって建てられて偏見に満ちている。まずここには黒人のキュレーターがいない云々」と書いてある。日本で同じような発想があるとは思えなかった。そのときのニューヨークの非常に精神的な高揚は、「生まれ変わった」と思うほどのものでした。1970年代のアメリカ。学生運動があり、フェミニズムがあり、”Balck is beautiful”の黒人解放運動やそれを支援する「解放の神学」があり。そうした運動の洗礼を受けて帰国し、私は自由美術教会を辞めてどこにも属さず、火種工房(富山さんらの工房の名)を開き、土本典昭さんに作ってもらったスライド持って上映してまわることを始めた。これが「旅芸人」のはじまりです。[/i]
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【図2,4】《良心の捕虜》 1971年 リトグラフ (『深夜・金芝河・富山妙子詩画集』土曜美術社、1975年、及びスライド作品『しばられた手の祈り』、1976年にも入っている)
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【図3】ニューヨークでの詩の朗読会(1976年)。金芝河の詩を朗読する在米韓国人詩人高遠氏と、ミュリエル・ルーカイザー氏。
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【図4】カナダのテレビ局CBCによる韓国民主化運動支援番組のポスター。図は富山さん。ニューヨークに行ったときに現地の仲間にこのポスターを見せられるが、彼女があずかり知らぬところでこの作品イメージが使われていたという。いつの間にか富山さんの作品が世界中に広まっていた。
●『蛭子と傀儡子窶迫キ芸人の物語』(2009年)窶舶Y流の文化、母の文化
最新作の『蛭子と傀儡子窶迫キ芸人の物語』(2009年)はその「旅芸人」の話だ。富山さんは、韓国やアメリカ以外にも多くの地を旅しており、この日もそれぞれの地、イランやアフガニスタンに行ったときに、絵がどのように地元の人々との交流のきかっけとなったかを話してくれた【図5】。富山さんが街角で絵を描いているとどこでも人垣ができ、笑いが生まれる。会話をしたい時は絵を描く。絵画は富山さんにとってコミュニケーションの術になるものである。
それゆえ富山さんが描く旅芸人の物語は、民衆の文化のモチーフや言語が登場する。そのなかには、韓国に行ったときに出会った巫俗文化を含む民衆の芸能にかかわるものも多い。
[i]T:
韓国が独立後の1960年代に入って、日帝時代には野卑なものとして疎外されていた、タルチュム(仮面舞踏、劇)やマダン劇などの民衆の文化を復興しようという運動が全土の大学で起こります。金芝河の詩がパンソリを用いたのもその流れの一つで、俗語で権力を批判した。マダン劇の「マダン」とは「広場」という意味でこの仮面劇も劇場でやるのではなくて、旅芸人が広場で演じるものです。[/i]
『蛭子と傀儡子』のシリーズは、音楽家の高橋悠治さんのとコラボレーションで、映像が音楽とともに展開する。この作品のテーマとなっているのは、「傀儡子(くぐつ)」という人形と「蛭子(ひるこ)」という『古事記』にとも登場する蛭子(えびす)神のルーツである。傀儡子(くぐつ)はクルド・ソグド系の言語で人形という意味で、人形芝居などの芸能で生計をたてた「旅芸人」のことを指すが、読んで字のごとく「傀儡(かいらい)国家」の「傀儡」とも関連する。蛭子もまた海に流される漂流神である。富山さんが調べたところによると、蛭子神は富山さんの母が生まれた淡路島とゆかりが深く、またえびす神は人形芝居と関連があるという。
[i]N:
このシリーズは人形芝居がテーマになっていますが、これ淡路島ご出身のお母様や、ご著書にあったように富山さんが幼少の頃ご両親が人形浄瑠璃を上演されていたことの記憶と関係はあるのでしょうか。富山さんはあまりお母様のお話をされないようですが。
T:
韓国の「パンソリ」の文化を知って思い出したのが、日本での浄瑠璃です。「浄瑠璃」というのも封建社会下の下層武家の人々が哀しみをうたう習慣が民衆芸能になっていったものです。母は私より20年上の世代ですね。母の文化には近代が入り込んでいません。例えば、母にとって詩は本ではなく、百人一首をはじめ詩は全部口ずさんで暗記するものであり、口で語って舞台をやり、西洋の音階を知らないから歌わない。そうではなく「語る」。朗読師の口承文化です。また、その頃は女は絵なんか描いちゃいけないから、刺繍をします。この作品[/i]【図6】[i]にある刺繍、「富山」と印があります(画面中央の刺繍)。これは母の女学生時代の卒業制作で「淡路島、かようちどりの啼く声に」とあります。母の刺繍がここに張り込んであります。
母の妹は母の5,6歳年下なんですが、するともう、持っているのはバイオリンで、日曜学校に行っている。でも母はもっと純粋に江戸時代の文化の中に育っていた。表現の手段が全く違うんです。娯楽っていうのは人形浄瑠璃ぐらい。それを涙流しながら朝から晩まで聞く、そういう世界です。
N: そういうところで個人的にも「近代以前」の文化、共同体文化との接点があるわけですね。浄瑠璃の記憶が富山さんの旅芸人的なアートに結びついていったんでしょうか。
T:
それは後からね。私はそれ(人形浄瑠璃的芸能)を一回馬鹿にしたからね(笑)。そのとき私は父の文化にいました。父はもう本当に西洋的なモダンでした。その一方で母一生着物だし、書くものは筆だしで、自分の生まれた文化を貫くわけです。
N:
女性の地位が変化していくなかで、多くの女の人が自分の母親を部分的にでも否定していく側面はあるように思いますが。
T:
私は母に本を読めって言いましたね。
N:
私も言ったことあります(笑)。それでもどちらがナショナリストかっていうとお父様の方になるわけですよね。
T:
そう、母は共同体に生きた。だから逆に今は母の方が新しい。一つ残念に思っているのは、手仕事のような母の「身についた」文化というものをもっと知ることができたのではないかと。その頃私にとって、読んだ量が知識の量だったんですね。しかし、母は口承文化のなかで生きてきているので本は読まない。後からフェミニズムを知ってその視点から振り返ると、近代化を容易に受け入れない母の態度というものに学ぶことがあったと思うのです。[/i]
富山さんの作品は色々な見方がある。ある人にとっては静謐なイメージとして心を穏やかにし、ある人には不穏な印象を与え、またある人には戦争の経験を語るには象徴化され過ぎているように見えることもある。しかしもう一つ私が富山さんの絵で好きなところはユーモアを感じるところだ。さまざまな存在がひしめく絵の世界には、こういってよければ絵解きのような楽しさがある。
[i]N:
富山さんは「日本の文化は権力を笑い飛ばすものが少ない」とおっしゃっていますね。たとえばこの作品《海底劇場》【図7】など、私がユーモラスだと思ってしまうかもしれないんですけれど、そのために厭世的になることはありません。これも意識的に取り組んでいらっしゃるのでしょうか。
T:
多くの国でそうであるように、権力に寄り添ったアートと民衆のアートがありますね。韓国でも両班の文化と庶民の文化は違って、両班文化というのは権力の従順だけれども、庶民の仮面劇はお面を付けてそれを笑いとばす。
私はやっぱり半分漫画的というか(笑)。皆一人一人(役が)あるんですよ。これは満州国のアナクロ一家でね。これ[/i]【図7. 部分1】[i]は仮面をかぶってもう滅んでしまった皇帝をやっている溥儀ですね。滅んだ権力であると。これはブルジョワジー([/i]【7. 部分2】右下[i])で、これは天皇で(同中央)。ちょっと豚にしちゃって悪いけれど(笑)。他にも片割れの菊の紋章、将軍、官僚と、魑魅魍魎の皇軍の舞(画面右)。お金のためなら何でもやるアーティスト(画面下部)もいます。こういうのを描いていると一番面白いね。これ誰にしてやろうとかと考えたり(笑)。
これ(《旅芸人の人形座》[/i]【図8】[i])も、青ざめた毛沢東(画面右下)。これは秋風(画面左上)など色々な歴史上の人物が入れ込んであります。みな昔の三国志の英雄たちですよね。これ(中央の大きな顔)は台湾行ったときに偶然通りがかったときに見たお面ですけれども。色々な要素が入っています。
N:
読み解く楽しみがありますね。笑われているのは誰なのかと(笑)
T:
そう、絵解きね。今度はこれら(のコラージュ作品)を油絵に直そうと思ってます。これまでとは逆にコラージュの作品を油絵に持ち込むんですよ。[/i]
「西洋美術」であるタブロー画をあえて避けてきた富山さんだが、この長い遍歴を得て戻る油絵にはまた別の歴史的意味が生じることだろう。
『蛭子と傀儡子』で富山さんは世界が陸と海の道で結ばれていた時代、中央アジアから中国、日本へと流れ着く人形劇一座とともに、大航海時代、植民地時代、太平洋戦争を見届け、今でも深く緑の海の底に漂う存在に思いを馳せる。彼女は「時代とは画家にとって波のようなもの」というが、波に乗るだけなのではなく、海の底に自ら沈んでこれまで目が向けられなかった存在へと近づいていくこともあるということなのだろうか。
富山妙子さんの作品は、彼女が旅をしながら出会ってきたものを贅沢にわたしたちに見せてくれる。展覧会は9月13日まで開催されているので、会期中に多くの方々にその作品に出会ってきてもらいたいと思います。富山さんとのお話は今後も続けていきます。続報もお待ちください。
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【図5】 《アフガニスタンのスケッチ》 1967年
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【図6】 《蛭子と傀儡子由来記5》 2008年 コラージュ
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【図7】《海底劇場 帝国の華麗な祝宴》 2008年 油彩
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【図7. 部分1】《海底劇場 帝国の華麗な祝宴》 2008年 油彩
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【図7. 部分2】《海底劇場 帝国の華麗な祝宴》 2008年 油彩
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【図8】《旅芸人の人形座》 208年 油彩
(註1)中井正一(なかいしょういち、1900-1952)美学者、社会運動家。
(註2)守田正義(もりたまさよし、1904-1992)音楽家、作曲家。全日本無産者芸術連盟音楽部の初代部長を務める。
(註3)フランク・キャプラによる監督の映画(1939年)。
(註4)宮本三郎(みやもとさぶろう、1905-1974)洋画家。
(註5)藤田嗣治(ふじたつぐはる、1886-1968) 画家、彫刻家。エコール・ド・パリの画家として活躍し、後にフランス国籍を取得してレオナール・フジタとなる。
(註6)小川原脩(おがわらしゅう、1911-2002)洋画家、前衛画家。太平洋戦争中戦争画を手がけたが、後にそのことを深く反省していたとみられている。
(註7)池明観(ジ・ミョンクワン、1924-)韓国の宗教政治学者。1970年代に来日し、東京から韓国の民主化運動を支援した。1993年帰国。
(註8)松井やより(まついやより、1934-2002)。みなさまよくご存じの日本の1970年代のフェミニズムを牽引したジャーナリスト。1977年に「アジア女たちの会」を、1995年に「アジア女性資料センター」をたちあげる。2000年女性国際戦犯法廷の国際実行委員会もつとめる。
(註9)金芝河(キムジハ,1941- )韓国の詩人、思想家。1970年に大統領体制を批判する詩『五賊』を発表し逮捕されるが、国際的な釈放運動が高まり、釈放される。作品に『苦行–1974』(1974)、『蜚語』(1980)など。
(註10)Muriel Rukeyser (1913-1980)アメリカの詩人、政治運動家。フェミニズムの詩も多く発表し、1960年代から70年代にかけて国際ペンクラブ、アメリカンセンターの会長をつとめた。その時期には、フェミニストの立場からベトナム反戦運動もリードしている。
[u]富山妙子[/u]
1921年神戸生まれ。少女期を大連、ハルピンで過ごす。戦争責任、韓国との係わりをテーマに、美術という領域に留まらない広い視野で作品を発表し、活動を続けている。1976年にスライドの自主制作のために「火種工房」を主宰。作品の多くはスライドやDVDのシリーズに映像化され世界各地で上映されてきた。
火種工房
http://www.ne.jp/asahi/tomiyama/hidane-kobo/
[u]「アジアを抱いて窶舶x山妙子の全仕事展1950縲鰀2009」[/u]
大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ
会期:2009年7月26日縲鰀9月13日
旧清津峡小学校(新潟県十日町市角間未1528竏窒Q)
http://www.echigo-tsumari.jp/2009/artworks/index.php?id=489
[u]富山妙子さんをもっと知りたい方へ[/u]
著作
富山妙子『アジアを抱く : 画家人生記憶と夢』岩波書店、2009年
『20世紀へのレクイエム : 絵と音楽が出会って時代の声をつげる : 第3回千野香織記念『新視点』講演』中世日本研究所編、2006年
富山妙子、浜田和子、荻原弘子『美術史を解き放つ』時事通信社、1994年
富山妙子『戦争責任を訴えるひとり旅 : ロンドン・ベルリン・ニューヨーク』岩波書店、1989年
富山妙子『はじけ!鳳仙花 : 美と生への問い』筑摩書房、1983年
富山妙子『解放の美学 : 二〇世紀の画家は何を目ざしたか』未来社、1979年
富山妙子『わたしの解放 : 辺境と底辺の旅』筑摩書房、1972年
作品集
富山妙子[画]、高橋悠治[音楽]、 太田昌国、小林宏道、レベッカ・ジェニスン、花崎皋平[文]、『蛭子と傀儡子 旅芸人の物語』(DVD付き)、ジェニスン、額田康子[訳]、現代企画室、2009年
富山妙子[画]、富山妙子、萩原弘子[文]『Silenced by history : 富山妙子時代を刻む』「アジアへの視座と表現」実行委員会編、現代企画室、1995年
金芝河[詩]、富山妙子[画]『深夜 : 金芝河+富山妙子詩画集』鄭敬謨訳、土曜美術社、1976年
カテゴリー:アーティストピックアップ
慰安婦
貧困・福祉
DV・性暴力・ハラスメント
非婚・結婚・離婚
セクシュアリティ
くらし・生活
身体・健康
リプロ・ヘルス
脱原発
女性政策
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子育て・教育
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