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発達障害の診断名って不思議 秋月ななみ
2013.05.15 Wed
発達障害かもしれない子どもと育つということ 7
アメリカの精神医学の基準DSMが改定され、自閉症、アスペルガー障害、非定型広汎性発達障害、小児崩壊性障害などが、「自閉症スペクトラム」に統一された。知能の高低、言語の遅れなどに関係なく、いわゆる自閉症的な症状(社会的コミュニケーションの障害や限定した興味と反復行動)があれば、自閉症に関連した問題であると診断する方向がはっきりと打ち出された。今までの診断基準はわかりにくかったし曖昧でもあったので、とりあえずは、そうなったのだなと受け止めている。
しかし、自閉症スペクトラムはさておき、やはりいつも気になるのは、「発達障害スペクトラム」(佐々木正美)のほうである。自閉症スペクトラムと診断される子どもで、例えばADHDを伴わない子どもは、どれくらいいるのだろうかなぁとか。もっというとADHDを「伴う」という言い方が気になる。うちの娘の衝動性の抑えられなさと社会的な想像力のなさなどは、別々の症状として考えることはできるものの、根っこは同じであるとしか思えないからである。もちろん、衝動性がない「純粋な」自閉症スペクトラムの子どもや、自閉症スペクトラムの症状を伴わない「純粋な」ADHDの子どもがいるのだろうけれど、それはむしろ個人的には、「たまたまないのね」と感じてしまう。自閉症関連の(より正確にいえば発達障害の)マトリックスがあって(学習障害LDを含む)、どれが出てくるかは、その子ども次第、というようなイメージ。そもそもいわゆる「片付けられない女」と、衝動を抑えられない子どもが、同じようなカテゴリーというのも、素人目には奇妙な気がする。
うちの子どもに関していえば、私にとって大変な問題は、どちらかというと今のところは衝動性の抑えられなさである。他のお母さんに、「実はうちの子(の診断名)は、ADHDのほうなのよ」といわれることなどあるが、聞いてもあまり厳密には意識して区別をしていない。というのも、同じ子どもをみても、医師によって診断名が違うことがあるというのは、ほぼ常識に属する。実際、日本では自閉症スペクトラムに該当する診断名がつけられた「患者」のうち少なからぬ人数が、アメリカではADHDと診断されるようだ。これは保険や医療の制度とも密接に結びついてのことだとは思う(アメリカでは保険会社の権限が強い)。診断名はとりあえず、どこに弱点があるかを発見したり、行政などの制度のなかで権利を勝ち取っていくときに必要だったり、そういうときに利点がある「とりあえずのもの」ではないかと思っている。
はてさて、新学期が始まって気が重い。幼稚園には、少なからぬ数の発達障害の子どもたちがいる。クラスの保護者会で「診断されているので」と説明してくれるお母さんもいれば、こっそりと「うちの子は発達障害だから」と個人的に教えてくれるお母さんもいる。症状が曖昧であった方が「カミングアウト」の問題が微妙になると思うが、こちらでは発達障害などと想像していなかった子どもさんに、診断名がついているのには驚く。親はよく見ているのだなぁと思う。
新学期の憂鬱は、娘の状態がみるみる悪化(私の目から見たら)していることだ。大声でわめき散らす、走り回るといった、いままでなかったことがてきめんに出てきていて、新学期のストレスなのかと思っていた。走り回りは潜在的にはあったが、コントロールできていたし、幼稚園では今まではなかった(と思う)。どちらかというとうちの子は「内気」、「引っ込み思案」だとずっと言われてきたのである。
以前、臨床心理士さんに「クラスに同じような子が二人いたら学級崩壊することもあるので、クラス分けに配慮をお願いしたほうがいいですよ」と言われたことがあり、「まさか」と思っていた。しかし、走り回る活発な子どもさん(小耳にははさんでいた)と同じクラスになり、参観日に娘の幼稚園での状態を目の当たりにして、ショックを受けた。とても気が合うようでなんでも真似をする(うちの娘が真似をさせているのかもしれないが)。相乗効果で収拾がつかない。娘に他のお友達がいなくなってしまっているのもショックだった。お母さんとお話ししたが、「うちの子は主体性を重んじている」「なんでも好きなように気持ちを尊重してやらせている」「大人になったら落ち着きのなさは直るらしい」と言う方で、あまり「矯正」しようとするタイプの人ではなさそうである。
これから先生に相談する予定である。先生も困っているだろう。どうなることやら。
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シリーズ「発達障害かもしれない子どもと育つということ。」は、毎月15日にアップ予定です。
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