2013.06.02 Sun
『そしてAKIKOは… ~あるダンサーの肖像~』
老いると人間は、植物の美しさに近づく。アキコ・カンダの最期を撮った本作を観て、思った。
屋久杉の古木でつくった椅子に寄り添い、痩せた腕を差し伸べる姿は、空に蔓の伸ばす藤の花を、想起させる。アキコは「手は人間の中心から出ている」「自分の言葉が中心から出ていくのと同じように」と言う。全身が一体となった動きに、無駄はない。植物と同じだ。植物も、自分の「いのち」に釣り合うだけ、枝を伸ばし、葉をつける。
アキコ・カンダは、日本におけるモダン・ダンス界の第一人者である。7歳の頃からダンスを始め、20歳で渡米。巨匠マーサ・グラハム舞踏学校に入学した。同舞踏団で活躍後、帰国し、自分の肉体の言葉を探し続けた。
羽田澄子監督は、40代のアキコを撮ったドキュメンタリー映画『AKIKOーあるダンサーの肖像』(1985年)を作っている。たばこを燻らせる、髪の長いアキコは、今回の作品では、75歳のアキコになっている。白い短髪の、少女のようにしゃべるアキコだ。
アキコは2010年10月に、肺癌が見つかり、闘病生活に入った。頭髪が抜け落ち、細かった体が、ますます痩せた。それでも、彼女はダンスに真摯に向き合い続ける。病室でトレーニングをする彼女の姿に、観客は痛ましさを感じるかもしれない。しかし、彼女にとって、ダンスは生きることそのものだ。だから彼女は、踊ることができなくなるその時まで、踊る。作品には、亡くなる12日前の公演も収められている。冒頭に紹介したダンスは、その中の一つ、アキコの最新作「生命のこだま」だ。
最近、公開されたドキュメンタリー映画『ビル・カニンガム&ニューヨーク』(リチャード・プレス監督)にも、アキコのような人が登場する。しかし、こちらは84歳のおじいさんだ。彼は、約50年に渡り、ファッション・スナップを撮り続けてきた。雨の日も風の日も、青い作業服を羽織り、自転車を漕いで、街中を駆け回る。自分のパーティーでも、主役の役割におさまることなく、いつもと同じく被写体を求めて歩きまわり、写真を撮る。心臓の薬を飲んでいるけれど、それは写真を撮るのに「心臓が止まると困るから」だ。芸術家にとっては、作品づくりは、生きることそのものなのだ。
歳を重ね、病も、死にゆく存在であることも受け入れながら、アキコは踊り続ける。ミハイル・フォーキンが「瀕死の白鳥」で、白鳥の美しさを印象的に表現し、消えゆく時、いのちの輝きが強く感じられるように、羽田澄子監督は、映画でアキコというダンサーの美しさと輝きを見せる。病や死に損なわれることなく、すべて踊りの一部となり、新しい作品として編まれる。生きるとは、そういうことなのか!と感嘆せずにはいられない、そんな映画だ。
(日本女子大学文学部4年 是恒香琳)
・ドキュメンタリー映画
『そしてAKIKOは…~あるダンサーの肖像~』
(羽田澄子監督/2012年/カラー/120分)
・映画公式サイトはこちら
・岩波ホールのサイトはこちら
スチル:(C) 自由工房
カテゴリー:新作映画評・エッセイ
タグ:くらし・生活 / 高齢社会 / 映画 / ドキュメンタリー / 女とアート / 老後 / 是恒香琳 / 羽田澄子 / 女と映画 / 邦画