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母親ばかりが責められる 秋月ななみ

2013.08.15 Thu

                        発達障害かもしれない子どもと育つということ。10

 発達障害の子どもをもつ親の本はいくつもあるが、最近は父親の手によるものもわずかながら増えてきた。もちろん子どもが発達障害であると父親も子どもの将来を悩むのだが、しかしその筆致はどことなく「他人事」という感じがしなくもない。男性は分析的、客観的だからというつもりはさらさらない。父親は子育てに関して、母親よりも責められる機会が圧倒的に少ないのだろうと思う。それだけではなく、子育てにかかわるだけでも「イクメン」だのなんだのと褒められさえするのだから、ちょっと僻みたくもなる。

 私の知人の男性は、おそらく子どもさんが発達障害である。ご自身も、発達障害だという自覚をもっているようである。私たちの間ではっきりと「発達障害」という言葉が出たことはないが、「生まれつき脳が違いますからねぇ」といった表現と、様々な「あるある」エピソードの羅列からお互いの子どもが「育てにくい子ども」(これは間接的に発達障害傾向をもつ子どものことを指す言葉となっている)であることは、暗黙の了解となっている。

 彼の子どもは、手を離すとパッといなくなってしまうという。「昨日も車から降ろしたら、すぐに道路に飛び出して轢かれそうになったんですよ。もうあれはどうしようもないですね。親は子どもをよく見ていろと言われるし、私も気をつけてはいますけど、手の打ちようがないですよ」。あっけらかんと話す彼を見て、少々羨ましいなと思った。

 うちの子も、すぐにいなくなってしまう。最近はそれでも落ち着いては来たが、買い物に行って、商品に目を落とした2秒、3秒のうちに、本当にパッと消えてしまう。「手の打ちようがない」というのが本音ではあるが、子どもの名前を呼びながら探している時の周囲の目の冷たさには、ときどき耐えかねるものがある。

それだけではなくあちらこちらを探していると、最後の疲れに鞭打って買い物に出かけた時など、身体的にも限界だ。娘のことで本当に悩んでいた時には本音をいえば、「このままどこかに(子どもが)行ってしまったら、楽になるのかなぁ」と心の奥底で考えたこともある。酷い親である。「ああ、でもそうしたら、またなぜ子どもをちゃんと見ておかなかったのかと、また私が責められるんだろうなぁ。いなくなられても問題は解決しないや」と我に返り、子どもを見つけて周囲の視線に耐える。実際に注意を受けたりもする。食料品だったからよいものの、子どもが消えたのが洋服や化粧品でも見ている瞬間だったりすると、非難は倍増である。

「もう少し落ち着けるようになったほうがいいんじゃないか」と、親切に教えてくれる人もいる。そんなことは、親である私がじゅうじゅうよくわかっている。どうやってそれが可能なのかを教えて欲しい。子どもは親の背を見て育つのは事実である。しかしそれと同時に、もちろん生まれもった個性というものもあり、いかんともしがたいこともあるのだ。

ちなみに今まで子どもの躾に関して、ちょっと無神経と思われることを言われたことは2回ほどある。2人とも男性からであった。ひとりには、「自分の子どもは、この年の頃はこんなのじゃなかった。もっと落ち着いていた。もっと行儀が良かった」と始終言い続けられた。娘は自分に面と向かってけなし続ける相手の言葉を聞いていっそう反抗し、「つまんない。早く帰ろうよ」とはっきり言った。相手はさらに呆れ果てていたが、親が言いたくても言えないことを言ってくれて、内心、少々痛快だった。娘は相手の本質を見抜くのが驚くほど鋭い。否定的な相手にはとことん反抗し、受け入れてくれていると思う相手には従順である。

もう一人には、「教育というものは」と一席ぶたれた。「子どもに指示をしてはいけない。子どもに考えさせる力をつけさせなければいけない。なぜこれがよいのか、何をすべきなのか、すべてを問いかけて、自分自身で回答を見つけられるようにしなければならない」。

いや、本当に正論だと思う。相手が健常児であるならば(笑)。今何をすべきなのか、それがなぜなのかをわからない特性をもった子どもに、延々とそれを問い続けていても、子どもが混乱するだけである。それが障害の「本質」なのだから。

的確に今何をすべきなのかを手短に伝え、今後すべきことを順序立てて教える。間違ったルールを身につけないように、とにかくその場で教え込んでいく。とんでもない理由を憶測しないように、なぜそうしなければいけないのかを、すべて言語化して指示する。ときには「○○ができたら、ご褒美をあげる」と、イルカに芸を仕込むようなこともする(自閉症児にそういうトレーニング方法を是とする一派もあるのである)。

周囲から見たらもっとよい教育ほうがあるように見えるのかもしれない。しかし自閉傾向のある子どものあるべき対応は、健常児とは違うのである。育児本を読んでも、「発達障害のお子さんはまた違いますから別途対応してください」と書いてある。カウンセリングの本を読んでも、「発達障害のひとには内省させても混乱するだけ」と書いてある。まぁ他人は好きなことを言う。最終的に子どもの人生の責任を取らされるのは親、とくに母親なのだから、周囲の雑音は無視していくしかないのだろう。

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シリーズ「発達障害かもしれない子どもと育つということ。」は、毎月15日にアップ予定です。

シリーズをまとめて読むには、こちらからどうぞ

タグ:子育て・教育 / 発達障害 / 秋月ななみ

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