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先生への相談 秋月ななみ
2013.09.15 Sun
発達障害かもしれない子どもと育つということ。11
クラス替えでかなり活発な子どもさんと一緒になってから、問題行動が噴出した話は以前に書いた。少し事態が落ち着いたので、ここでもご報告を。
活発な子どもさんに、お母さん自身は日頃から「子どものありのままを受け入れてあげたほうがいい」と話されて何も叱らない方という組み合わせだったので、そのままで事態が変わることはないと判断した。見ていると、お母さんと子どもさんの関係が逆転している。子どもが問題行動を起こしても、お母さんがまったく叱らない。ちょっと叱るそぶりを見せると、子どもさんが「ぎゃー」っと大声で叫んで、お母さんに「馬鹿!」、「ママが間違っている」と反論する。そしてなんとお母さんが「ごめんね」と謝るという繰り返し。他の保護者から少し距離をとられていることで、さらに二人が孤立して友達のようになり、その関係が強化されるという循環に入っているように見えた。
娘が突如として親に喚き散らすようになったのは、これを真似していたのだなと納得した。なにしろそっくりなのだ。日頃、自分の気持ちをうまく表現できない娘は、「こうすればいい」と学習したのだろう。お友達とトラブルも起こしがちなその子と二人で遊ぶことで、あきらかにクラスから孤立し始めていた。別に孤立をしてもよいという考え方もあるとは思うが、とにかく今までどちらかというと「大人しい」といわれていた娘が、小さな社会的なルール違反をどんどん真似していくのに、焦りを感じた。
お母さんは、「大人になると落ち着くらしいですよ」とのんびり構えるタイプ。私が子どもを叱る剣幕に(多分)驚いて、「そんなに叱らなくても」とかなり引かれた。でも「命の危険があるときと、他人に迷惑をかけるときには、とにかくその場で叱るようにしているんです」と言うしかない。駐車場の入口に座り込んで車に轢かれそうになっているのに、娘は言わないとわからないのだ。
少々悩んだが、クラスの先生は話が通りそうな方だったので、ちょっと時間をとってもらった。相手のお子さんが悪いわけではなく、むしろその子と呼応する娘の特性の問題でもあるのだから、どういうべきか悩んだ。娘が行くクリニックは、「障害だとかいうことは、基本的に学校にも周囲に告げないほうがいい。偏見が深まるだけ。子どもを見てわからない先生には、それだけの力量しかないんです」という方針。療育は「とにかく障害を受け入れて、障害者として育てるほうが、就労に結びつく」という方針(どちらかというと、重い子どもが多いのだ)。そして臨床心理士さんは「この子の個性を伸ばしてあげたほうがいいけど、日本では難しいかも。集団行動をさせる場を避けたほうがいい。オールマイティであることを求められる学校などにはいれないように」という。どれも微妙に方針が違う。そして私の判断も微妙に違うのだ。
単に「あの子が嫌いだから遊ばせないで」というような発言だと思われると、モンスターペアレント扱いされかねないなと思った。先生には「私共は、だいぶ前から娘の発達をずっと気にかけていて、病院に連れて行ったり、テストを受けさせたりしてきているのですけど」と切り出すと、先生はギョッと驚いていた。「いや、娘さんを『そう』思ったことはありませんよ! 違うと思いますよ」と。ただそういう文脈でも気にかけてもらったほうが、いいかもしれない時期かもと思った。
「いまのところは順調に来ていたので、心配はしていないのです。ただカウンセラーさんに、活発なお子さんと同じクラスになると呼応して大変なことになるかもと、以前注意されたことがあり、ご迷惑をおかけしないか、ちょっと心配なのです」と。「先生もこれだけの人数をみていらして、いつも心配りしてくださって、本当に大変なお仕事だなと感謝することしきりです。なのでもし何か問題があったら、そのときは申し訳ないけれど知らせて下さい」と。
今は問題行動の幾つかがおさまったので、ホッとしている。先生に相談したからというのもあると思うがむしろ、「あの子のこういうところを(具体的に)真似するのだったら、もう遊ばせない」と子どもに言い聞かせたことが、大きい気がする。子どもはそのお友達が、大好きなのだ。他の子のように、気を遣わなくて済むからだろう。だんだん子どもの人間関係も、複雑になってきている。それにその子も叱られ慣れていないだけで、基本的には素直でいい子でもあるのだ。
しかしこういうことは、いくつまで、どこまでやったらいいのだろうか。大きくなったら難しくなるんだろうなぁとつくづく思った。
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シリーズ「発達障害かもしれない子どもと育つということ。」は、毎月15日にアップ予定です。
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