2013.09.21 Sat
ローズマリーの花言葉はremembrance記憶よ、だからこれは娘ジュリーのためなのと、ベニシアさんは、京都大原の古民家の台所で、琥珀色のローズマリー酒を小瓶に移しえながら穏やかに微笑む。磨き上げられた古い木の棚に彼女が庭で収穫したさまざまなハーブを使った飲み物の瓶が整然と並ぶ。そんなある日の光景―
またある時は、透き通った綺麗な赤色のしそジュースを二つ座敷の座卓の上にそっとおく。視線の先には、出産以来、統合失調症を患う娘ジュリーと、その息子の浄君がトランプに興じている姿。三人の容姿をのぞけば、そのままかつて日本の古い家でいつでも見られただろう、家族史のひとコマ―
「孫息子は天使のよう。小さい頃から母親の病気がよくなることを祈っている。彼はありのままの母親を受け入れているの」ベニシアさんの静かな語りが入る。「ママが幸せになりますように」七夕の短冊に書かれた浄君の文字。そんな語りから伝わってくる、病を抱えた娘とその息子を静かに見守ってきたベニシアさんの日々―
「人生って面白いね。いろんな人がこうなってほしいというのあるんですけど、でも全然違うことおきることあるじゃない?」
若い時はモデルをしていたという娘さんの出産後、発症したらしき心の病にさりげなく触れる。そして穏やかだが毅然とした微笑みでつけ加える。
「でも、受け入れるしかないのね」
この映画でもっとも私の心に響いた言葉だ。そして場面は夏の夜の庭に切り替わる。いくつも灯された明かりが、祈りのように、庭を照らしだす。
こんな風にこの映画では貴族出身の英国人ベニシア・スタンリー・スミスさんの格調高い英語のナレーションと、かすかに京都なまりの響く日本語の話術がまじりあいつつ、彼女の生きる姿勢と人生観が、四季折々の美しい自然の変化とともにスケッチ風につづられる。
2009年4月からNHKBSで4年間放送され好評を博したドキュメンタリー番組「猫のしっぽカエルの手 京都大原ベニシサさんの手づくり暮らし」の映画版だ。TV的演出が、かえって、親しみやすい形で彼女の人となりを伝える。
少女時代を過ごした英国貴族の館での孤独と違和感。母親との葛藤。故国を出てアジアを放浪し「もっと東へ行かなくては」とインドから日本にやって来た若き日々。結婚・離婚を経て、三人の子をもつシングルマザーとして京都に英会話学校を開いた頃の話。今の夫との再婚、4人目の子どもとなる次男の出産―その後、出会った思わぬ困難―
すべてを乗り越えた今、振り返って過去を語るナレーションに、彼女の叡智が感じられる。こうした叡智に支えられた語りをおそらく今の日本の女性たちの多くが、求めているのかもしれない。
険しい道でも心は平たんに―
日本のマスメディアにおける西洋女性受容史の文脈で、ベニシアさんの存在を考えてみるのも興味深い。今ではマスコミでの活動を引退したようだが、かつて、フランソワーズ・モレシャンは、フランスのファッショナブル性と、自由にものをいう「フランス女性」のイメージを長く日本で体現し、賞賛されてきた。ヒデとロザンナで清楚で可憐な様子でデビューしたイタリア女性ロザンナは、夫/パートナーのヒデ亡き後、残された子供たちを育てあげ、今では見事なイタリアの「マンマ」的存在となっている。彼女たちはそれぞれ母語特有のアクセント付の日本語(標準語)を話す。ベニシアさんの話す言葉は、ブリティッシュ・イングリッシュのアクセントというより、むしろ京都なまりが目立つ。そして彼女が愛するのは、日本人が失ったもの―伝統的生活様式とローカリティ(地域性)。それでいて、彼女が京都大原で創りあげようとしているものは、やはり英国風。庭に植えられた100種類ものハーブやオールド・ローズがイングリッシュ・ガーデンを思わせるように、英国人ならではの自然観がうかがえる。
かつて明治時代に日本を旅し『日本奥地紀行』を著した英国女性イザベラ・バードは、山形に「東洋のアルカディア」を見出した。
長く母親との葛藤を抱えてきたベニシアさんは、小さい頃夢見ていた、自然豊かなカントリー・コテージで家族と共に暮らす生活を、京都大原で実現した。スクリーンに映し出された光景は、彼女がようやくたどり着いたアルカディア(理想郷)のように思われる。彼女の存在がこのように日本で受け入れられている背景には、日本人がすでに<家>を失って久しいからかもしれない。ベニシアさんの生き方に、なぜ癒されるのか、何をそこに求め、見出そうとしているのか、見終わったあと、考えさせられる。
ラスト近く、英国在住の長男が帰ってくる場面がいい。何年ぶりの再会だろうとベニシアさんと息子が。互いに顔をみあわせ、母子ならではの息の合った笑い声をあげる。そして、座卓を囲み、家族が集う食卓の時間が続く――。帰ってきた長男のために皆で乾杯をする。
「いいね、こうして皆がいるの」ベニシアさんの言葉に病を抱えた娘の表情も和らぐ。ゆっくり静かに流れる家族の時間がそこにある。
人は皆、<家>に帰る旅の途上にある―という、最近読んだ誰かの言葉を、思い出した。
初出:『女性情報』8月号 (加筆修正を施しています)
9月14日、シネスイッチ銀座他にて全国順次ロードショー
©ベニシア四季の庭製作委員会2013
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カテゴリー:新作映画評・エッセイ