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発達障害とモラハラ、DV 秋月ななみ

2013.10.15 Tue

            発達障害かも知れない子供と育つということ。 12

 正直に言えば、とても疲れている。しかし幾ら疲れたと言っても、子育ては待ったなしだ。特にうちのようなシングルマザーの家庭では、「母親辞めてもいいですか?」とすらいうことができない。辞めたら誰が育てるのか。育てられる人はいないのである。

カウンセラーさんに、「あなたみたいに、『発達障害の否定的なモデル』が近くにあれば、育児が辛いでしょうねぇ」と言われた。その通りである。今から書くことは、発達障害の支援業界の人を怒らせることになるかもしれないが、本音を書く。

私には、発達障害の友人が沢山いる。皆、基本的に気持ちのいい人たちで、私は好きだ。ただしおそらく、そのうちの何割かは、「遠くにいるから」という距離があるからであって、身内にいたり、家族であったら疲れ果てるだろうと思う。実際、一緒に仕事をして、「いい加減にしてくれ」と思うことがなかったとは言わない。他人の気持ちがわからない、想像力が働かないという「障害」をもつ人と何かを成し遂げたり、一緒に過ごすのは大変だ。皆の人気者の(おそらく発達障害の傾向があるだろう)スティーヴ・ジョブズだって、一緒に働くのは大変だっただろうと思う。子どもや同僚に対する漏れ聞くエピソードだけでも、やっぱりクラクラする。

本音を言えば、発達障害を好きになれないことがある。より正確に言えば、一部の発達障害者、もしくは発達障害を持つ人のパーソナリティの一部に関して、理解をしてあげなければいけないと思う一方で、「一方的に我慢を要求されるこのような不平等な関係は、とてもではないけれど許容できない」と、否定的にしか捉えられない。「よく子どもの発達障害を疑いましたね」と他人に言われることが多いが、発達障害の遺伝性が強いことを考えれば、当然疑うべきなのである。夫は典型的な発達障害者なのだ。

離婚を決めた時、周囲の人に「そもそも何でそんな人と結婚したの?」と驚いたように言われた。答えは想像もつかなかったから、としか言いようがない。普通の結婚生活で思いつく困難の、想像力の限界を超えている。軽い知り合いのなかには「とてもそうは見えなかかったけどね」という人もいるが、夫は「そう見えない」ために外で演技をしてくたびれ果てて、家の中ではのびのびと、自分勝手に過ごしてきたのだ。

夫は幼少期には、診断されていない発達障害者だ。何も療育をしないとこうなるのかという典型のような人だ。本人も大変だろうと思うが、周囲はもっと大変だ。まずとても衝動的である。自分のやりたいことを抑えることができない。それは行動についてもそうだし、金銭的にもそうだ。自分の給料を全額自分で使って平気である。我慢ができない。最終的には財布からお金を抜いたり、(恐らく)親にたかったりしていた。「妻がお金をくれない」というお涙ちょうだい物語を作りあげて、親に訴えていたようだ。おかげで「鬼嫁」扱いされている。

家を買うにはローンを組まなくてはならないし、固定資産税がかかったりするし、ご飯の食材を買うにもお金が必要、という社会の仕組みが、どうもまったく理解できないらしい。子どもの教育費だって必要だ。「自分の給料=自分のもの」なのに、なぜ全額自分の好きなように使えないのか理解できないらしい。さらになぜか妻の稼ぎも自分のもののはずなのに、文句を言われる理由がわからないらしい。衝動的に恐ろしい買い物をしかけて(数百万円、数千万円単位の)、止めなければどうなっていたのかということは多々あった。長期的な見通しが立たないので、煽てられれば簡単に詐欺に引っ掛かること間違いなし。そういえば周囲にも、原野商法や投資マンション、諸々の詐欺に引っ掛かっていた人は多くいたっけ。

そして、その場限りの嘘をつく。自分の都合の悪いことが起きると、荒唐無稽ともいえるような嘘をつく。ただ成人男性がそのような嘘をつくとは想像もつかないので、騙される人もいる。迷惑である。そして何よりも多くのカウンセラーや医者が指摘したことは、自分のついた嘘に、夫自身が騙されているということなのである。口から出まかせを言った瞬間、自分自身も信じ込んでしまうのである。もちろん、狡猾に自分に得になるような嘘もつく。

こう書くと、「嘘をつくように追いつめた周囲がいけない」といわれるだろう。発達障害の本にも書いてある。追いつめるとさらに二次障害もでますよ、周囲は理解してあげてください、と。でも給料を全額自分で使うなとか、相手が病気の時にはご飯を作ってもらえなくても蹴りつけるなとか、相手のものを勝手に捨てるなとか、家事育児を少し分担してくれないと家庭が回らないと言われたからといって「追いつめられる」ならば、そういう人は結婚に向かないのだ、としか思えない。そもそも結婚する資格はない。

そして何よりも、カッとしたら自分自身の制御がきかないので、暴力的である。子どもの前でもお構いなしに蹴りつけてくるし、家は壊す、家具は壊す。でも自分が暴力をふるっているという自覚すらない。終わったらけろっとしている。そもそも自分が相手を怒らせたり、怖がらせたりしているという自覚が全くない。こちらが「やめて」と言い返すと、「なんで『いきなり』怒りだすんだよ!」と逆上する。しまいには「俺は被害者だ」、「お前がいきなり怒りだしたんだ」などと責め立てられるのだから、あいた口がふさがらない。ある時など、物をとって貰い「ごめんね」と言ったところ、「『ごめん』じゃなくて、『有難う』だろうが!ごめんは謝罪で、有難うが感謝だ。謝れ、謝れ!お前が悪い!!今すぐ謝れっ!!」と気が狂ったように怒り出された。

こんなエピソードは、他人なら「発達障害者って字句の正確さにこだわるんだなぁ」という一エピソードに過ぎないかもしれないが、一緒に住んでいる人間からすれば、いつ難癖をつけて逆上されるかわからない「恐怖の館」もいいところである。申し訳ないが、いくら障害といえども、外形的には「DV(ドメスティックヴァイオレンス)」や「モラハラ(モラルハラスメント)」とほとんど変わらない。というか、DV、モラハラ、そのものである。理解を求められても、無理である。

発達障害の支援業界の人は、「発達障害者は『変われない』。耐えられないなら離婚するしかない」というばかり。しかしその「離婚」すらができなくて困っていることに対する共感や支援はあまりない。粘着質の夫と離婚するために費やした金銭的、時間的、社会的な損失は眩暈がするほどだ。でもそれでもどこぞの俳優ではないが、「全人生を投げ出してでも」縁を切らない限り、「正常」な生活がおくれない。

正しく教育されなければ、子どもも「ああ」なってしまうのかと思うと、やっぱり憂鬱である。怖い。そしてどうしても発達障害を好きになれないのだ(頑張ってはみるものの、受け入れがたいときがある)。今この記事を書いていても、夫が自分のことだと気づいて逆上してストーカー化したらどうしようかとか、名誉棄損だ、裁判すると大騒ぎしてまた周囲に迷惑を掛けるんじゃないかということばかりが気がかりだ。でもおそらく、自分のことだということすら気付かないんじゃないか(無自覚だから)という方に賭けて書いてみた。

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シリーズ「発達障害かもしれない子どもと育つということ。」は、毎月15日にアップ予定です。

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タグ:DV・性暴力・ハラスメント / 子育て・教育 / 発達障害 / 秋月ななみ / モラハラ