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「いいこと」と「悪いこと」の区別 秋月ななみ

2013.11.18 Mon

                 発達障害かも知れない子供と育つということ。13

花風社の「自閉っ子」シリーズはちょっと変わっている。そもそも発達障害を専門とした出版社ではなく、翻訳者の一人にたまたま発達障害の人がいたため、「自閉っ子」シリーズを出すことになったらしい。そしてとくに最近のスタンスもちょっと変わっている。福祉の支援の「業界」に、堂々と喧嘩を売るのである。

自閉っ子のための道徳入門
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今回はそのなかでも『自閉っ子のための道徳入門』(社会の中で生きる子どもを育む会編、花風社)を取りあげてみたい。今まで本当は言いたくて言えなかったことが詰まっているように感じるからだ。タイトルの「『いいこと』と『悪いこと』の区別」は、帯にある言葉で、それに「発達障害の子どもたちはちゃんと覚えられます!」という文章が続く。

 本の中で一番印象的なのは冒頭の章の、「優まま」さんと編集者の対話である。なにしろ優ままさんときたら、発達障害の子どものことを、「このままでは犯罪者になってしまうと思ったこともあった」とまでいうのだから。

 発達障害と犯罪の関係には、緊張感がある。私達には不可解と感じる少年犯罪の多くが、発達障害の子どもによって引き起こされているという事実(それは当然である。なぜなら普通では考えられない「不可解」な犯罪だからである。不可解であるがゆえに、不気味で恐ろしく感じさせられる。そうでない「理解可能」な犯罪は多くの健常の子どもによってなされている。勿論数は、こちらのほうが圧倒的に多い)と、そういう報道自体が、発達障害への偏見をうむのではないかという懸念との間に、何とも言い難い緊張関係が漂うのは当然である。

 専門家は、発達障害と犯罪の関係性を懸命に否定する傾向がある。良心的な人もそうだろう(「発達障害だからといって、すぐに犯罪と結びつけるのは差別だ」と)。ただ身内に発達障害者をもつ身としては、それは所詮は責任をとる必要のない立場の人がいえる「綺麗事」であると感じる。犯罪の報道を聞いたとき「ああ、おそらく加害者は発達障害者だろうな」と感じた場合、予測が外れたことは一度もない。ということは、発達障害者に特有の(健常者には健常者には特有の)、逸脱行為の傾向は歴然とあるということだ。

 発達障害者は被害者になりやすいことは想像がつく。想像力がないので他人に騙されやすいし、警察の取り調べなどできちんと有利になるように供述できない。しかし同様に、申し訳ないが加害者にもなり得る。他人の気持ちがわからず、自分勝手な解釈をしがちなのだから。そして挫折経験から、特定の人や社会全般に敵意を募らせていく傾向があることは、身近な経験から容易に想像がつく。

 「発達障害と犯罪の関係を云々いうのは差別です」という言明は、歴然と存在する親の不安に蓋をして、なおさら不安を募らせる効果をもつことすらある。そういう悶々とした気持ちを抱えているときに、応えてくれた「本音」の本が、『自閉っ子のための道徳入門』だった。内容については次回また紹介したい。

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シリーズ「発達障害かもしれない子どもと育つということ。」は、毎月15日にアップ予定です。

シリーズをまとめて読むには、こちらからどうぞ








タグ:子育て・教育 / / 発達障害 / 秋月ななみ

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