エッセイ

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娘が呼び起こす夫の記憶 秋月ななみ

2015.04.18 Sat

                           発達障害かも知れない子どもと育つということ。29

 別れたパートナーと子どもがそっくりで嫌になる、という話はよく耳にするが、うちもそうである。しかしそれは「性格」というよりも、「特性」がそうで、時折やり切れない。

 例えば、娘のためにケーキを買ってくるとする。娘が勝手に開ける(自分のものと他人のものの区別がつかない)。「美味しそうだから今すぐ食べたい!」というが、「ご飯の前に食べると晩御飯が食べられなくなるから、帰ってきたらデザートに食べましょう。冷蔵庫に入れておいて」という。そして外食から帰ってくると、娘が選んだ1個のケーキだけが冷蔵庫に鎮座していて、残りのケーキはドロドロに溶けているのを発見するのだ。

 娘の関心は「自分が食べたいケーキ」にだけフォーカスされ、残りは「どうでもいい」ということで、腐っても駄目になっても「どうでもいい」のだ。なぜなら「自分には関係ない」から。

 ああ、本当にまったく夫と同じだ、と思う。今までどれだけ、「自分には関係ない」「俺のものではない」という理由で、私のものを捨てたりしてきたか。私が借りた図書館の本を捨てたり、公共料金の支払い通知を捨てたり(なぜならこれは妻の役割で自分の役割ではないから、「自分には関係ない」のだ)、私の郵便物を即座に捨てたり、私が買うものはすべて、「邪魔だから捨てろ!」と怒り狂ったり。とにかくありとあらゆる「自分とは関係ない」ものを、実力行使で捨てまくってきた。

「ケーキを入れろっていうのは、全部入れろってことに決まっているでしょう。自分のことだけ考えるのはやめなさい」と怒っても、娘は「どうででもいいことで(!)、言いがかりをつけてくるんじゃねぇよ!!!!」といって切れて、私のものを壊しまくったり、家の壁をぼこぼこに殴ったり、殴りかかったりしてこないだけましである。

ただこういった娘の言動で、一瞬にして夫のことを思い出し、やり切れない思いがどっと押し寄せ、ぐったりと疲れてしまう。その感情に名前をつけるとしたら、正直言って「殺意」に近い。四六時中理不尽な暴力に苛まれてきた過去を、呼び起こすのは娘の言動だけなのである。将来、夫のような人間になるかもしれないと考えると、これまたゾッとするのである。ならないと信じたいけれど。

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シリーズ「発達障害かもしれない子どもと育つということ。」は、毎月15日にアップ予定です。

シリーズをまとめて読むには、こちらからどうぞ

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カテゴリー:発達障害かも知れない子供と育つということ / 連続エッセイ

タグ:離婚 / 子育て・教育 / 秋月ななみ

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