エッセイ

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エッセイ第4回 「乳がん」を寄せつけない暮らし   中村 設子 

2015.08.10 Mon

迷いに迷い、ようやくたどり着いた「乳房再建」法 OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「自分の脂肪で乳房を作る」という方法があった

 「乳がん」によって片方の乳房を失い、落ち込んでいた私は、「乳房再建」という目標ができたことで、生きる力がわいてきた。どのような方法で再建をするのかを決めるキッカケを与えてくれたのは、一通のメールであった。よく本を買っている通販会社のウェブサイトから届いた新刊本の案内で、それが 「乳房再建」の専門医であるS医師の本だと知った時、あまりにもタイミングが良すぎることに驚いた。 しかし今、考えると、驚くことでもなんでもなく、通販会社のビッグデータの中に、私がガン関連の本を買いあさっていたことがしっかりと記録され、購買する可能性の高いターゲットとなっていたのだろう。
 ネット検索によって記録され分析されるビッグデータは、自分では気づかないうちに、個人的な趣味嗜好まで覗かれているのと同じである。ネット広告はその最たるものだが、これもネットを活用するデメリットとしかとらえようがないが、正直、執拗な広告は邪魔でしかたがない。だが、この時ばかりは、役に立った。
 私はすぐに、同書を取り寄せ、一気に一晩で読み切った。そこには、お腹以外に、お尻や太もも、背中の贅肉(脂肪)を移植して、「乳房再建」ができた症例が丁寧に書かれていた。近年の目まぐるしい医学の進歩とともに、多様な選択肢があることに、私は素直に感動した。そして、どれだけ多くの女性が乳房を取り戻せたかと考えると、私はS医師の探究心と、この方法に賭けた女性たちの勇気にも深い感銘を覚えた。
 しかし、S医師が勤務する総合病院は、私の自宅からは遠すぎる。新幹線を使えば、日帰りができるが、それではあまりにも費用がかさみ過ぎ、今以上に生活が苦しくなってしまう。S医師と同じように「乳房再建」をしてくれる医師が、もっと近い場所にいないだろうか…。
 私は自分が住んでいる名古屋市の「がん相談窓口」を訪ね、さらに「乳がん」の患者会に入っている女性や、「乳房再建」の事情に詳しいひとたちに会いに出かけて行った。コツコツと集めた情報をもとに、実際に自分の目で確かめるために、何人もの専門医を訪ねた。診察してもらったうえで、今、日本ではどのような方法で「乳房再建」ができるのかを聞いて歩いた。できる限り多くの情報を集め、慎重に行動していったのは、再建手術をした後で、「こんなはずではなかった」と後悔するようなことだけには、絶対にしたくなかったからだ。
 「乳がん」になるまでは何の知識もなかった私は、さまざまな角度から情報をつかんでいくうちに、S医師が手掛ける方法は、ひとくちに「乳房再建」といっても、なかでも著しく進歩した方法であることがわかった。先に書いたように、患者自身の自家組織を用いた「乳房再建」だからである。それまで日本で行われてきた、患者自身の皮下脂肪を使うケースは、主に女性のお腹から必要な量を取って、乳房を形成するのがほとんどであったが、S医師の場合は、からだの様々な場所から移植して「乳房再建」を行っていたのだ。しかも、この方法でかなりの数の臨床経験を積んできた医師はS医師しかいないことがはっきりとしてきた。

自然なおっぱいを取り戻せるなら・・・

   やせ形体型で、皮下脂肪がほとんどない私でも、S医師の手にかかれば、やわらかく、元の乳房に近いものができるかもしれない…。そう思うと、私は胸が高鳴った。そもそも私が「人工乳房」に踏み込めなかったもっとも大きな理由は、新しい乳房が、自分と一緒に歳を取れないことだ。つまり、「インプラント」によって形成された乳房は美しくてきれいかもしれないが、健康な左側のように、加齢とともに垂れさがってはいかないだろう。形成された乳房は、盛り上がったままであることが、どうしても心にひっかかった。
 私は時間の流れとともに、ふたつのおっぱい・・・・が、いっしょに垂れ下がってほしい…からだのすべてがそうであるように、自然に老いてほしいのだ。年配女性のやわらかく垂れ下がった「おっぱい・・・・」は、長く生きてこられた証でもある。私も若かったころは、女性の垂れたおっぱい・・・・は、妊娠や出産といった女性としての任務を終え、さらには、男性を魅了する役目も無くしたからだの一部としか見えず、何の感慨も持たなかった。だが、今となっては、確かな人生の時間が、その姿の向こうから浮かび上がるように見えてくる。私が実際に会って話を聴いた「人工乳房」を手掛ける専門医たちは、優秀な医師たちであることは間違いなかった。しかし、どうしても「人工乳房」に踏み込めなかった理由は、まさにそこにあった。
 私が住む県内にも、自家組織を使って乳房形成手術ができる病院はあったが、S医師の著書を読んだときに感じた、あのときめき・・・・以上の感情を与えてくれる医師とは、残念ながら出会えなかった。

手術回数が増えるのは覚悟の上で

 まだS医師には会っていないのにも関わらず、「あたたかく柔らかい乳房」にこだわっているS医師の考え方が、私の感性とよく合っているようにも思えた。私は気持ちを固め、新幹線に乗って横浜まで行き、S医師が勤務する大学病院をたずねた。初対面のS医師は、高度な技術を駆使する最先端医療に携わっていながら、医師特有の威圧感や気負いがなく、さわやかな印象であった。飄々とした人柄が、殺風景な診察室の空気さえなごませていた。

 診察の結果、痩せ型の私の場合は、臀部から脂肪を移植する方法が適しているのだという。しかし、最終的にどこの部分から移植するかを決断するのは自分自身であること、仕事の内容や生活スタイルによって判断する必要があるというのだ。
 S医師が行っているのは、「穿通枝皮弁(せんつうしひべん)」という方法による「乳房再建」だ。一回聞いただけでは覚えられない、このややこしい名前の手術法こそ、人工物でも筋肉でもなく、自分自身の脂肪で自然な乳房を再建するやり方である。お尻から脂肪を取り、胸に移植するのに必要な手術時間は、およそ8時間。大がかりな手術の上に、もともと胸にある血管に、移植した脂肪の血管を繋ぐという緻密な手術でもあるだけに時間がかかる。さらに患者にとっては、手術後の四十八時間は、身動きひとつできないほど、絶対安静が必要な、厳しい手術でもある。
 人工物による再建手術は、自家組織を移植する場合に比べ、確実にからだへの負担は少ない。病院によっては日帰りで行えるところもある。そこに大きなメリットがあり、この方法を選択するのも賢明だ。しかし、私は、たとえある程度、一時的に身体的な負担が大きくなるとしても、どうしても、より自然で、自分といっしょに歳老いてくれる乳房をつくりたかった。
 S医師は、私に移植手術の前に、平らになってしまった胸にエキスパンダー(皮膚の拡張期)を挿入する手術を受けることを勧めた。もともと「乳がん」の摘出手術の時にできた一本の傷を利用して、そこにエキスパンダーを埋め込む。その後の本手術(=移植手術)も、その傷から胸を開き、乳房を形成すれば、傷跡はもともとあった一本だけですむことになるという。そうすることで、よりきれいな乳房を形成できるらしい。手術の回数が増えるのはつらいが、これから何十年も、私とともに生きてくれるおっぱい・・・・だ…そう考えると、耐えるだけの価値はあるように思えた。

カテゴリー:乳がんを寄せつけない暮らし

タグ:くらし・生活 / 身体・健康 / 乳がん