2015.10.01 Thu
※この対談には、一部、ネタバレ箇所があります。
▶フランス式庭園と英国式庭園
仁生:こんにちは。「シネマラウンジ」で映画紹介を書いている仁生碧です。今日は、10月10日公開の映画、『ヴェルサイユの宮廷庭師』について、映画評論家の川口恵子さんと、いろいろお話ししたいと思います。 この映画は、タイトルからわかるように、フランスの絶対王権が絶頂期だった17世紀ルイ14世時代の宮廷、すなわち、あの有名なヴェルサイユ宮殿が舞台の歴史劇です。しかし、監督がアラン・リックマン、脚本が元女優のアリソン・ティーガンと、ジェレミー・ブロック(『Queen Victoria 至上の恋』『ラストキング・オブ・スコットランド』)というイギリス人スタッフ、キャストも主役のケイト・ウィンスレットはじめイギリス人がメインで、台詞も英語、というイギリス映画なんですね。最初に試写を観たとき、ヴェルサイユで英語が使われていることに少々違和感を感じたのですが、川口さんから、あえて英国映画という点に着目してみると面白いのではないかという示唆を頂きました。
川口:そうですね。私は、これが極めて〈フランス的〉な時代・場所を描いているにも関わらず英国人女性脚本家による英国映画であるという点がまずもって面白いと思いました。
仁生:〈庭園〉が主役とも言える映画なので、まず、フランスとイギリスの庭園様式の違いを考えてみたいのですが、フランス式庭園の基本が「自然を完全に制御した幾何学的人工美」の表現であるのに対して、イギリス式庭園は「自然そのものの風景」を演出するために手をかけるというスタイルです。脚本家がイギリス人女性であるということで、この英仏の考え方の違いが映画の中に多少なりとも表現されているとみていいのでしょうか。実際、女性庭師である主役のサビーヌ・ド・バラは最初から、それまでフランス庭園の伝統だった厳然たる秩序に対して、異なる着想をもたらす存在として描かれています。
川口:ヴェルサイユの庭園設計担当の著名造園家アンドレ・ル・ノートルによる採用試験を受けに行った時、サビーヌが質問されたのが「秩序は好きか?」でしたね。そこで彼女は口ごもる。彼女は、最初から、王権の支配する宮廷社会には属さない異質の存在として描かれるわけですが、この彼女の異質性が、庭作りに表われています。ルー・ノートルの設計する幾何学的な庭園に対して、彼女の自宅の庭は、まるで小さな〈英国式庭園〉。彼女の自宅もそうですね。花や手書きの設計図や絵筆がランダムに置かれた〈仕事場〉と〈台所〉が自然につながっている。お付きの女性が一人いるので家事労働はしなくていいようですが、うまい具合にワークライフバランスしてる感じ。そして仕事場から一歩外に出ると、ハーブや小さな草花、庭木、小道のある夜の庭に続く。
ル・ノートルが属している領域が、ルイ14世を頂点とする絶対王政支配下の宮廷社会の〈秩序〉だとしたら、その世界から見ればアウトサイダーのサビーヌは〈自然〉を愛する英国的感性を体現しているのかなあ……。本作が脚本家デビューという女優出身のアリソン・ディーガンって、そのへん、巧みですね。その観点からすると、本作は、イギリス人が大好きな〈庭園〉をモチーフとした〈英仏間文化もの〉といえるかもしれません。私の造語ですが(笑)。
この映画の中では、〈フランス式庭園〉=王を頂点とする宮廷社会の〈秩序〉で、そこに〈自然らしさ〉をもちこむのが女性庭師サビーヌ。彼女はフランス人女性だけれども、〈英国式庭園〉が理想とする〈自然らしさ〉をうまく取り入れた庭作りが上手な人です。ここに、英国女性である脚本家の視点が入っていると言えるのではないでしょうか。
▶A Little Chaos —— 小さな混沌
仁生:そう考えると、映画の原題のA Little Chaos もすごく示唆に富んでいますね。幾何学的な秩序と整合性が何よりも重視されたフランス式庭園の中で、サビーヌのデザインした一画だけが、「小さな混沌」を象徴する場所だった。それがすなわち、ある意味、非常に英国的な女性であり、もしかしたら女性脚本家の自己投影でもあるかもしれない、サビーヌの人生と生き方のアナロジーにもなっているということでしょうね。私はサビーヌ・ド・バラという人は歴史上実在の人物かと思ったのですが、架空の存在だと知って、なぜこういう女性をつくり出してルイ王朝に絡ませたのかと考えると、彼女の存在はよけいシンボリックな意味を持ってきますよね。
川口:A Little Chaosは、同時に、〈絶対王政〉のシンボルともいうべき太陽王ルイ14世の心の中に生じた〈小さな混沌〉も示唆するように思えます。冒頭から絶対王政の〈綻び〉がさりげなく示唆されています。それは、本作が〈英国映画〉であることと無関係ではない。〈フランス〉をコケにする英国映画の一つ、というクールな見方も成り立つ。そして、ルイ14世の心の中の〈小さな混沌〉を癒すのが、小さな草花や果実を大事に扱うサビーヌなんですね。
仁生:なるほど。権勢並ぶ者なき絶対君主の心の中に生まれた、ほんのわずかな疑いと混沌——実に深いですね。彼も、常に万人の上に光り輝く〈太陽〉であり続けるのはやはりしんどいわけで、時には〈普通の人〉に戻って、思う存分、素のままでくつろいだり悲哀に浸ったりしたい。そういう場では、サビーヌのような女性がまたとないパートナーになり得るんですね。
ところで、そういった心理描写もさることながら、この映画の大きな映像的魅力の一つは、ルイ14世時代の華麗なフランス宮廷の様子が描かれていることだと思います。衣装や建築・室内装飾などの美術、そして全体の色彩が素晴らしいのですが、ドレスや髪型という面でも、〈一般の〉貴族の女性たちとサビーヌとは、対照的に表現されていますね。ル・ノートル夫人をはじめとする宮廷文化に親しんだ女性たちの凝りに凝った美麗なドレスと、秩序の枠内での恋愛遊戯。それに比べ、その枠から外れた存在であり、土や草花と向き合うのを愛する〈自然派〉であるサビーヌのラフな髪型と地味なドレス、ノーメイクに近い表情。それが逆に周りから彼女を際立たせ、ピュアで強い輝きを放っているかのように見えました。
川口:そうですね。宮廷社会のルールに縛られ、王の支配下にあることで初めて権力をふるえる貴族階級や王の愛人たちとは対照的に、自分の好きな仕事を通して自己実現し、自身の美の基準を信じた庭作りをするサビーヌの姿は、とてもエンパワメント効果がありました。ファッション的にも、宮廷人の鬘や宮廷女性たちのヘアスタイルと違って、作りこんでなく、自然に乱れた感のあるヘアと、優しいアースカラーのドレスがステキでしたね。
▶時代の制約の中でのサビーヌの生き方
仁生:このサビーヌという自立した女性が、伝統的社会の中での革新的思考、仕事上の上司であると同時にプライベートでも気になる存在であるル・ノートルとの関係、過去の結婚生活と現在進行中の恋愛など、さまざまな葛藤の中で悩み、自ら道を選び取っていく生き方は、現代女性の目から見ても、非常に共感できると思います。特に、自分も仕事を持つ女性として、個人の志向と組織の力学の間でどうバランスを取るかなどは非常に難しい問題なので、サビーヌにすごく感情移入してしまいました。
川口:一方で、自家用馬車を持ち、名字に「ド」がつくような、一応は名のある人の夫人だったらしきサビーヌが、独りになった後どうやって造園家になったかが描かれていない点は残念でした。主題から外れるし、時代的にこうした女性像はフィクションならでは、だったからでしょうか。実際に女性造園家がいたのかどうか、知りたいところです。カントリーハウスの庭作りに夢中になった英国の貴族女性はいたようですが。同時に、夫を亡くし独り身になってもまだ夫の姓を名乗り「マダム」と呼ばれるのだ……という時代の制約についても考えさせられました。いろいろな意味で、コスチューム・ドラマ(時代劇)の要素も持っていますね。
仕事と恋愛、という観点から言うと、二人が結ばれる予感がするのが仕事を完成させた後、というのもいいですね(笑)。「舞踏の間」で宮廷ダンスを踊り始める王侯貴族たちの群舞にしばらく交じり、挨拶をした後で去っていく二人のショットがとても好きです、舞台みたいで……。
仁生:確かに、あのショットと、サビーヌがデザインしたこの「舞踏の間」で色とりどりの衣装で踊り続ける王と貴族たちから、だんだん俯瞰映像になってヴェルサイユの庭園全体が映し出されるラストシーンは、「ほうっ」とため息が出るくらい美しかったですね。それに合わせた音楽も素敵でした。
▶女性的空間——〈boudoir〉の効用
川口:〈女性的空間〉という観点から見て、とても興味深いシーンがありました。サビーヌが王の愛人に案内されて宮殿内の小さな部屋に行きますよね。そして老マダムやら、中年やら、若いのやら、たくさんの宮廷夫人たちと互いに触れ合いながら親密な話をする場面です。そこで彼女は子どもを亡くした悲しみを話し、女性としての<痛み>を共有する。まさに〈女性的経験〉を介して、身分・立場を超えて、女性たちがつながる場面でした。あの部屋、たぶん、”boudoir”ってフランス語で呼ばれる部屋です。女性の寝室というか私的空間を指しています。そこでいろんな不満とか悩みを打ち明け合う。愛人を通す部屋でもあったようです。
この〈女性的空間〉”boudoir”で宮廷女性たちと心を通わせあったサビーヌが、ルイ14世率いる宮廷社会(男社会)に対峙し、王の意のままに生きるしかない宮廷女性の生きづらさと苦悩を代弁する場面も素晴らしかった。〈薔薇〉や〈庭〉といった自然界の語彙を比喩的に用いて、女性庭園家が、王に対し、女性たちの生の苦悩を暗に伝える場面です。加齢に伴い容色が衰えるにつれ、王の寵愛を失い、宮廷社会でのポジションも危うくなる――そんな宮廷女性の直面する不安を、自立した女性であるサビーヌが、見事に比ゆ的言語ですくいあげ、王に伝え、意見しているのですよね。〈秩序〉の支配する絶対王政という男社会に、〈自然らしさ〉を作り出す女性庭師ならではの感性で、立ち向かっている。明らかに、フェミニズムを経て久しい英語圏映画の流れをとりこんだ映画だといえます
仁生:このシーンは、宮廷の廊下のような場所で女性陣と男性陣が左右にきれいに別れて対峙するドラマティックな場面ですね。そして、弱い女性たちの立場を、庭師ならではの比喩を用いつつ、勇気を持って王に代弁するサビーヌの凛々しさ。〈女性的空間〉の描写は、王という男権が絶対である宮廷で、恋愛遊戯に供される場であるboudoirが女性の〈連帯〉を形成する場にもなる、というアイロニーなのかもしれません。男があまりに無理無体を通そうとすると、妻と愛人とか、愛人同士という敵対関係にあるはずの女たちも結託するんですよね(笑)。川口さんに言われるまで気がつきませんでしたが、そういう視点で見ると、このシーンも別の面白さがありますね。
さて、最後に薔薇の話が出ましたが、私は実はすごく薔薇が好きで、今、家のベランダにイングリッシュ・ローズの鉢植えを幾つか置いてるんです。丈夫で育てやすいといわれる薔薇なのですが、それでも毎日見守って手入れしないと、すぐ虫が付いたり病気になったりで大変です。造園家の苦労とは比べるべくもありませんが、草花や庭に懸けるサビーヌの思いが少しはわかるような気がします。今はマンション暮らしですが、いつか、すごく小さくてもいいので、サビーヌの自宅のような〈プチ英国式庭園〉的な庭を持ってみたいですね。
『ヴェルサイユの宮廷庭師』
2015年10月10日(土)より、角川シネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー
監督・脚本:アラン・リックマン
脚本:アリソン・ディーガン、ジェレミー・ブロック
製作:ゲイル・イーガン
撮影:エレン・クラス、ASC
美術:ジェームズ・メリフィールド
出演:ケイト・ウィンスレット、マティアス・スーナールツ、アラン・リックマン、スタンリー・トゥッチ
配給:KADOKAWA
(2015年/イギリス/117分/スコープ/5.1ch/PG12)
公式サイトはこちら
カテゴリー:新作映画評・エッセイ / 特集・シリーズ / 映画を語る
タグ:仕事・雇用 / くらし・生活 / 映画 / 働く女 / パートナーシップ / ワークライフ・バランス / 川口恵子 / 仁生碧 / 英国映画 / アート,ファッション / 仁生 碧
慰安婦
貧困・福祉
DV・性暴力・ハラスメント
非婚・結婚・離婚
セクシュアリティ
くらし・生活
身体・健康
リプロ・ヘルス
脱原発
女性政策
憲法・平和
高齢社会
子育て・教育
性表現
LGBT
最終講義
博士論文
研究助成・公募
アート情報
女性運動・グループ
フェミニストカウンセリング
弁護士
女性センター
セレクトニュース
マスコミが騒がないニュース
女の本屋
ブックトーク
シネマラウンジ
ミニコミ図書館
エッセイ
WAN基金
お助け情報
WANマーケット
女と政治をつなぐ
Worldwide WAN
わいわいWAN
女性学講座
上野研究室
原発ゼロの道
動画







