エッセイ

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エッセイ第6回 「乳がん」を寄せつけない暮らし  中村 設子 

2015.10.10 Sat

誰でもなりかねない病気だからこそ・・・ 

 先日、人気タレントの北斗晶さんが、「乳がん」で右乳房を切除したことは、ご存知の方も多いだろう。病気がわかってから手術までの恐怖、そして切除後の喪失感を思うと、私はいたたまれない気持ちになった。私も7年前は同じ状況だっただけに、痛いほど気持ちがわかる。
 病気が発覚するまでの経過や家族とのやりとりなど、その後も度々話題になっていたが、ネット上での記事を読む度に、ますます気がめいった。夫ともに手術後の記者会見をしている彼女の写真を見て、プライバシーというか、深刻な今回の病気のことまでさらけ出さざるを得ないのは、芸能人の宿命かもしれないが、そっとしてあげれば…という気にもなった。人気者ゆえの試練といってしまえばそれまでだが、一方では、芸能人ゆえに、その経験や発言が注目され、社会的に影響力があることを熟知している聡明な彼女ならではの行動のようにも思えた。

 これまで書いてきたように、私自身は乳房を切除した後、理想の「乳房再建」をかなえてくれる専門医を探し、実際に乳房ができあがったことで、前向きに生きていけるようになった。思い起こせば、片方の乳房を切除したばかりの頃、私はどうしても温泉に入りたくなり、ひとり旅に出たことがあった。温泉といっても、大勢の人たちが入浴している時間帯に、裸になる勇気はない。人の気配がまるでない真夜中に、浴場に誰もいないことを確認してから、湯につかった。わずかな時間だったが、病気の発覚から手術を終えるまで、ずっと続いていた緊張感から開放され、気持ちがやわらいだ。
 だが、静まり返った薄暗い廊下を歩いていると、片方のおっぱいだけになってしまったからには、もう胸の開いた洋服も着ることはないだろうと、またとめどなく涙が流れた。ずっと昔のことのようでもあり、ついこの間のことのようにも思え、あのときの気持ちが再びよみがえってくる。

 しかし、今では、どこへでも出かけられるようになった私が、ここにいる。私は北斗さんにぜひ「乳房再建」をしていていただきたい。彼女のように有名で影響力のある女性なら、「乳房再建」の必要性はもちろん、乳がん撲滅にむけての啓発にもつながる。今回の記者会見で、スウェットの上着を着た彼女は、堂々と、切除して平らになった胸をはり、乳がん検診の大切さを呼びかけた。そして、乳がんは誰がなってもおかしくないこと。一日も早い病気の発見が、後々の治療に大きく影響することを伝えてくれていた。彼女自身のこれからの人生のために・・・今、祈るような気持ちでいる。

なんでこんなに低いの? 日本の「乳房再建」率

 「乳房再建」には、乳がんによる乳房切除の際に同時に再建する「一期再建」と、私のように、乳がんで乳房を切除してから、一定に期間をおいて再建する「二期再建」がある。 
 日本での「乳房再建」率は日本ではわずか8%未満にすぎず、アメリカで35%、韓国で13%と比べてかなり低い(2011年、私の乳房を形成してくれたS医師によるデータから)。「再建」方法については、アメリカの場合、シリコンなどによるインプラントが全体の7~8割を占め、自家組織による再建は2割程度である。日本における再建方法の内訳はいまだに明確ではないが、いずれにしても、この数字から、日本が「再建不毛国」といわれている理由がわかる。

 乳房を失った女性が喪失感を抱かないためにも、「一期再建」が一般的な手術法として定着してほしいと思っているが、私が乳房を切除した某がんセンターでは、「一期再建」どころか、「乳房再建」そのものが行われていなかった。繰り返しになるが、乳房をつくる具体的な方法や、どの病院に行けば、後悔しない形成手術ができるのか、私にはまったくわからなかった(「乳がん」の主治医は、人工物での再建を私に勧めてくれ、紹介状も書いてくれたが、結局、私は自分で探したS医師にお願いすることにした)。
 日本の多くの医療現場では、がん治療がすべてであり、乳房を取り戻すことは二の次だというような立ち遅れた価値観が根強く残り、患者に必要な情報が与えられていない現状があるように思う。日本では「乳がん」にかかる女性は年間6万人にも及ぶが、再建率が8%未満にすぎないことを考えると、何人もの女性が、術後に乳房を失ったまま、その後の人生を生きているのだろうか。それを想像するだけで、私は胸が痛む。日本では2006年から、自家組織による「乳房再建」は保険適応になり、一昨年からは、人工物(インプラント)による再建にも拡大された。それまでは、人工物を使用する「乳房再建」に必要な医療費は、おおよそ100万円とされ、医療費を全額、自己負担として支払わなければなかった。これほどの多額な出費では、「乳房再建」を望みながらも、踏み込めないでいた女性が多かったと思う。ちなみに私が自家組織による「乳房再建」で支払った金額は、皮膚を拡張するエキスパンダー挿入術に約17万円、乳房の形成手術に約35万円(個室の差額ベッド代を含む)、乳輪乳頭の形成術に約20万円である(自己負担3割)。この3回の手術を合計すると、やはりかなりの支出だ。私のような自家組織を移植して行った「乳房再建」でも、からだのどの部分の脂肪を使って乳房を形成するのか、つまりドナーとなる場所や、入院日数、その後の治療方法によって、当然、負担する医療費は変わってくる。

 私は自分の意志で乳房をつくり、最先端医療に挑戦し続けてきたS医師の医療チームの力、そして多くの友人や、家族の支えがあったからこそ、私は新しい乳房をつくることができた。しかし、そんな女性ばかりではない。夫や身内から「乳房再建」など必要がないといわれ、深く傷ついたという女性がいるという。もちろん、それぞれ家庭には、外見からはわからない人間関係や経済的な理由がある。どうしても、高額な支払いが無理な場合もあるかもしれないが、男性にも「乳房再建」の意味や必要性を理解してもらわなければ、女性は「乳房再建」に踏み込めない。「乳房再建」を諦めなければならない女性を救うためにも、社会全体の意識改革と協力が欠かせないのだ。乳房をとり戻すことが、女性としての当然の権利であると認識してくれる乳腺専門医が増えれば、「乳房再建」を希望する女性が増え、再建手術をする医師も育っていくという、良い循環ができていくはずである。そのためにも、執刀する医師の技術向上は、早急の課題だといえる。乳房を失った女性が、ふたたび涙することなど決してないように・・・。

不動心

いつも持ち歩いているノートに挟んである、練習中の「書」

カテゴリー:乳がんを寄せつけない暮らし

タグ:身体・健康 / 乳房再建 / がん