2010.05.21 Fri
パフォーマンスアーティスト、イトー・ターリさんの「ひとつの応答」シリーズが続いています。
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ART ACTION 2010
パフォーマンスアート「ひとつの応答」シリーズ
「沖縄・1944~2010から聞こえてくること」
5月22日(土)19:00スタート
会場:PA/F SPACE(パフスペース)
入場料:1,500円(学生1,000円)
パフォーマンス:イトー・ターリ
お問い合わせ:tari@gol.com
会場地図:http://pafspace.com
地下鉄東西線早稲田駅下車出口2or3bより徒歩2分
馬場下町交差点を文学部正門方向左に曲がり、3軒目のフェニックビル3F
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「なぜ、ペ・ポンギさんは放浪することになったのだろう」
日本軍「慰安婦」であったポンギさんのことを本で読んで、じわじわと浮かんできた問いだった。
朝鮮併合で土地を奪われた農民だった家族が貧しさのゆえに離散したのは彼女が6才のときだった。
その後、いくつかの農家に預けられる。17才の時に結婚するがやはり貧困ゆえに破綻する。
29歳のとき、「日本にいい仕事がある」と誘われ、釜山から門司に渡る。半年後の1944年、6名の女性と渡嘉敷島に送られ着いた時、だまされたことに気づく。
1945年3月23日の米軍の攻撃で、共にいた朝鮮人「慰安婦」ふたりが爆死し、ポンギさんは仲間と死線をさまよい山に逃げ込む。3月27、28日には渡嘉敷の村民が集団自決に追い込まれる。
ポンギさんは山の中の日本軍陣地内で賄い仕事をして、8月をむかえる。兵士と共に投降し、沖縄本島の収容所に入る。仲間が解放された本国に帰るのを見過ごし、沖縄に残る。言葉のわからない土地での放浪生活がはじまった。
一日として落ち着けない日々の始まりだった。
日本軍がいなくなった沖縄に今度は米軍が基地を作り始めた。同時に女性への性犯罪が頻繁に起こるようになった。農作業中に、就寝中に、街中で手当たり次第さながら、そして朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争が起こる度に事件が多発した。2008年にも中学生とフィリピン女性が被害に遭っている。日本は米軍が居る事で抑止力が働き、平和に暮らせるのだと言う人がたくさん居る。
しかし、敗戦後65年、何百、何千の沖縄女性が犠牲になってきた事実を知る必要がある。そして、もう、犠牲をなくさなければいけない。
沖縄の1944年から2010年までを今一度振り返り、被害者の声を聞くことをしたい。
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