アートの窓

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<インタビュー>イケムラレイコ 強くしなやかに生きるアーティスト

2011.10.16 Sun

手前:《ひざまずいて(目に身をあずけながら)》1997年、作家蔵 奥:《赤の中で眠っている人物像》1997/2006年、カールステン・グレーヴェ・ギャラリー、ケルン 撮影:木奥恵三

 

現在ドイツを拠点に活躍するアーティスト、イケムラレイコ氏の大規模な個展「うつりゆくもの」が現在東京国立近代美術館で開催されています。(10月23日まで。11月8日より三重県立美術館へ巡回)イケムラ氏は三重県に生まれ、1972年にスペインに渡り、セビーリャ美術大学で学んだ後、スイス、ドイツへと移り住み、アーティストとして確固たる地位を築きあげます。ヨーロッパを中心に各地で数多くの個展を開催、ベルリン芸術大学の教授として教鞭をふるうなど、そのめざましい活躍は日本人アーティストとして特筆するに価します。    

 ユニークな人生を歩んできたイケムラ氏に、海外で活動する道を選んだ経緯や女性として感じてきたことなどについてお伺いしました。    

 ―イケムラさんは、早い時期から自立心旺盛だったのですか?    

個人の決心として3歳ぐらいのときから男性には絶対頼らない、結婚しないと決めてたの。あ、3歳はオーバーか。5歳ぐらいかな(笑)。「私の夢はお嫁さんになること」なんて言う女の子が多い中、周囲からはかわいげがない、女の子らしくないと言われたけれど、昔の女性の生き方を見ていて絶対にああいう風にはならないと決めていたんです。    

―それはなぜですか?    

高圧的な父親の影響ですね。それに世間には男は何をやってもいいんだという風潮が依然としてあったし。まだ女の子が生まれると「残念でしたね」と言われる時代でしたから。勉強はそれほど苦労しなくても成績はよかったので、早く自立して家庭から抜け出そうとそればかり思っていたの。    

―成績優秀だったイケムラさんがいわゆるエリートコースに進まなかった理由は?    

撮影:木奥啓三

 

例えば東大や京大をめざすというようなことを考えたこともあったけれど、出世型の道を選ぶのは退屈で、もっと自由な道を選ぼうと思ったの。家を出る、地方を出る、国を出ることをめざしてそれを実現させたんです。18歳で家を出て大阪外語大学に行き、それから東京、そして21歳でスペインに出てしまった。当時何の援助もなく海外に出て行った女性は珍しかったですよ。家族も男も国の世話にもならない。厳しかった。    

 ―スペインでは解放感がありましたか?    

 とてもありました。私にとって新しい人生が始まったという感じでした。    

 ―例えば日本の東京芸大などで美術を学ぼうとは思わなかったのですか?    

 全然思わなかった。最初からメジャーな道を選ぶつもりなかったの。美術の勉強の仕方もそう。脇道にそれて外語大に行ったことからして私にとってはチャンスだった。当時は戦後を引きずっていて、日本自体の基礎が壊れていた時代だった。コンプレックスが強くて、日本を誇ることもできない状況というのを直感的に感じてました。海外に出ることでむしろ日本の良さを客観的に見ることができたと思う。    

 ―ラテン系のスペインで、男尊女卑的なものを感じることはなかったですか?    

 確かにマチズモはあったけれど、もっとおおらかで、男女が互いを高めあう文化を感じたわね。「え、私女性として見られるの?」ってびっくりしました。最初はエキゾティックであるとか珍しさから興味をもたれましたけど、それ以上に個人を尊重してくれた。若さの魅力を認めあう時代を過ごせるのって素敵なことじゃない?    

―日本の男性では心惹かれる人はいましたか?    

《黒に浮かぶ》1998-99年、豊田市美術館 撮影:林達雄

 

  素敵な人もいましたよ。帰ってきてほしいと言ってスイスまで追いかけてくれた人もいましたね。    

 ―その時日本に帰ろうかという迷いはありましたか?    

 当時は全くなかったですね。日本で結婚していたら色々なしがらみがあったでしょう。私は子供や家族を持つ気もなかったし、難しかったでしょうね。    

 ―スペインからスイス、最終的にドイツに移った理由は?    

 スペインは生活するのには楽しいけれど、仕事をするには難しかったの。セビジャの美術大学を卒業した後、まずはスイスで教職に就いて制作を続けました。スペインにいたころよくスイスでアルバイトしてたので、スイスの事情を少し知っていたんです。アルバイトのときは工場で働いたり、観光ガイドしたり。「これがマッターホルンです。これがスイスの時計です」って案内したり。    

撮影:木奥恵三

 

    ―え?イケムラさんが観光ガイドですか?みんなバスに乗り遅れそうですよね!(私の知る限りイケムラさんは交通手段の段取り等が苦手)    

 そう、もう大変だったのよ。自分の芸術活動を支えるためと誰にも頼らないために必死でやったの。日本人の役所の人たちをスイスのゴミ焼却所に連れて行くツアーをしたり。一生懸命解説したんだけど、おじさんたちは疲れてたみたいでぐっすり寝てたわ(笑)。    

 私は本当にたたき上げなんです。東京のキューバ大使館でアルバイトしたこともあります。そこで飼われてた大きな犬がすばらしい食事をもらってたの。ライスとバナナの揚げたのとお肉がきれいにお皿に載せられて。犬の散歩も私の仕事だったから、彼の食事を「半分こしようね」と言って分けてもらったこともあったのよ(笑)。当時チェ・ゲバラに憧れてたから、共産主義っていいながら犬がこんな贅沢してるのは間違ってると思って(笑)。    

 ―スペインと比べてスイスやドイツでの男女の関係や女性の地位はどのように映りましたか?    

 保守的な父権性は隠れたところにあった気がしますね。リベラルに見えて裏では男尊女卑的なところもありました。でも表向きは仕事に関してはスペインより男女平等で、力ある女性は活躍していたわね。それでもトップのポジションを得るのは難しくて、あの頃は美術館の館長も大体は男性。でも近年女性の館長も出てきました。    

 男性アーティストに比べて女性アーティストの作品を美術館が購入する機会はまだ少なかったけれど、日本の美術館よりはずっと可能性が高い気がしました。    

《キャベツ頭》1994年、国立国際美術館

 

 ―女性でしかも外国人だとさらにマイノリティー度が高くなりますよね。つらく感じることはありませんでしたか?    

 きつかった。今でも厳しいですね。若い頃はがんばれたけど、今はもう少し支えがほしいという気はするわね。    

 ―女性のアーティストとして意識していたことは?    

 女性のアーティストは女性であることや若さを仕事のために売り物にする人が多いけど、私は絶対それはしなかったの。ギャラリストやキュレーターと男女の関係になることは断じてないし、男に媚びて仕事のポジションを得たりしないというのが私の決断だったの。    

それにアーティストは両性具有的なところがあって、自分の中に男性、女性を併せ持っていると思うんです。先日対談したとき横尾忠則さんもおっしゃってましたね。私も大きな展覧会のマネジメントの仕事をするときには男性的な力を発揮しないとやっていけないですしね。もちろん女性だからこそある繊細さやテーマの選び方は現代の可能性です。でも最終的にはそういう区別をしなくてもよいような状態にもってゆくべきでしょう。    

―以前ドイツにイケムラさんを訪ねたときに、イケムラさんは多くの男性に助けられ、とてもモテているようにお見受けしました。男性に頼るまいと思って日本を飛び出したイケムラさんですが、常に周囲に男性がいて彼らに助けてもらっていますよね。      

 あらそんな風に見えた?でも私だって男性を支えてきたのよ(笑)。    

―複雑な恋愛関係もあったようですが、男性なんてめんどうくさい、切り捨てたいと思ったことはないんですか?    

 それは全然ない。私は男性を否定しようとは全く思ってないの。私にとって一番大事なことは仕事と生き方、自分が誇りに思えるような生き方なんです。他人の評価に関わらず自分の感情に正直に生きたい。だから愛や人間のつながりは私にとって仕事、すなわちアートと切っても切れない関係にありますね。異性との緊張は社会や世界観にも関わってきて、そこから生じるさまざまな感情がアートのテーマにもなっているわけで、とても重要なことです。人間関係、愛情、作品が相互関係にあるわけ。でもいざとなったときに自分が身を捧げるものはアートだという信念があるんです。    

 ―今、日本の若手女性アーティストで面白い作品を作る人はけっこういますが、アーティストとして生き残っていく人は本当に少ないのが現状です。それについてどう思いますか?    

今の若い人は恵まれすぎて下積みがなさすぎるのかもしれませんね。ぱっと出てきてさーっと散ってしまう。謙虚さをもって、自己主張するだけではなくどれだけ内容を深めていけるかが大切でしょうね。アートの世界はクールだと思ってる人が多いけど、そんな甘いものじゃないということを知ってほしい。鮮やかでカッコいいことばかりじゃないのよ。それだけでは続かないということを自覚して、流行に左右されない力のある作品を作っていってもらいたいですね。    

      

◎ インタビューを終えて    

撮影:木奥恵三

 

   私が企画した展覧会への出品をお願いし、調査のためにドイツに住むイケムラさんを訪ねたのは2004年のことでした。ケルンとベルリンの素敵なスタジオを見せていただき、列車で移動し、彼女の友人たちと会う中で、初めてお会いしたとは思えないほど親密な時間を共有し、イケムラさんの人間性に触れることができました。日本とヨーロッパの比較、女性が生きていくこと、恋愛や仕事など、本当にさまざまなことを語りあい、イケムラさんの稀有な経験を聞かせていただいたドイツでの数日間は、私にとって豊かで貴重な宝物となりました。      

ときにユーモアと毒舌を交えながら、初対面の私に屈託なく話してくれたイケムラさんは少女のようなチャーミングさをもち、オープンマインドであると同時に冷や冷やするほど無防備でした。それは文字通り、携帯電話を置き忘れる、バッグの口を大きく開け放したまま歩いて財布を落としそうになる、電車に乗り遅れそうになる…という具合で、いつの間にか訪問者の私の方が時刻表を確認したり、イケムラさんの忘れ物を気にしたりするようになっていました。      

そして行く先々で、そんな彼女をケアする男性の姿がありました。イケムラさんと協働して展示デザインを手がける建築家のパートナー、フィリップさんはもちろんのこと、その他にもアーティストや批評家の男性たちが阿吽の呼吸でイケムラさんをサポートしているのが印象的でした。彼らはイケムラさんの女性としての魅力に惹かれつつ、クリエイターとしての彼女の人間性を心から尊敬しているように見え、私はその素敵な関係を興味深くかつ羨ましく観察していました。そして「そろそろ日本に帰りたくなることがあるの」というイケムラさんに、「アートを尊重する土壌、作品が売れる環境(彼女のように名実ともに成功している女性アーティストは日本では決して多くない)、そして、いつまでも複数の男性にチヤホヤされる状況を捨てるべきではない」と僭越ながら諭したものです。      

今回のインタビューを通して、改めてイケムラさんの現在に至る基礎を知った気がします。3歳(!?)で結婚しないと決断すること、メイン・ストリームを選ばないこと、自立すること、アートに身を捧げること。この揺るぎない「決心」の強さには感服します。一方で情に厚く、傷つきやすい一面を持ち合わせたイケムラさんの危うさが、彼女の作品に表れる独特の魅力につながっていることは間違いありません。      

強くて優しいイケムラさんのような女性の存在には励まされます。また、「メイン・ストリーム」が崩壊し、価値が多様化、拡散化する今の時代において、イケムラさんのようにあえて脇道を選ぶ生き方は、サバイバルの戦略にもなりうるでしょう。      

海外での評価が先行してきたイケムラさんですが、今回の日本での大きな個展を通して、その作品と人間性の魅力を多くの人に知ってもらいたい、そして生きる勇気を感じてほしいと願っています。      

      

イケムラレイコ プロフィール      

三重県津市生まれ。1972年にスペインにわたり、セビーリャ美術大学で学ぶ。1979年スイスに移り、1983年よりドイツに住む。1991年よりベルリン芸術大学教授。現在ケルンとベルリンを中心に活動。主な個展にボン・クンストフェライン(ドイツ、1983年)、バーゼル現代美術館(ドイツ、1987-88年)、レックリングハウゼン・クンストハレ(スイス、2004年)、ヴァンジ彫刻庭園美術館(三島、2004年)、アランスベルク美術館(ドイツ、2010年)など。     

     

(インタビュー/文:荒木夏実)

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